第7話 はじめの1歩
『あたし、ちょっとやってみたいことがある、かも!』
そんなフォルの発言から少し。彼女へ向けて突進する魔獣の姿を、優、春樹、シアの3人は少し離れた木の影から観察していた。
イノシシが魔獣化したのだろうか。土気色をした体毛に覆われる体長は1mほどだ。
魔獣らしい特徴と言えば、樽のような胴体から生える短い6本の脚。頭からは鹿のような角が生えていた。
「フォルさん! 牙と角に注意です! 特に角! 避ける時はかなり余裕を持って避けてください!」
「わ、分かった!」
先輩としてのアドバイスを行なう優に、了承を返すフォル。そんな彼女へ向けて、魔獣は猪突猛進だ。
討伐に慣れている優たちならまだしも、フォルはまだ自らの手で魔獣を倒したことがない。本能的な恐怖ですくむ心と体を奮い立たせる理由を、彼女は持ち合わせていない。
さらに、イノシシの魔獣と言えば前回、フォルがやらかした際にも接敵した相手だ。シルエットは大きく違うとはいえ、否が応でも前回の失敗が脳裏をよぎる。
フォルの身体は縮こまってしまい――
「く……っ!」
かなり危ういところで魔獣の突進を回避することになった。
角が身体をかすめそうになったが、持ち前の柔軟性を使って器用にかわす。が、どうしても体勢が崩れてしまう。ここは無理せず地面を転がってから、素早く立ち上がることにした。
幸い、魔獣がすぐに踵を返すことは無い。木々の合間を大きく迂回しながら、再びフォルへ向かってきた。
(落ち着いて、冷静に……)
意識して深い呼吸を繰り返しながら、向かってくる魔獣へ赤い瞳を向けるフォル。
(引き付けてから〈魔弾〉を撃つ……いま!)
先輩に言われたことを心の中で復唱しながら、パチンと指を鳴らす。と、虚空に四分音符が現れた。
空中を滑るように魔獣へ向けて飛んでいく音符。見た目こそ可愛らしいものだが、そこは天人が使う〈魔弾〉だ。命中すれば、今回のような小型の魔獣を容易に吹き飛ばすことができる。
ただ、やはりそれは“命中すれば”の話だ。
1年間魔獣討伐をしてきたシアでさえ命中不安を抱える〈魔弾〉だ。討伐初心者のフォルは言わずもがなだろう。
さらに、フォル自身は魔獣を十分に引き付けたつもりなのだが、その実。魔獣との距離は10m以上もある。
ゲームの敵のように規則的な動きをするならともかく、魔獣は曲がりなりにも生物だ。遠くから飛んでくる攻撃に当たってくれるようなことはしてくれない。
軽やかに水色の音符をよけた魔獣は、改めてフォルを捕食しようと迫ってきた。
しかも、今度は確実にフォルを捕食しようと、大きく口を開く。この魔獣の場合、下あごが2つに割れてさらに口を大きくできるようだ。
日常生活ではまず見ない奇異な魔獣の変化。授業で資料映像は見たことがあるとはいえ、実際に目にするのは話が違う。まして、自分が捕食対象になっているのであれば、恐怖と嫌悪感は倍増だ。
「フォルさん!」
再び恐怖で身体を硬直させてしまっているフォルに、シアが思わず飛び出そうとする。だが、彼女に待ったをかけたのは他でもない、フォル自身だ。
「来ないで!」
いつになく強い拒絶の言葉に、ヒュッとシアの喉が鳴る。反射的に足を止めてしまえば、もうフォルに駆けつけるだけの時間は無くなってしまった。
もはや祈ることしかできなくなったシアの視線の先。先ほど同様、なかなかいうことを聞いてくれない四肢を無理やり動かして、フォルはどうにか横に転がる。
ただ、今回は少しだけ回避が遅かったようだ。
イノシシの魔獣の牙がフォルの腕をかすめる。なまじ簡単に切れないように縫製されている学生服だ。切り裂かれることこそないものの、牙は袖に引っかかり、
