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第10話 毒の疑い

「毒かもしれぬ」


 源右衛門さんの低い声に、部屋の空気が変わった。


「腹を下し、吐くだけなら食あたりとも思えよう。だが、この赤い腫れと痒みは何だ。尋常ではない」


 下痢と嘔吐だけじゃなく、顔の赤み。発疹。痒み。


 それに、他に同じ症状の人はいない……。


 毒と言われれば、そう見えなくもない。


 もしそうだとして、この症状に当てはまる、この時代の毒物……。


 だとしたら、キノコか、何かの植物あたりだろうか……?


 駄目だ。すぐには思いつかない……。


「昨夜の膳を用意したのは、お主か?」


「はい」


「その膳を、この者に渡したのも?」


「……はい」


 源右衛門さんが厳しい声で質問を始めた。


「何を出した」


「それは……」


 男は言葉を詰まらせた。


「皆と同じように……」


「同じように、何だ」


「…………」


 何かを隠しているような受け答えだ……。


 源右衛門さんも、そう感じたらしい。


「この者の膳に何か入れたのか?」


「そのようなことは!」


 男が顔を上げた。


「決して、そのようなことは……しておりませぬ!」


 明らかに声が裏返っている……。


 いやいや、怪しすぎるだろ?


 でも、この症状……何か引っかかる……。


 毒というより……むしろ、アレルギーっぽくないか?


 今の症状だけじゃ何とも言えないけど……?


「源右衛門さん」


「何だ?」


「まだ、毒と決まったわけじゃないですよね?」


「無論だ。だが、万が一毒であれば、ただでは済まぬ……。何者かの仕業ならば、次もあるやもしれん。ゆえに調べておる」


 それは、そうなんだけど……。


 念のために聞いておこう。


「昨夜の夕食と今朝の朝食は、みんな同じものを食べたんですよね?」


「そうじゃ。少なくとも、こちらで用意したものはな」


 確かにそうか……。


 食中毒を考えれば、一人だけというのは少し引っかかる。


 でも、毒を盛られたと考えれば……むしろ辻褄が合う。


 ここは、戦国時代だ。


 俺が思っているより、ずっと物騒な可能性も考えなきゃいけないのかもしれない……。


 もし本当に毒なら、次の被害が出るかもしれない。


 俺も、今の症状だけで何が原因かなんて分からない……。


 俺は料理人を見た。


「本当に、何も変わったことはなかったんですか?」


「……ございませぬ」


 一瞬、目が泳いだ……。


 源右衛門も気づいたらしい。


「殿の屋敷に連れてゆけ」


 料理人は男たちに両脇を抱えられた。


「何をするんです?」


「殿に報告し、この者を詳しく調べる」


 なるほど、この状況では何も間違っていない。


 それでも、やっぱり毒にしては何か違和感がある……。


 料理人は抵抗しなかった。


 ただ一度だけ、横になっている男と目を合わせてかすかにうなずいた。


 ……何だ? 二人して何かあるのか……?


「信之殿」


 千代さんの声に振り返る。


「何か気になりますか」


「……二人とも、何か隠してる気がします」


 千代さんは、連れていかれる料理人の背中を見た。


「私も、そう思います」


 やっぱり。


 ただ、それが何なのかは分からない。


 もう一度、患者のところへ戻った。


 赤みはまだ残っている。


 やっぱり、アレルギーの可能性について聞いてみよう。


「昨夜の夕食を食べたあと、すぐに具合が悪くなったんですか?」


「いや」


「夜は?」


「何ともなかった」


「じゃあ、具合が悪くなったのは?」


「今朝だ」


 今朝。


 俺は少し考えた。


「起きてすぐ?」


「……しばらくしてからだ」


「しばらくって、どのくらいです?」


「分からぬ」


 どうにも歯切れが悪い。


「夕食のあと何か口にしましたか?」


「皆と同じ……。朝餉だけだ……」


 怪しいのは明らかだ。


「では、今までに、食べると今みたいに痒くなったりするものはありましたか?」


「いや……」


「あと、昨日の夕食から、生まれて初めて食べたものとかはありましたか?」


「いや、ない……」


 違うのか……?


 いや、それだけじゃ分からない。今まで平気だったものでも、突然アレルギーを起こすことはある。


 やっぱり、この赤みと痒みが気になる……。


 今朝になって症状が出たというなら、まずは朝に食べたものを確認した方がいい。


「じゃあ、今朝食べたものを全部教えてもらえますか?」


 ……目が泳いだ。


 絶対に何かある。


「何を食べたんです?」


「皆と同じものを……」


 嘘だ!


「本当ですか?」


「皆と同じものしか食べておらん!!」


 男が叫んだ。


「……料理人さん、連れていかれましたよ」


 男の呼吸が荒くなる。


「俺には、どうも毒とは違うように見えるんです。でも、原因が分からないから、料理を作った人が疑われているんです。何か心当たりがあるんじゃないですか?」


 男の表情が変わった。


「……それは」


 男が起き上がろうとした。


「どこへ行くんです?」


「あの者は悪くない……。事情を話しに行く」


「まだ寝ててください。料理人さんも心配ですけど、あなたの症状も原因が分からないままでは心配です……」


 男は大きく息を吐いた。


「事情って何ですか?」


「……食った」


「え?」


「朝、食ったものがある」


 やっぱり。


「何を?」


 男はひどく言いにくそうに口を開いた。


「……鯖だ」


 鯖……?


