第11話 千代さんのお父さん
「そうですね。毒を入れられたわけじゃなさそうって、俺から説明します!」
◇
千代さんに連れられて、屋敷へと続く川沿いの道を急いだ。
料理人さんが連れていかれてから、それほど時間は経っていないが、なにしろ毒の疑いがかかってる……。
源右衛門さんたちの表情を思い出すと、どんな取り調べをされるのか……。
さっき分かったことを早く説明しに行かないと。
でも、そう思っていたはずなのに、屋敷が近づくにつれて急に緊張してきた。
「……千代さん」
「はい?」
「これから会うのって……」
「私の父上です」
「ですよね……」
それは分かってるんだけど、
「つまり……殿、ですよね?」
「はい」
千代さんは何でもないことのように答えた。
……でも、この時代の偉い人に会う時の挨拶とか作法を全然知らないぞ!
知らずに何かで怒らせてしまったらどうしよう……。
「信之殿?」
「はい」
「歩くのが遅くなっています」
「……すみません、ちょっと心配なんです」
「どうしましたか?」
「千代さんのお父さんに会う時なんですけど、絶対やっちゃいけないこととかってあります? もしあれば、簡単に教えてもらえませんか? 偉い人に会う時の作法とか全然知らないんで」
「ああ、そういうことですか。それならいつも通りの信之殿で大丈夫です。心配いりません、参りましょう!」
千代さんはさっさと先に行ってしまった……。
殿だぞ? 本当に大丈夫なのか!?
◇
屋敷に着くと、すぐに中へ通された。
廊下からは、きれいに整えられた庭が見えた。
秋の虫の音が響いているのに、なぜか驚くほど静かに感じる……。
「こちらです」
案内してくれた男が襖の前で足を止めた。
千代さんは迷うことなく中へ入っていく。
息を大きく吸って、俺もそのあとに続いた。
部屋の中には、板の間に正座し、憔悴しきった顔で俯いている男がいた。
さっきの料理人だ……。
すぐ後ろには、源右衛門さんが睨みを効かせている。
俺たちが入ってきたことに気づくと、驚いたように顔を上げた。
そして、その奥。
畳の上に、五十代くらいの男がひじ掛けに手を置いて座っていた。
千代さんのお父さん、つまり殿、だというのはすぐに分かった。
ただ座っているだけなのに、なんか怖い……。
「父上」
千代さんが頭を下げた。
俺も千代さんの真似をして、慌てて頭を下げる。
「千代か。二人ともそこへ座れ」
千代さんと俺は、料理人の横に座った。
「何用だ?」
「この者のことで、お話があります」
千代さんが料理人を見る。
「そうか。では、そちらの者は?」
千代さんのお父さんの視線が、ゆっくりこちらへ向いた。
……俺と目が合った!?
「信之殿です」
「……ほう。お前が話していた例の薬師か」
それだけだった……。
でも、じっと見られている。
……例の?
俺、何て報告されてるんだ?
「はい。そうです」
千代さんは平然としている。
俺だけ落ち着かない。
「父上。毒ではない別の原因が考えられます」
「どういうことだ?」
「信之殿が、倒れた者から話を聞いております」
千代さんが、俺を見た。
……ついに来た!?
「信之殿」
「はい」
小声で呼ばれて、一歩前に出る。
「……お、お初にお目にかかります。山﨑信之と申します」
こういうとき、何て言えばいいんだ?これで合ってるのか?
