出発の朝
レインが旅に出ると妻へ伝えたのは、その日の夜だった。
夕食の時間だった。
焼きたてのパンの香りが部屋に広がっている。
いつもと変わらない食卓だった。
「旅?」
妻は首を傾げた。
「うん。」
「仕事?」
「違う。」
レインは少し考えた。
どう説明するべきかわからなかった。
ラストライトへ挑む老人がいる。
その老人に興味を持った。
だからついて行く。
口にすると変な話だった。
「グランさんを手伝う。」
結局、そう答えた。
「ああ、あの人。」
妻は納得したように頷いた。
ギルドで何度か顔を合わせている。
「また迷宮?」
「たぶん。」
「危ない?」
「危ない。」
即答だった。
妻は少し黙った。
レインはパンをちぎる。
怒るだろうかと思った。
止めるだろうかと思った。
だが。
「そっか。」
妻は笑った。
「楽しそうだね。」
レインは顔を上げた。
「そう見えるか?」
「見える。」
彼女は迷いなく言う。
「最近のレイン、ずっと退屈そうだったから。」
その言葉に返事ができなかった。
自覚はあった。
「行ってきなよ。」
妻はパンを口に運ぶ。
「帰ってくるなら。」
あまりにもあっさりしていた。
レインは思わず笑った。
「心配しないのか。」
「するよ。」
妻も笑う。
「でも。」
少しだけ真面目な顔になる。
「レインが何かに興味を持つの、久しぶりだから。」
窓の外では夜風が吹いていた。
レインは何も言えなかった。
翌朝。
まだ日も昇りきっていない時間だった。
街の門の前にグランが立っていた。
大きな荷物。
擦り切れた外套。
何十年も使い込まれた槍。
その顔は少年のようだった。
「来たか!」
「来ました。」
グランは豪快に笑う。
「途中まで付き合ってくれるだけでも助かる!」
「最後まで行くかもしれませんよ。」
冗談半分で言った。
グランは目を丸くする。
そして大笑いした。
「それは最高だ!」
朝日が昇り始める。
街が黄金色に染まっていく。
レインは振り返った。
遠くに自分の家が見える。
妻はまだ寝ているだろうか。
それとも起きているだろうか。
不思議だった。
ほんの少しだけ。
本当にほんの少しだけ。
明日を待つような気持ちに似たものが胸の中にあった。
「行くぞ。」
グランが歩き出す。
レインも続く。
石畳の道を離れ、
まだ誰も踏んでいない朝露の草原へ。
長い旅が始まった。




