エレンの同僚と姫
〜ケンタ〜
新人ホストのケンタ。笑顔がまっすぐで、声もよく通る
勤務初日、彼は紫苑を見て目を輝かせた
「エレンさんって……噂通り、枕やらないんすね」
紫苑はグラスを拭きながら、淡々と返した
「やらない。必要ないから」
その言い方が、ケンタには“強さ”に見えた
だから、彼は勝手に弟分のように懐き、仕事の片付けまで手伝い始める
紫苑が疲れている時は、何も言わずに水を置き、氷を足し、タオルを渡す。派手な気遣いではないが、真っ直ぐだ
ある日、客引き中に酔客に絡まれ、ケンタが胸倉を掴まれた。紫苑は音もなく近づき、酔客の手首を“ほどく”ように外した。痛めつけない。ただ、笑わずに言う
「この子は商品じゃありません。帰るならタクシー呼びますけど」
その夜、ケンタは裏口で震えながら言った
「……俺、もっと強くなります。エレンさんみたいに」
紫苑は少しだけ困った顔をして、例のハンカチを一瞬だけ見つめた
「強くなる必要はないよ。まっすぐでいればいい」
ケンタはそれを“命令”だと思った。だから、後にエレオノールを見つけた時も、彼はまっすぐに店へ連れて行く
それが、自分の役目だと信じていたからだ
〜ショウ〜
「エレンくーん。今日も“清らか”だねぇ」
「……仕事中に言うことじゃない」
「仕事だろ? ホストの」
ショウはわざとらしく肩をすくめる。背後では姫がくすくす笑っていた
「リシャール入れてもらってさ、頬にキス1つもなし?お前、聖人か何か?」
エレンは笑わない。だが、目だけが冷える
ショウはその“冷え”が癖になっていた。ーー挑発すれば、闇が覗く。覗けるほど、相手の価値が上がるとショウは思っていた
ーーある夜、雫が苛立ちをぶつけていた
「ねえエレン。私、今月だけでいくら使ったと思う?」
「……ありがとうございます」
「じゃあ、枕」
瞬間、ショウは舌打ちした。冗談なら笑えた
だが、雫の目は本気だった
「おいおい。姫が言うことじゃねーだろ」
エレンが低く言うより先に、ショウが割って入った
「“やらない”って言ってんだろ。聞こえねぇの?」
雫が睨み返す
「あなたには関係ない」
「関係あるさ。店の品位の問題」
口ではそう言いながら、ショウは自分でも意外だった。いつもなら面白がって見ていたはずなのに
エレンはショウの横顔を一度だけ見た
「……助けなくていい」
「うるせ。俺が見てらんなかっただけ」
ショウはそう言って煙草を消した
あとでレンに言われた
「お前も変わったな」
「うっせ。……あいつの“拒む顔”は、嘘じゃない」
ショウは気づいてしまったのだ。エレンが枕を拒むのは、売り物にしない矜持じゃない。もっと深い場所に、触れられたくない傷がある
それを笑うほど、ショウはもう若くなかった
〜レン〜
レンはベテランで、店の空気を読むのが上手かった
誰が病んでいるか、誰が調子に乗っているか、誰が限界か。そういうのを鋭く嗅ぎ分ける
エレンがホストとして出るようになった頃、レンは言った
「お前、売れるぞ。……でも、無理はすんな」
「無理はしない」
「それが一番信用ならねぇ」
レンは笑って、エレンの肩を軽く叩いた
ある夜、姫同士の揉め事が大きくなり、フロアが荒れた。エレンの席を狙う姫が、別の姫に水をかけ、叫び声が飛ぶ
新人ホストが慌てて止めに入ろうとして、逆に怒鳴られて固まった
その時、レンが前に出た
「はいはい。喧嘩するなら外でやれ。ここは店だ」
声は低く、笑っているのに凄みがある。姫たちは一瞬で静かになった
レンはそのあと、エレンにだけ聞こえる声で言う
「お前は“綺麗”だからこそ、危うい。……線、引けよ」
エレンは少しだけ目を細めた
「線は引いてる」
「ならいい。俺が守る」
レンは酒を飲む。酔っているようで、視線は鋭い
エレンが枕営業を断って揉めた時も、レンは間に入った
「エレンはそういう男じゃねぇ。欲しいなら他に行け」
言い方は乱暴だが、店の空気を守る言葉だ
レンはエレンの“聖人”っぷりを称えるわけではない。ただ、夜の店に必要な“線”を守るために、エレンのやり方を肯定している
だからエレンも、この酒臭い兄貴に救われていた
〜麻おばあちゃん〜
鈴木麻は72歳のおばあちゃん
彼女の目的は派手な遊びじゃない。若い子と話して、笑って、心を温めること
「こんばんは、エレン。今日も元気?」
「麻さん。来てくれて嬉しいです」
上品な和服に、真珠のブローチ
年齢を重ねた優しさが漂う
「ねえ、あなた。今日はスーパーでね、“ポイント3倍”の日だったの」
「それは……戦いですね」
「そうよ。戦いよ。あなたも負けないで」
エレンが笑うと、麻は満足そうに目を細めた
ある夜、麻はエレンの手を見て言った
「……あなたの手、冷たいね」
エレンの笑みが一瞬だけ止まる
「仕事柄、冷えやすいんです」
「嘘つき。冷えやすいんじゃなくて、“冷やしてる”手よ」