「…………」
千代さんのお父さんはしばらく俺をじっと見た……。
あれ……? 違った? どうしよう……。
「話してみよ」
いきなり本題だった。おどかさないでほしい……。
「はい。まず、その……倒れた人なんですが、今朝、鯖を食べていたことが分かりました」
料理人の口元が歪んだ……。
「鯖だと?」
「はい。昨日、この料理人さんからもらったものだそうです」
「…………」
料理人が俯いた。
気の毒かもしれないけど、ここを隠したら説明できない。
「相違ないか」
千代さんのお父さんが料理人に尋ねた。
「……ございませぬ」
小さな声だった。
「昨日、夕餉の支度で余った鯖を、一匹……渡しました」
「なぜ黙っておった」
「それは……」
料理人の口が止まった。
手が膝の上で強く握られている。
「申せ」
「……屋敷のものを、勝手に渡しました故」
「良くないことであると、分かっておったのだな」
「……はい。申し訳ございません」
声が震えていた。
「…………」
その沈黙が怖い。
俺が怒られているわけじゃないのに、こっちまで胃が痛くなりそうだ。
「それについては後で聞く」
「……はい」
料理人がさらに小さくなった。
「では、この者が毒を入れたのではないと考える理由を説明せよ」
よし、なんとか分かってもらえるように頑張ろう……。
「はい。その鯖を、倒れた人は朝まで川の水につけていたそうです」
「川に?」
「はい。冷たい水につけておけば、傷まないと思って」
「それの何が悪い」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
「魚を冷たい水につけておくことなら、珍しくはあるまい」
「あ……はい。確かに……千代さんたちからも、そう聞いてます」
そうか、この時代では普通のことなんだ。
だったら、そこから説明しないと駄目だ……。
「川につけて冷やすこと自体が悪い、というわけじゃないんです。ただ……それでも防げないことがあるんです」
「何をだ?」
「魚の中に、人に悪さをするものができてしまうことがあるんです」
「傷むということか?」
「傷むのとは別の変化なんです」
千代さんのお父さんは、眉をひそめた。
「傷んでおらぬ魚が、人に悪さをすると? お主は何を言っているんだ?」
「しかも、焼いたと聞いておるぞ」
「……はい」
「ならば、なぜだ」
来た。千代さんに説明したときも、ここが難しかった。
「魚は、置いておくと、身の中でいろんな変化が起きるんです。腐って傷む変化もあれば、身が柔らかくなって、うまみが増す変化とかも……。獲れたての魚より、少し置いた方がおいしくなる場合もありますよね?」
「……それは分かる」
よかった。説明の糸口がつかめた!
「それと同じで、魚の中では、見た目では分からない変化も起きるんです」
「ほう」
「今回の鯖では、その変化が進んで、人に悪さをするものが身の中にたくさんできてしまったんだと思います」
「それが毒だと?」
「そう考えてもらって大丈夫です。でも、毒を盛るのとは違って、誰かが入れなくても、魚の中でできるものなんです」
「…………」
「焼いても防げぬのか?」
「防げるものもあるんですけど、今回のは違うんです。一度できてしまうと、焼いてもなくならないんです」
「…………」
千代さんのお父さんは目を閉じ、小さく首を振った。
やっぱり、これじゃだめか……。
「千代」
「はい」
「お主も、この話を聞いたのか?」
「聞きました」
「では、分かったのか?」
千代さんが一瞬だけ黙った。
「……すべては分かりません」
あぁ、だめか……。
「ですが、誰かが毒を入れずとも、魚が原因で同じようなことが起こるという話は分かりました」
え? それは信じてくれたの?
「信之殿が、嘘をつく理由がありません」
「理由がないだけで、信じるわけにはいかん」
「そういう意味ではありません」
千代さんの声が、少しだけ硬くなった。
「私には、信之殿の話が本当かどうかを確かめる術はありません。ただ……」
千代さんは一度、俺を見た。
「少なくとも、これまで信之殿が、自分の益のために嘘をつくのを見たことはありません。それに、分からないことは、分からないと言う方です」
「…………」
「ですから、今は信じます」
「そうか……では、倒れた者は、どうなるのだ?」
皆が俺を見る。
「え?」
「生きておるのであろう?」
「あ、はい」
慌てて答える。
「意識ははっきりしています。赤みと痒みはまだありますけど、さっき確認したときには少し良くなっていました。息苦しさもありません。脈も落ち着いてきています」
「命に関わるか」
「今の状態なら、おそらく大丈夫だと思います。ただ、急に悪くなる可能性が絶対にないとは言えないので、今日は特に様子を見た方がいいです」
「治るのか」
「多くは、そのまま回復します」
「薬は?」
「ここには……ありません」
薬師なのに……また、薬がない。
仕方のないことだけど、やっぱり悔しい。
「下痢と嘔吐をしていたので水分と塩分を摂らせて、休ませています。今ここでできるのは、それくらいです」
「そうか」
千代さんのお父さんはそれ以上聞かなかった。
そして、料理人を見る。
「お主」
「は、はい」
料理人がビクッと背筋を伸ばした。
「鯖を渡したこと以外に、何か隠しておることはあるか」
「ございませぬ!」
今度は早かった。
「本当だな」
「はい!」
「…………」
顔は強張っているが、目はそらさなかった。
「信之」
「はい!?」
びっくりした!
