9 ダイシに乗って実家へ逃げる
走って走って、もう足がグニャグニャだわ。
たぶん、王族だけが入れるエリアは抜けたかしら。
ここからどうしよう。
それにしてもあの男!
まだ煮え繰り返っているけれど、足を引き摺り歩きながら考える。こんどは絶対に不敬。
突き飛ばし、暴言を吐いて逃げたのは私。
でもそれよりも問題はエレノアだわ。
あなた、何をやってるのよ。
私は過去を思い出してまだ一週間も経ってないけれど、この国が王政である事はわかるわ。
自分から告白するなんて、王族の婚姻も、聖女の婚姻も王命なのに。
エレノアは、どれだけ好きだったのかしら、王太子殿下を。
でもその記憶がないのよね。
それにレイナルド殿下の記憶も何にもなかった。
それにしても困ったわ。
足が痛い。軟弱エレノア、もう大嫌いよ。
あれ?ここ、厨房に近いところ。
この前マーサとダイシを持って来た場所ね。
そうだ、ふふふ。
一時間後、厨房係のお仕着せ姿で、ダイシを押し、王城の裏門にいた。
着ていた服はダイシの木箱へぎゅうぎゅう詰めにし、その上から、下げ渡し用の野菜をいっぱいに盛り付けてある。
裏門の騎士がこちらを見る。
私は厨房係の白いフリルのついたメイドキャップを深く被って、騎士に伝える。
「鈴蘭の聖女様から修道院への下げ渡しです、明日の朝の炊き出しの為に先にヴァルト侯爵様のお屋敷へ急いで持って行くようにと、侍女様より仰せつかりました」
「こんな時間に大変だな」
「聖女様が、飢える人に早く行き渡るようにと」
「出てよし、とにかく急いで帰ってくるように」
「はい、ありがとうございます」
王城は入る時が大変、そして出るのは簡単。
入り鉄砲に出女だっけ?
ここから修道院までは馬車で半刻はかかる、侯爵邸までは近い。
ちょっと悪さを思いついた。
台車の持ち手を前側にして、木箱の上に膝立ちになって乗る。
そして、少しずつ魔力を流す。
そろそろと台車が動き出す。もう少し魔力を足す。
海外赴任中、会社内の巨大敷地内を移動するのに、みんな乗ってたのよ。電動ボードみたいなの。
王城から貴族街までは軽い下り坂。
ふふっ。風を切って走り出す、ヒャッホー。
あっという間に侯爵家の門の前。なんだか久しぶり。
大きな門の前に、台車から降り立つ。
二人の門番が剣に手をかけながら様子を伺っている。
「私よ」
私はメイドキャップをはずした。
「お嬢様!」
「緊急で帰って来たの」
「お、お待ちください」
一人の門番が転げるように邸の玄関へ飛んで行った。
◇
ヴァルト侯爵の執務室
「それで勝手に戻って来たと?」
一部始終をお父様とお母様にお話したところ。
「はい不敬も処刑も覚悟の上です」
「ねえエレノア、あなた、本当に覚えてないのよね」
「はい、記憶が抜け落ちています」
「わたくしは信じるわ」
「お母様」
「だって、今のエレノアは別人だもの、こんな子じゃないわ、ねえあなた」
「確かに。こんな言いたいことを言う娘ではなかったな」
え?そこで判断する?お母様お父様も割とひどい。
「では神の啓示を受けて、過去を忘れて、急に動きたくなったと?」
お父様に頷いて見せる。
「でお前は記憶にないが、王太子殿下にその祈りで身を捧げようとしたのだな?」
「その祈りを使った記憶はありますが、王太子殿下に向かって祈った記憶はございません」
なんだか政治答弁みたい。
「ねえ、あなた」
お母様のこの言葉は、お父様を促す言葉。お母様は私の味方。
「うむ、親から見ても嘘をついてると思えぬ、ただ、未婚の娘だ、今後、木箱で移動するのはやめなさい、危険だ」
「はい、お父様、以後、気をつけますわ」
「とりあえず、陛下と王妃様にはお知らせせねばなるまい。もう夜も更けた、下がりなさい」
「お父様、不敬は受け入れる覚悟をしております」
「わかった、その話は、また改めよう」
そしてお母様と私はお父様の執務室を辞した。
その夜は、エレノアの部屋で、凛子にとっては初めての侯爵令嬢の部屋でぐっすりと眠った。
なぜか、台車は取り上げられた。
不定期更新ですが、完結します。
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