「朝から鯖……? そういわれてみれば、夕食に出てた魚も鯖だったような……」


「そうじゃ……」


 まさかとは思うけど……。


「その鯖、どこから?」


 男がまた黙る。


「昨日……あやつから分けてもらった」


「あやつって、料理人さん?」


 男が頷いた。


「夕餉の支度で余ったものだ……。俺が魚を好むのを知っておる故……。生のままだったが、一匹だけだ……。御家のものを勝手にもらうなど、良いことでないのは分かっておるが……」


 なるほど。


 だから二人とも言わなかったのか。


 勝手に食材を融通した。


 それを咎められると思って黙っていた。


「待って。その鯖、生のままで昨日もらったんですよね?」


「ああ」


「普通に考えて傷むでしょ? 朝まで、どこに置いてたんです?」


「川だ」


「……川?」


「水につけておけば冷たい。悪くはならぬだろう」


 昨日の鯖。


 一晩保存。


 朝に食べた……。


「まさか……生で食べたんですか?」


「そんなことするものか。鯖の食し方はよくわかっておる。傷んでもおらんかったし、きちんと焼いたぞ! 大きな声では言えんが、今まで同じように何度も川で冷やしておいたが、傷んだことはなかった!」


 男は、そこだけは自信満々だった。


 俺は頭を抱えた……。


「やっぱり……」


 これなら、全部つながる。


「たぶん、原因が分かりました」


「……見た目が傷んでなくても、焼いても駄目なんですよ」


 ヒスタミン食中毒……。


 さっきからアレルギーみたいだと思っていたのも当然だ。


 原因は、アレルギー症状にも関わるヒスタミンなんだから。


 それなら、この赤みや、発疹、痒みも説明がつく。


 しかも、一度できたヒスタミンは、焼いたくらいではなくならない。 


 でも……これをどう説明すればいい。というか、この男がやっていることはこの時代では当たり前のことなんだろうか?


「千代さん」


「はい」


「魚を川で冷やしておくって、珍しいことじゃないんですか?」


「珍しい?」


「その……さっきみたいに、あとで食べるために」


「ああ。そういうことですか。珍しいというほどではありませんが、そうやって傷まないようにすることもあります」


「そうやって保存して食べることはあり得るということですね?」


「そうです。よく焼いて食べますが……それが何か?」


「やっぱり……」


「何か分かったのですか?」


「はい。ただ……説明が難しくて」


「では、私にも分かるように話してください」


「魚は、見た目では傷んでいないようでも、置いておくと人の体に悪さをするものが中にできることがあるんです」


「悪さをするものができる?」


「はい。見た目で分かるほど傷むのと、悪さをするものができるのは、同じことじゃないんです。両方一緒に起こることもあれば、見た目は傷んでいないのに、悪さをするものだけができることもあります」


「悪さをするものというのは毒のことですか?」


「そうですね。毒……みたいなものです」


「ただ、今、源右衛門さんたちが調べているような、誰かがわざと混ぜる毒とは違うんです」


「どういうことですか?」


 千代さんが、首を傾げた。


「魚の中にその悪さをするものが、勝手にできてしまうことがあるんです。でも、毎回必ずできるというわけでもなくて、その時の条件次第というか……運が悪いと当たる、みたいな感じです」


「しっかり焼いているのに?」


「はい。種類にもよるんですが、一度できてしまうと焼いてもなくならない場合もあるんです」


「では、川の水につけていても防げなかった……」


「そうです。見た目には傷んでいなくても、今回は悪さをするものの方はできてしまったんだと思います」


「では、この者は大丈夫なのですか?」


「そうですね、完全に油断はできないですけど、症状が悪化していないようなら、このまま回復することが多いので、たぶん大丈夫だと思います」


 もう一度男の様子を確認する。


「気分はどうです? さっきより苦しくなったりしてませんか?」


「いや……少し楽になった」


 赤みも、少し引いている。


 息苦しさもない。脈も落ち着いてきている。


 これなら、ひとまず大丈夫そうだ。


「多分大丈夫だと思いますけど、今日は一日無理せず寝ていてください。下痢と嘔吐もしてるので、飲めそうなら、少しずつでいいから水分と塩気のあるものを摂るようにしてくださいね」


「わかった……すまない。あと、あいつのことを頼む……」


 男はそう言って目を閉じた。


あとは、料理人さんのことを何とかしないと……。



「千代さん。たぶん、料理人さんは何も知らずに鯖を渡しただけだと思います。誰かが毒を入れたと考えなくても、今の症状は十分説明できます」


「……では、このままでは、あの者が危険です」


 千代さんの表情が変わった。


「父上のところへ参りましょう」


「そうですね。毒を入れられたわけじゃなさそうって、俺から説明します!」

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