「ぐっ!?」
フォルはなぎ倒されるようにして、地面を転がることになった。
「「「フォルさんっ!」」」
悲鳴混じりに親友の名前を呼ぶ優たち。
季節は梅雨。今は雨が降っていなくとも地面はぬかるんでいる。フォルのきれいな顔も、白髪も、真新しい学生服も、泥まみれだ。
今しがた転んだ際に背中を打ち付け、呼吸もままならないらしい。優たちであれば比較的容易に討伐できるだろう魔獣を相手に、フォルはまさに満身創痍といった様相だ。
それでも。
「あ……あたしなら大丈夫、シアちゃん。瀬戸くんも、神代優も。それ以上はこっちに来ないで、ね……」
おぼつかない足取りながら地面を踏みしめ、立ち上がったフォル。ちらりと背後を振り返り、こちらに駆け寄ろうとする仲間たちを言葉と視線で縫い留める。
そもそもフォルがこうして単身、魔獣と戦うことになっているのは、フォル自身の提案によるものだ。
不登校で、人生の半分以上を1人で過ごしてきたフォル。アイドルとしてもソロ活動を続けてきた彼女には、集団行動というものの経験が乏しい。
そんな中で命がけの連係をしようにも、一般人以上に時間と手間がかかる。
『だったら、あたしは1人で戦う』
それこそ、フォルが導き出した自分なりの戦い方だ。
ここで言う1人とは、なにもソロで魔獣討伐に当たるということではない。フォルにとって、シア達と一緒に戦うのは大前提だ。
ゆえに彼女の言う「1人で戦う」とは、最前線に立ち、魔獣からの敵意を一身に引き受けるというものだ。
『これだったら、シアちゃんの負担も減らせるはず』
フォルが言ったその作戦は「魔力が多い者は後衛から〈魔弾〉で攻撃」という、特派員のセオリーと真逆のものだ。
さらに、天人は魔力持ちに比べ、魔獣に捕食された際のリスクがあまりにも大きい。魔獣が権能を使えるようになってしまう可能性があるからだ。
ゆえに優たちはもちろん、フォルの提案を拒否しようとした。しかし、
『現状、前衛が無視されてシアちゃんだけが魔獣の標的になってる……。それって、あたしが前衛に立って狙われるのとどう違うの?』
フォルからの指摘には、すぐには言い返せなかった。
『もちろん、セルに天人があたししかいないなら、シアちゃんと同じポジションを務めるべきだと思う。けど、2人居るんだったら、あたしが囮になってシアちゃん達が魔獣の隙をつく方が効率いい……よね?』
しかもこの方法の肝となるのは、フォルではなく優たちが彼女に合わせるという点だろう。
まだ特派員としても、集団行動の経験も浅いフォル。繰り返しになるが、彼女には連係のノウハウがない。ならば――
『――経験豊富な神代優たちが、あたしに合わせればいい』
なんとも傲岸不遜なフォルの物言いに、優たちは開いた口がふさがらなかった。だが同時に天人らしいとも思ったし、奇妙な説得力もあった。
そこまで言うなら小型の魔獣を相手に試そうという話になったのだが、フォルが言う作戦を行なうには、前提として“個の力”が求められる。
特に囮となるフォルは、魔獣と渡り合える度胸と実力を身に付けなければならない。
『こればっかりは、たくさん魔獣と戦って討伐した経験……“自信”が大切だって、俺とシアさんは進藤さんに教えてもらったんですが……』
かつて外地演習の時にお世話になった特派員、進藤進の言葉を借りた優の言葉を受けて、フォルが提案したこと。それが、単独での魔獣討伐だ。
1人でも魔獣を討伐できた。そんな成功体験があれば、多少なりとも自信を身に着け、魔獣への恐怖心が薄れるに違いない。
(だから、フォルさんが1人で魔獣を倒すことに意味がある。分かっています……分かっている……のですが!)
