11.乙女の戦い
吠え声を聞いたテル坊が、すぐさま剣を抜いて私の前へと走り出る。
カシェルは、そのテル坊に立て続けに各種守護の秘蹟をかけていく。
「いや、ちょっと待……」
「師匠は下がってください!」
つい今し方耳にした会話と状況のギャップに頭が付いていけず、私は呆然と立ち尽くしてしまう。
ずん、という地響きと共に穴の向こうからぬうっと顔を出したのは、どこからどう見ても立派なドラゴンで、口のあたりにはぐるぐると炎が渦巻いていて――
「え、やっぱドラゴン? でもさっきの会話って」
「出たなドラゴン! 僕は勇者ゴリラ、カステル・ロアレスだ!」
「勇者?」
ドラゴンがスッと目を細め、シュッと熱をはらむ吐息を吹き出した。
「ここが偉大なる竜の女王グリトランディヴォーたる妾の棲み家と知って入り込んだのか、人間よ。今すぐ去るというなら許してやるが?」
「僕は攫われた姫を助けに来た! 去れと言われて去るようなことはしない!」
「ほう」
ドラゴンがテル坊を覗き込むように身を屈める。
シュウシュウと炎混じりの息を吐きながら、じっとテル坊の顔を見つめる。
「人間、貴様は勇者とか言ったな?」
一触即発の気配に、私はそろそろと気配を殺しながら、弓をつがえた。
少しでも物音を立てれば、そこから戦いになってもおかしくないほどの緊張感に、汗が一筋流れ落ちる。
「勇者の証を持っているのか? 自称勇者なら腐るほどここへ来たが、全員妾の腹の中だぞ。貴様も妾の腹を満たすためにここへ来たわけではあるまい」
くっくっとドラゴンが笑う。
へえ、ドラゴンて笑うんだ、なんて私は変な感心をしつつ、今度はゆっくりと移動しようと少しずつ横へと足をずらしていって……
「動くなよ、エルフ。骨まで炭になりたくなければな」
ドラゴンの視線が、私を射貫いた。
もしかして、このドラゴンは前の魔王より強いのだろうか?
「僕の勇者の証はこのゴリラの剣だ! お前こそ、おとなしく姫を返せば命までは取らない。さあ、さっさと姫を返すんだ」
『そうよお。アタシが正真正銘勇者ゴリラのための剣。お前の鱗程度、一撃でスパッと切り裂いてやるわ!』
テル坊と剣の煽りに、ドラゴンの目がさらに細まった。
そろそろ逆鱗レベルに怒り出すんじゃないか――と思ったところに、「お待ちくださいませ!」と声がかかった。
「ちょっと、ロシー、出てきちゃだめって言ったでしょ!」
「でもグリトラ様。しゃべる剣を持つものなど、これまで聞いたこともありません。きっと、本物の勇者の剣なのですわ。
万が一にもあなたが怪我などを負ってしまわれたらと思うと、わたくし、責任を感じずにいられません」
ドラゴンの後ろからひょこっと現れたのは、どこからどう見てもお姫様だった。お城にあったどでかい国王家族の肖像画にあった顔だ。なんなら、妹のカタリナ姫にも似ている。
「えっと、ロスマリン姫、ですよね?」
私は引き絞っていた弓弦を緩め、おそるおそる声をかける。テル坊も、訝しそうに姫とドラゴンと私を順に確認してから剣を下げた。
ピッと姿勢を正した姫は、堂々たる態度で礼をする。
「そのとおり、わたくしがこの国の一の姫、ロスマリンでございます。こちらは名乗りどおりの偉大なる竜の女王、グリトラディヴォー様ですわ」
ドラゴンも牙を納めると、ぐいと頭を上げてじろりと私たちを見下ろした。
* * *
姫に取りなされ、とりあえずの平和的な交渉に臨む我々は、ドラゴンの棲み家へと招き入れられた。
「――これ、どうやってここまで運んで設置したの」
「それはそれ。ドラゴン族にも伝手というものがございますのよ」
室内にはドラゴンの寝床と姫様用の天蓋付きベッドが置かれ、そのそばには座り心地のよさそうな長椅子とつやつやに磨かれたテーブル、そして、どこからどう煙を排出してるのかわからないけれど、重厚な暖炉までが置かれていた。
めちゃくちゃ居心地よさそうだ。
私の秘密基地に勝るとも劣らないレベルである。
おまけに、給仕担当の小さな魔物までいるとか、聞いてない。
ちょこんと目の前に置かれたカップを持ち上げて、中身がたしかにただのお茶であることを確認して、私は口を付けた。
悔しいくらいにおいしい。なんなんだ、ここ。
「お姫様は、攫われたのではなかったんですね」
テル坊がちょっとしょんぼり気味に呟いた。
ドラゴンと姫はどう見ても仲良しだ。もしやこれはテル坊の姫と結婚&即位ルートは消えたということなのか。テル坊の将来は大丈夫なのか。
「いいえ、攫われたのは本当ですの。でも、いろいろな理由が重なっていて……」
「妾から説明しよう」
どう説明したものかと口ごもる姫を次いで、ドラゴンが口を開いた。
「つまり――」
ドラゴンの話はこうだった。