麻は責めない。ただ、そっとハンドクリームを差し出した
「塗って。いい香りよ。柚子」
「……ありがとうございます」
「ありがとうじゃないの。生きるのは、手間がかかるの。手間をかけていいの」
麻は時々、エレンに昔話をする。戦後の闇市、若い頃の恋、友達を失った話……
暗い話でも、麻の言葉は希望がある
「ねぇエレン。あなた、誰かをすごく大事にしてるでしょ」
エレンは答えない。代わりに、胸元の内ポケットを無意識に押さえる。ハンカチがある場所
麻はそれを見て、微笑んだ
「大事なものがあるなら、それだけで十分。……でもね、“大事にされる”ことも覚えて」
帰り際、麻は小さな紙袋を置いた。中身は市販のクッキー
「夜に甘いもの、罪じゃないわ」
エレンは袋を抱え、静かに頭を下げた
麻の席はいつも、騒がしい店の中で小さな“居間”みたいだった
〜森野雫〜
森野雫は、強い女だ
28歳でバリキャリ。美人でプライドが高い
ホストクラブに来る理由も明快だ
ーー自分が“勝てる場所”で勝つため
彼女はエレンにリシャールを入れた
高級シャンパンの泡が上がるたび、雫の勝利欲が満たされる
「ねえ、エレン。私ってすごいでしょ」
笑いながら言う声は可愛いが、目が真剣すぎる
エレンは淡々と返した
「すごい」
「もっと言って」
「……すごい」
雫は満足しない
その夜、彼女は距離を詰めた
「ねえ。枕、してよ」
フロアの音が遠のく
雫は笑っている。冗談みたいに。でも目は冗談じゃない
“リシャール入れたんだから、対価をよこせ”という目
エレンは一拍置いて、静かに言った
「しない」
雫の笑顔が消える
「……なんで?」
「嫌だから」
「私が嫌?」
「行為が嫌」
雫のプライドが傷つく音がした
彼女は勝ち気だから、断られたことがない
だからこそエレンに執着する
「じゃあ、私は何を買ったの?」
雫が言う
エレンは、冷たくも優しくもない声で答えた
「夜の時間……かな」
その言葉が、雫を黙らせた
夜の時間。それ以上でも以下でもない
雫はその夜、初めて“負け”を知った
けれど、怒りより胸の奥に残ったのは、「この男は本当に自分を売らない」という奇妙な信頼だった
雫は帰り際に言った
「……次も来る。絶対、負けたまま終わらない」
エレンは小さく頷いただけだった
その無表情が、雫の勝負心に火をつけ続けた
〜朝凪すず〜
朝凪鈴は若い売れっ子小説家。ホストクラブへ“ネタ探し”に来る変わり者だ
シャンパンよりも会話を飲む。人の表情を肴にする。正直言って厄介な人
「ねえエレンさん。あなたの“闇”って物語があります」
初対面でそんなことを言う女だ
しかし枕をねだらないので、紫苑にとってはありがたい客だった
ある夜、紫苑がハンカチを落とした。朝凪はそれを拾い上げて目を細める
「……ただのハンカチじゃない。上質な布に、丁寧な刺繍。でも拙さも残ってる……?」
紫苑の背中が一瞬だけ硬くなる
「返して」
朝凪はすぐに返した。そして、いつもの軽口を消して言う
「ごめんなさい。これは“触っちゃいけない”ものでしたか」
その理解の速さが、紫苑には救いだった
「……そのハンカチをいつも身につけている理由、わかった気がします」
紫苑は否定しない。肯定もしない
朝凪は静かにメモを取る
「次作のタイトル決めた。“夜の男の宝物”」
紫苑は内心でため息をつく
朝凪は姫でありながら、観察者であり、記録者であり、時々“味方”だった
〜マダム・ミヤコ〜
マダム・ミヤコが初めてエレンを指名した夜、彼はまだ新人だった
マダムは席に座るなり、値踏みもせずに言った
「あなた、枕はするの?」
店が凍る。新人にそれを聞くのは残酷だ
でも、マダムはあえて切り込んだ
エレンは逃げずに答えた
「しません」
即答
「……理由は?」
「約束があるから」
「いいわね」
その「いいわね」が、恐ろしいほど重かった
女王が“エレン”を認めた瞬間だ
その夜、マダムはブラックパールを入れた
その価格3500万。新人には過ぎる額だ
店がざわつく
エレンは青ざめた顔で言った
「……こんなに、いただけません」
「受け取りなさい。これはね、あなたの“枕をしない価値”よ」
それ以来、マダムはエレンの太客になった
ただ甘やかすわけじゃない
時に試す。時に挑発する
そして、エレンが折れない事を確認する度に、満足そうに笑う
「エレン。あなたは品がある。その品を捨てたら、私はあなたを捨てるわよ」
それは脅しではない。宣言だ
女王は“美しいもの”を愛するが、堕ちた美しさには興味がない
エレンはマダムを怖いと思いながら、同時に感謝していた
この人がいなければ、自分は夜に飲まれていたかもしれない
粋で縛る女は、時に救いにもなる
だからエレンは、マダムが微笑むたび、背筋を正す
それが彼の“生き残り方”だった
リアクションとか頂けると、作者は踊って喜びます
よろしくお願いしますm(__)m




