第9話 仕事がない
千代さんの屋敷で暮らし始めて、何日かが過ぎた。
朝起きる。
顔を洗う。
朝御飯を食べる。
それから宿へ向かい、作兵衛さんの傷を見る。
ここ数日は、それが俺の日課になっていた。
「痛みはどうです?」
「もう、ほとんど気にならねえよ」
作兵衛さんが指を曲げてみせる。
腫れもほとんど引いている。
熱もない。
傷もきれいに塞がってきた。
「うん……このくらいなら大丈夫そうですね」
「じゃあ、もう毎日診てもらわなくてもいいのか?」
「そうですね。でも、傷がちゃんと塞がるまでは、毎日飲めるくらいきれいな水で洗って、きれいな布で拭いてください。土とかで汚れるかもしれないから、山仕事はまだ休んでくださいね。何か変わったことがあったら、すぐに教えてください」
「分かった。薬師様のおかげで、腕もこの通りだ。こんなにありがてぇことはねぇよ」
よかった。
本当によかった。
最初に見た時は、どうなることかと思った。
戦国時代には、傷に使える薬や、器具がほとんどなかった。
それでも、そこにあるもので工夫することで、なんとか治ってくれた。
俺は少し安心しながら宿を出た……。
「今回は本当に運がよかったのもあるよな……。もし化膿してたら、自分じゃどうしようもなかった……」
そして、しばらく歩いたところで足を止めた。
「…………」
あれ?
明日から、作兵衛さんを見に行かなくていい……ということは。
「……俺、明日から何したらいいんだ!?」
……仕事が……なくなってしまった。
◇
少し焦りながら屋敷に戻ると、みんな働いていた。
庭を掃いている人がいる。
薪を運んでいる人がいる。
奥では女の人たちが、食事の支度で忙しそうに行き来している。
当たり前だけど、この屋敷にはこの屋敷の生活があって、一人ひとりやることがあるんだ……。
作兵衛さんの治療が俺の役目みたいになってたけど、それが終わった今……。
俺だけが……何もない……。
忙しそうにしている人を見つけては声をかけてみた。
「何か手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
断られた。
別の人にも……。
「何か運びます?」
「いえいえ、山﨑様にそのようなことをしていただくわけには」
また断られた……。
困った。
部屋に戻っても、することがない。
スマホもない。
テレビもない。
本もない。
困った……本当に仕事が……ない。
廊下を歩いていると、向こうから源右衛門さんが歩いて来た。
「信之殿、何をしておる?」
「何かできることがないか探してるんです……」
「この家にいて、俺だけ何もしないわけにはいかないから、この家のために何かできないかなと思って……」
「暇なのか?」
「……はい」
「そうじゃな……」
源右衛門さんが俺を見る。
「ならば気晴らしに、剣でも振ってみるか?」
この時代の武士の剣の強さがどのくらいなのか、体験してみたい気もするが、絶対に一瞬でボコボコにされる自信がある……。
「絶対無理です……遠慮します」
もちろん即答した。
「そうか……」
源右衛門さんも、それ以上は勧めなかった。
そんなやり取りをしていると、一人の男が通りかかった。
「源右衛門殿!」
やけに嬉しそうだ。
「先ほど、食事の支度をしている者から聞いたのですが、今日の夕餉はいつもより豪華だそうですよ」
「……そうか」
「楽しみですな」
男は満面の笑みで、そのまま走り去っていった。
俺はその背中を見送った。
「……元気な人ですね」
「あやつは昔からああだ」
それだけ言って、笑いながら、源右衛門さんも歩いていった。
仕事を探している俺より、一日働いて、夕飯を楽しみにしているあの人の方が、よほど充実してる……。
◇
結局、これといって役に立てないまま夕方になった。
夕餉には、焼き魚のほかにも、いつもより料理が一品多く並んでいた。
「おお。今日はまた豪勢じゃの」
源右衛門さんが、珍しく嬉しそうな声を上げた。
「源右衛門、今日はずいぶん機嫌がよいですね」
千代さんが少し笑う。
「これだけの料理を前にして、機嫌を悪くする者もおりますまい」
どうやら、昼間の男があれほど喜んでいたのも、この夕餉を楽しみにしていたかららしい。
「今日は何かのお祝いとかですか?」
