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【番外編】鳥籠に咲いた愛の花  作者: 朝凪
2章 番外編

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9/12

オーギュストの依頼

時系列的には、パトロン大戦争の頃くらいです

ある日。画家アルバートは「作品を持ち込む芸術家」ではなくーーオーギュスト本人に静かに呼び出された

場所は屋敷の1室。調度品のひとつひとつに格が宿り、空気さえも軽々しく喋るのを許さないような、ヴァルモン家の静謐が満ちている

アルバートが緊張しながら椅子に腰を下ろすと、オーギュストは机の上に1枚の写真を置いた

古い紙の匂いがする。角は丸く、丁寧に保管されてきたことがわかる。それだけで、オーギュストにとってどれほど大切な物かが伝わった


アルバートが写真に目を落とした瞬間、背筋がぞくりと震えた

そこに写っていたのは、美しい吸血鬼たちの家族だった

父と母。気品と柔らかさを併せ持つ2人の顔は、写真の中で穏やかに微笑んでいる

幼いオーギュストは父の隣で凛と立ち、母の腕には赤子のエレオノールが抱かれていた

赤子は小さな手を握りしめ、今にも泣き出しそうな、けれど宝物みたいに守られている表情をしている

絵ではなく写真だというのに、息を飲むほど“完成された美”がそこにあった

その美しさが、逆に怖い

美しすぎる家族写真は、幸福の証であると同時に、喪失の深さを突きつけてくるからだ

アルバートは思わず顔を上げた

オーギュストは、いつも通りに整った表情のままーー目の奥に底知れない深い影を抱えていた


「それを元に絵を描いてくれ」


低い声が室内に落ちる

命令ではない。けれど断れない重さがある。ヴァルモン家の長としての威厳が、言葉の端々に滲んでいる

そして、威厳の下には、誰にも見せない悲しみが沈んでいた


「母上と父上の、生きた証を残したいのだ」


アルバートは胸が詰まった

画家として、依頼主の願いを形にすることは仕事だ。だがこれは“仕事”の顔をした祈りだ

残したいのは肖像ではない。喪失に飲み込まれないための、灯火のようなものーー


「……承りました」


それだけ答えると、アルバートは写真を丁寧に受け取った

指先が震えないように、呼吸を整えながら

そして心の中で誓う。これは、上手く描くだけでは足りない。彼らが“そこにいた”と、誰もが信じられるようにしなければならない、と


制作の日々は、重く、そして静かだった

アルバートは何度も写真を見返し、目元の陰影、口角の上がり方、家族の距離感ーー細部を拾い上げていく

父の手は、幼いオーギュストの肩にわずかに置かれている。その角度は「誇り」と「守護」を同時に語る

母は赤子を抱きながらも背筋が伸びている。慈愛だけではない。吸血鬼の貴族としての矜持がそこにある

幼いオーギュストの視線は、まだ幼いながら真っ直ぐだ

そして、赤子のエレオノールは小さすぎて、表情の記憶が今に繋がっていない存在。その“曖昧さ”こそが、あとで涙になるのだろうと、アルバートは直感していた


絵具を重ねるたびに、写真の中の家族が少しずつ“帰ってくる”

それが嬉しいのに怖い。戻らないものを戻す行為に、画家はどこまで踏み込んでいいのか

けれど、アルバートは筆を止めなかった

止めたら、この祈りだけが宙ぶらりんになってしまう


そして、完成の日

ドローイングルームに、新しい絵が運び込まれた

柔らかな光が差し込む部屋の壁に、深い色調の額縁が掛けられる

絵布の前には、オーギュスト、エレオノール、紫苑、そしてアルバートが揃っていた


アルバートが布を外すと、空気が変わった

そこに“ヴァルモン家”がいた

父と母は、写真の再現ではなくーー生きている者のように存在していた

2人の視線は穏やかなのに、家族の背後には揺るがない強さがある

幼いオーギュストは、今の彼へと繋がる芯の硬さを持ち、赤子のエレオノールは、抱かれる幸福そのものとして描かれていた


しばらく誰も言葉を発せなかった

絵の前で言葉を出すことが、礼を欠くように思えたからだ


最初に口を開いたのはオーギュストだった

声は震えていない。けれど、その静けさが、逆に胸を締め付ける


「素晴らしい……父上と母上が、ここにおられる」


その言葉が落ちた途端、エレオノールが小さく息を呑んだ

彼女は絵に近づき、まるで確かめるように父母の顔を見る

次の瞬間、唇が震えーー涙がこぼれた


「うぅ……」


紫苑が驚いて彼女の名を呼ぶ


「エレオノール!?」


彼女は慌てて袖で涙を拭こうとし、けれど拭い切れずに、声を絞り出した


「わ、わたくし……お母様とお父様の記憶が曖昧なの。だから……会えて嬉しいわ……」


吸血鬼として永く生きることは、記憶を永遠に持ち続けることではない

時間が長いほど、幼い日の輪郭は霞む。忘れたくないほど大切なものほど、触れるのが怖くて、心の奥にしまい込んでしまう

エレオノールは、まさにそれだったのだろう。愛しているのに、記憶がぼやけてしまう苦しさ。思い出せない罪悪感

そして、今ここでーー絵として“会えた”幸福

紫苑は彼女の肩を抱き、静かに頷いた


「そうか……よかった」


それ以上は言わない。言えば壊れてしまう気がしたから

ただ、彼女の涙を受け止めることだけが必要だと悟っていた

アルバートは、画家としての達成感とは別の感情に胸を満たされていた

――描いたのは肖像画だ。けれど、今この部屋で起きているのは“再会”だった


オーギュストは絵を見つめたまま、低く告げた


「この絵は、私が買う。我が家のドローイングルームに飾る」


それは当然の決定であり、同時に宣言でもあった

父母の不在を嘆くだけで終わらせない。彼らが確かに生きた証を、家の中心に置く

この屋敷の“心臓”として

アルバートは深く頭を下げた


「……ありがとうございます」


その言葉の中には、報酬への礼だけではない

彼らの祈りに、自分の手を差し出せたことへの礼が混じっていた

絵は、壁に掛けられた

柔らかな光の下で、父と母が微笑んでいる

幼いオーギュストがそこに立ち、赤子のエレオノールが抱かれている

時は戻らない

けれど、証は残る

その夜、ドローイングルームには確かにーー失われた家族の温度が、ほんの少しだけ戻ってきたのだった

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