完成しない料理
レインとグランが旅を始めて五日が経っていた。
街を二つ越えた。
村を三つ通った。
ラストライトはまだ遠い。
それでもグランは毎日機嫌が良かった。
「次の街には楽しみがある。」
朝からそんなことを言っている。
「楽しみ?」
「ある。」
「ラストライトですか。」
「違う。」
即答だった。
レインは呆れたようにため息を吐く。
「じゃあ何です。」
グランはニヤリと笑った。
「飯だ。」
その日の夕方。
二人は石壁に囲まれた小さな街へ辿り着いた。
日が沈み始めた通りを進み、
グランは迷いなく一軒の店へ入る。
看板には鳥の絵が描かれていた。
扉を開けた瞬間、
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
油の香り。
香辛料の香り。
腹が鳴りそうになる。
「久しぶりだな!」
グランが声を上げた。
奥の厨房から男が現れる。
大柄な男だった。
腕は太く、
髪には白いものが混じっている。
だが目だけは若かった。
「グランか。」
「生きてたか。」
「お前こそな。」
二人は笑った。
古い友人らしい。
「こっちはレインだ。」
男は一瞬固まった。
「……あのレインか。」
「元、です。」
レインは答える。
男はしばらく見つめていたが、
やがて笑った。
「そうか。」
それだけだった。
余計なことは何も言わない。
レインは少しだけ気が楽になった。
しばらくして料理が運ばれてくる。
黄金色のチキンだった。
特別な見た目ではない。
だが妙に美味そうだった。
レインは一口食べる。
驚いた。
肉が柔らかい。
衣は軽い。
噛むたびに旨味が広がる。
気付けば二口目を食べていた。
「うまい。」
自然と言葉が漏れる。
男は満足そうに笑った。
「まだまだだ。」
レインは顔を上げる。
「まだ?」
「世界一には遠い。」
レインは思わずチキンを見る。
十分すぎるほど美味い。
これ以上があるのかと思った。
「世界一のチキンを作る。」
男は当然のように言った。
「それが俺の夢だ。」
グランが笑う。
「まだやってたのか。」
「当たり前だ。」
男は腕を組んだ。
「三十年だぞ。」
「三十年?」
レインが聞き返す。
「三十年前から同じこと言ってる。」
グランが答えた。
男は悪びれもしない。
「まだ完成しない。」
レインは首を傾げた。
「完成したと思ったことは?」
男は少し考えた。
「何度もある。」
そう言って笑う。
「でも次の日になると気付く。」
「もっと良くできる。」
「この香辛料を変えたらどうだろう。」
「揚げる時間を少し変えたらどうだろう。」
「肉の切り方を変えたらどうだろう。」
男は楽しそうだった。
本当に楽しそうだった。
「完成しないんですか。」
レインは聞く。
男は頷く。
「しないな。」
「じゃあ、いつまで続けるんです。」
その問いに、
男は不思議そうな顔をした。
まるで考えたこともないように。
「死ぬまでじゃないか。」
当たり前のように言う。
レインは言葉を失った。
男はチキンを見つめる。
その目は職人の目だった。
「完成しないから面白い。」
静かな声だった。
「完成したら終わっちまう。」
その言葉に、
レインは少しだけ胸が痛んだ。
完成したら終わる。
自分はそうだった。
ラストライトへ辿り着いた。
夢だった場所へ。
そして終わった。
何も残らなかった。
「やっぱりうまかった。」
食事を終えたグランが満足そうに言う。
「そんなに好きなんですか。」
レインが聞く。
グランは少し考えた。
そして笑う。
「もし明日死ぬなら。」
「?」
「最後の晩餐はこれがいい。」
男が吹き出した。
「安い人生だな。」
「うるさい。」
二人は笑う。
レインは黙ってその様子を見ていた。
不思議だった。
夢を追う人間はもっと苦しそうなものだと思っていた。
もっと険しい顔をしていると思っていた。
だが違う。
グランも。
この料理人も。
なぜか楽しそうだった。
店を出る頃には、
空に星が浮かんでいた。
宿へ向かう道を歩きながら、
レインは空を見上げる。
完成しないから面白い。
その言葉が頭から離れなかった。
自分は夢を終わらせてしまった。
だが。
もし終わらない夢があるなら。
それはどんな景色なのだろう。
レインはそんなことを考えながら、
静かな夜道を歩いていた。