千代さんに聞いてみた。
「いえ。最近、浜でよい魚が上がるようになったそうです。今が一番おいしい時期なのだとか」
「なるほど。旬ってことか……」
それなら、みんなが楽しみにするのも分かる。
俺も焼き魚に箸をつけた。
うまい。
何の魚かは分からないけど……。
この時代に来てから、現代なら普通に食べていたものでも、ここでは豪華な食事になるのだと分かってきた。
だからこそ、こういう日はみんな少し嬉しそうになる。
昼間の男があんな顔をしていたのも、分かる気がした。
「信之殿」
「はい?」
「今日は何をしていたのですか?」
「……仕事を探してました」
千代さんの箸が止まった。
「仕事?」
「作兵衛さんを毎日見に行かなくてもよくなったので。それで、屋敷で何かできないかなと思ったんですけど……」
「今のところ、信之殿は客人です。何もしなくてよいのでは?」
「それが落ち着かないんですよ。部屋も借りて、ご飯まで食べさせてもらってますから」
「別に構いませんが?」
「俺が構うんです」
千代さんは少し考えた。
「では、明日は私と一緒に来てみますか?」
「どこへです?」
「まだ決めていません」
「決めてないんですか!?」
「わたくしと共にいれば、何か思いつくこともあるでしょう」
千代さんにはかなわない……。
焼き魚をもう一口食べた。
うまい。
でも結局、俺の仕事は見つからなかった。
◇
その夜。
自分の部屋で横になって、天井を見た。
静かだ……。
昼間は仕事を探して歩き回っていたからまだよかったけど、こうして一人になると、本当に何もすることがない……。
「……明日、何しよう」
千代さんは、一緒に来れば何か思いつくかもしれないと言っていたけど……。
俺に何ができるんだろう……。
もちろん、答えは出なかった。
でも、理由は分からないけど、千代さんの言う通り……千代さんと一緒なら、なんとかなりそうな気がしていた。
◇
翌朝。
朝餉を終えてしばらくしてから、屋敷の外が騒がしくなった。
「どうしたんですか?」
「人が倒れた!」
「どこですか?」
何が起こったんだ……?
反射的に聞いてしまう……俺、こんなキャラだったっけ……?
案内された先には、男が横になっていた。
何人かが周りを囲んでいる。
「大丈夫ですか!」
近づいて、顔を見た。
「あ……」
昨日の男だ。
夕餉が豪華だと、嬉しそうに話していた人。
でも、昨日とはまるで違う……。
下痢と嘔吐を繰り返しているらしい。
顔が赤い。
首のあたりまで赤くなっている。
腕や腹など、その場ですぐに確認できる体の表面には、発疹のようなものが出ていた。
「痒い……」
蕁麻疹……?
男が腕を掻こうとする。
「掻かないでください。とりあえず冷やしましょう」
冷たい水で濡らした布を当てる。
「息は苦しくないですか?」
「息は……大丈夫だ……」
脈を確かめる……。
速い……。
熱はなさそう……。
下痢と嘔吐。
顔の赤み。
発疹。
痒み。
「…………」
何だ、これ……?
下痢と嘔吐があるなら、食中毒……?
「昨日の夕餉は、みんな同じものを食べたんですよね?」
近くにいた人に聞く。
「ええ、みな同じものを食べたはずです」
「この人も?」
「そのはずです」
俺も食べた。
千代さんも。
源右衛門さんも……。
それなのに、この人だけ……?
食中毒にしては、同じ症状の人がいない……。
食事とは関係ないのか……?
今の症状だけでは分からない。
何か、手がかりが欲しい。
その横で、源右衛門さんの表情が急に険しくなった。
「この者が昨夜から口にしたものを調べよ」
一瞬、何のためか分からなかった。
でも、すぐに気づいた。
ここは戦国時代だ……。
まさか……毒……?
しばらくして、一人の男が家臣に連れられてきた。
源右衛門さんの表情が、わずかに変わった。
「……お主か」
知っている人らしい。
「昨夜の食事について、少し聞きたい」
男の顔が強張った。
「わ、私は何も……」
「何か心当たりがあるのか?」
「…………」
源右衛門さんが黙って相手を見る。
空気が変わった。
さっきまで、ただの急病だった。
でも今は違う。
この人たちは、本気で毒を疑っている。
でも……、俺にはまだ、何が起きているのか分からなかった。