木陰に戻ってフォルを見守るシアの顔には、ありありと心配の色が浮かんでいる。正直、胃に穴が開きそうな勢いだ。
「こ、こんなことなら私が囮役になります!」
フォルが危険な目に遭うくらいなら、自分が。そう言って再び飛び出そうとするシアを、春樹と優が全力で止める。
「待て待て、シアさん! その場合、自衛できないフォルさんが後衛で魔獣に襲われた場合がヤバい!」
「春樹の言う通りですシアさん。フォルさんは俺たちを……いや、もっというならシアさんを信頼して、あの作戦を提案してくれたはずです」
「そ、それは……そうかもしれませんが……」
優の言葉に、口をつぐむことになるシア。
魔獣と常に渡り合うことになる前衛は、言うまでもなく恐怖が付きまとう。まして、ついこの間まで魔獣との接敵経験がなかったフォルからすれば、覚える恐怖は優たちのそれと比べ物にならないだろう。
それでも彼女は前衛を務めることを提案した。
あの時のフォルの言葉と瞳から「なにがなんでもシアを支えたい・守りたい」というフォルの覚悟を感じ取った優。共に戦う仲間として、可能な限りフォルの背中を押してあげたいとも思う。
「危なくなったら、シアさんが助けてくれる。そう思ったから、フォルさんは最前線に立つ選択をしてくれているんだと俺は思うんです。……それに、ほら。もう一度フォルさんをきちんと見てあげください」
「きちんと、ですか……?」
優に勧められるがまま、再びフォルへと目を向けるシア。
そこには相変わらず、泥だらけで魔獣の攻撃をよけ続けているフォルの姿がある。反撃も叶わず、ただ懸命に回避するしかない状態のようにシアには見える。が――
(……あっ。魔獣の攻撃を、よけ続けられている……!)
最初こそイノシシの魔獣の牙をかすめてしまったフォルだが、以降は慎重に、丁寧に、魔獣の攻撃をかわし続けている。踊るような足取りや、しなやかな身体の動きは、アイドル活動で培われたものだろう。
そして、魔獣に相対するフォルの顔は真剣そのものだ。接敵当初の恐怖も、緊張も、彼女の顔には見られない。真正面から魔獣を見据える彼女の顔はまさに「特派員の顔」だ。
「あと、多分だがフォルさん。魔獣に慣れるためにあえて攻撃せず、受け身に徹してしてるんだと思うな」
「わざと、ですか、春樹さん?」
シアの言葉に、春樹はコクンと頷く。
物事に慣れる方法はいくつかある。春樹が趣味としているサッカーで言えば、ヘディングだろうか。勢いよく飛んでくるボールに頭から向かっていくヘディングは、初心者であれば誰しも恐怖が付きまとう。
そんなとき、どうすれば飛んでくるボールに慣れられるのか。
「そりゃもう、何回も何回もヘディング練習するしかないんだよな、コレが……」
根性論のようになってしまうが、数をこなすことで克服される恐怖も多い。
「だからフォルさんは、魔獣に襲われる経験を積むために、ああして攻撃され続けている、と……?」
「多分だけどな」
春樹も優も、もちろんフォルが心配だ。先ほど魔獣の牙がフォルをかすめた際も、シア同様に駆け付けようとしてしまったくらいには。
しかし、自分たちの必死に食らいつこうとしてくれているフォルの覚悟を尊重してあげたいとも思う。
そうして男子2人がいつでも駆け付けられるよう身構えつつも見守っている中。自分だけが心配のまなざしで見ていては、なんだかフォルを信頼していないように思えたシア。
(もし春樹さんの言う通りだとすれば、フォルさんにはまだ余裕があるということでもあるはずです……。だったら、私は……!)
今すぐにでも駆け付けたい想いをグッと堪えて、生まれて初めての魔獣討伐を目指す親友の姿を目に焼き付けるシア。
そうして優たちが静かに戦況を見守り続ける中、変化は唐突に訪れた。
魔獣はゲームの敵ではなく、生き物だ。
たとえ体力や身体能力が自然界の生物と比べて異常な数値を叩きだすとしても、全力でご馳走を追い続けていれば当然、体力に限界がくる。
動きは精細さを欠き、移動速度も格段に落ち始める。
(――やっと、来た)
心の中でつぶやいたフォルが、チロリと舌で唇を舐める。
相手が素早くて攻撃が当たらないなら、機動力を奪えば良いだけの話だ。そのうえで、魔獣が逃げられないような弾幕をお見舞いしてあげればいい。
やがて疲労で魔獣が足を止めた一瞬を、フォルは見逃さない。
「ここっ!」
パチンと指を鳴らしたフォル。次の瞬間には、荒く息を吐く魔獣を取り囲むようにして、五線譜と音符の檻が完成する。
「今度……こそ!」
願うような気持ちのまま、魔獣に向けて伸ばした手をフォルが握りしめると同時。
音符たちが一斉に魔獣に殺到し、雑木林を激しく揺らしたのだった。