現魔王は彼女のつがいであり、竜の王となるはずが魔王城にわだかまっていた瘴気にやられて魔王となってしまったドラゴンなのだという。
そんな設定あったっけ――とあれこれ考えてみたけれど、やっぱり思い出せない。
無理もない、伝説編以外はうろ覚え中のうろ覚えだったのだ。おまけにエルフへの勝ち組転生を果たしてからもう二百年は経っている。
伝説編以外のことは覚えていようという意欲も怪しい以上しかたない。本人がそう言うんだから、公式にもそういう設定があったってことだろう。
たぶん。
その、愛しいつがいのドラゴンが瘴気にやられて悪堕ちしてしまったうえ、人間のお姫様を攫うとか言い出して、彼女は慌てたらしい。
そんなことしたら、人間全部敵に回して全面戦争することになるんじゃないかと。
だが、どんなに説得しても魔王は折れなかった。
魔王となったからには人間の姫を攫い、人質にして世界の覇権を脅し取るのがスジだろうと、そう主張したのだとか。
いったいどういうスジなのか。
「どんなに説得しても彼のお方が納得せず、ならば妾が出向き、拐かした姫を安全に匿ったうえで時期を見てお返しすれば、なんとかなるかと考えてな」
ほう、と溜息を吐くドラゴンから話される事情に、私もはあっと溜息を返す。
なんだろうこの徒労感。無駄骨か。
「だったら、これまで姫を助けに来たっていう自称勇者にお姫様返せば……」
「そのような者、おりませんわ」
「いないんですか?」
私の言葉に食い気味に姫が返す。
カシェルが驚きのあまりか、目をまんまるにした。
「ええ、おりませんの。皆、グリトラ様に恐れ慄き、わたくしを助けようなどと思いもしなかったということですわね」
「つまり、彼女の腹に入った自称勇者って実はゼロ、か」
ちょっと据わった目で吐き捨てる姫を、私は思わず直視してしまう。
王国騎士の誰かひとりくらいはここに乗り込んでくるんじゃないか――そう当て込んでいたのに誰も来なかったという事実が、姫の心をがっつり抉ったらしい。
――が、姫の顔に浮かんでいたやや自嘲気味な笑みが、違うものに変わる。
「でも、良いのです。おかげでとても素敵なお方に出会えましたもの」
「素敵な殿方との出会い、ですか」
まさか、こんな事情と遭遇でもテル坊の即位フラグは無事だったということか。
さすが一本道シナリオ効果、と全私が大興奮……する前に、姫はいきなり身体を乗り出し、さっと掬い上げた両手をガシィと力いっぱい握り締めた。
――掬い上げた、カシェルの両手を。
「え?」
「は?」
私もカシェルも、姫の手を凝視する。
ガリルーも食いつき気味に姫を見ている。
テル坊は期待に満ち満ちた表情を浮かべている。
「わたくし、ひと目見てこの方だと思いましたの。
人間にはない涼やかな緑の髪に神秘的な瞳、ほっそりとしていらっしゃるのに、佇まいは力強く……何より、世界を創生した女神様の使徒たる眩いお方。
わたくしは、きっと貴方様と出会うために生まれてきたのですわ」
「いや、そんなはずは……それに僕が女神の使徒とかとんでもない誤解で――」
「いいえ、そんなご謙遜はいけません。わたくしにはわかります。貴方様こそが勇者殿を導く尊きお方なのです。
貴方様にとって、わたくしなど虫ケラの如く儚い人間でしかないことは重々承知しておりますわ。でも、どうか……どうか、たとえいっときの慰めとしてでも構いません。どうかわたくしをおそばに」
助けろ、と目で訴えるカシェルに、私は首を振った。
できあがっちゃった乙女に横槍を入れるなら命をかける必要があるけれど、私は自分の命が惜しい。カシェルには笑顔のサムズアップを返す。
「カシェル師匠、よかったですね」
「いや、よくな――」
「まあ、勇者様もわたくしたちを祝福してくださるのですね!」
「カシェル師匠は前にお嫁さんが欲しいって言ってましたし、お姫様はとても美人なのでお似合いだと思います!」
「そんなこと言ってません!」
「まあ! まあ! わたくしを妻として迎えてくださるのですね!」
「そんなの、ひと言も――」
勇者ゴリラであるテル坊から善意の援護を受けた姫は、事実を捻じ曲げてでもカシェルと結婚する気らしい。
ガリルーもノリノリで祝福の音楽を奏でている。
姫を見守るドラゴンの顔も心なしか微笑ましげだ。
本来なら、魔王を倒したテル坊が彼女と結婚して次の王となる……というのがシナリオの大筋の流れだが、私はビッグウェーブには全力で乗っかる主義である。
姫がここまで言うのだ。無粋な真似はしたくない。
それに、姫なら城にもうひとりいる。
テル坊にもワンチャンある。
「カシェル、おめでとう」
満面の笑顔で肩を叩くと、カシェルの顔はしょっぱいを通り越して無になっていた。
姫様はガチムチゴリラより細マッチョ派である