「お主は、この者が毒を盛っておらぬと言い切れるか」
「……いえ」
料理人が泣きそうな顔で俺を見た。
千代さんも、少しだけこちらを見る。
「言い切ることはできません」
「今、はっきり言えるのは、毒を入れたと考えなくても、あの人の症状は説明できるというところまでです。ただ、個人的には、毒を入れたと考えるのは行き過ぎだと思います」
料理人さんの運命を決めかねないのに、こんな言い方でよかったんだろうか。
「……なるほどな」
「源右衛門。お主はどう見る?」
「は」
源右衛門さんは料理人を見る。
次に俺を見た。
「毒を盛ったという疑いはまだ捨てるわけにはいきませぬ」
えっ? 思わず源右衛門さんを見る。
でも、すぐに続きがあった。
「されど、信之殿の話を聞いてその疑いは薄くなりました」
「うむ」
「倒れた者が鯖のことを隠していたのであれば、この者が口を閉ざしていた理由とも合います」
「そうだな」
源右衛門さんは淡々としている。
「ならば」
男が料理人へ向き直った。
「毒を盛ったという疑いについては、これまでとする」
料理人が上を見つめた……口を開けたまま固まっている。
「……は」
一度口を閉じ、姿勢を正して頭を下げた。
「……はっ。ありがとうございます」
「礼を申す相手が違う」
「え?」
料理人が顔を上げた。
「礼なら、信之に申せ。お主の疑いを晴らしたのだからな」
「だが、まだ話が終わっておらぬ……。お主は勝手に食材を渡したのであろう」
料理人が再びビクッと背筋を伸ばした。
「……はい」
やっぱりそこは怒られるんだ……。
俺は小さくため息を吐いた……。
「では……」
なぜか千代さんのお父さんの表情が緩んだ……。
「鯖を食った阿呆にも、元気になったら来るよう伝えよ」
「阿呆……ですか?」
思わず聞いてしまった。
「何だ?」
「いえ……。その……、鯖を食べた本人は、料理人さんが疑われていると知って、ちゃんと話してくれましたから」
「だから何だ」
「え?」
まずい。余計なことを言ってしまったか?
「勝手に鯖を受け取り、黙って食い、具合を悪くし、そのうえ黙って騒ぎを大きくしたのであろう」
「……そうですね」
何も言い返せない。
「阿呆ではないか」
「……はい?」
横で千代さんが、口元を押さえている。
笑ってる?
今、笑ってるよね?
「魚に目がない男といえば、見当がつくわ。あやつは昔からそうであった」
怒っている……?
いや、さっきまでとは少し違う。
「せっかく鯖の旨い時期であるのに、阿呆なことをしおって……」
……?
「料理人」
「はい!」
「次から、鯖は新しいうちに焼いてから、渡すよう気をつけよ」
「……? も、申し訳ありませんでした。肝に命じます」
千代さんのお父さん……最初は怖いと思ってたけど、怒るだけの人じゃないんだな。
ちゃんと事情を聞いて、怒るところと、そうじゃないところを分けている。
やっぱり、殿って感じの人なんだな……。
今も怖いのは怖いけど……。
「用は済んだか、千代」
「はい」
「ならば下がれ」
「はい」
千代さんが頭を下げる。
俺も慌てて頭を下げた。
「失礼します」
よかった。
終わった。
思っていたより何とかなった。
そう思って立ち上がったときだった。
「待て」
体が止まった。
……?
恐る恐る振り返る。
「信之、と申したな」
「……はい」
「明日、もう一度ここへ参れ」
「え?」
思わず声が出た。
「俺が、ですか?」
「他に誰がおる」
「……いえ」
何で? さっき何か失礼なことを言っちゃった?
「分かったな」
「……はい」
断れる雰囲気ではなかった。
……どうしよう。
◇
屋敷を出てから、川沿いの道をしばらく無言で歩いた。
料理人の疑いは晴れた。
目的は達成した。
それなのに、まだ落ち着かない。
「……千代さん」
「はい」
「お父さん、怖いですね……」
千代さんが足を止めた。
俺を見る。
「そうですか?」
「……え?」
少し考えてから、千代さんは首を傾げた。
「いつも通りでしたよ」
……あれで?
俺は思わず、さっき出てきた屋敷を振り返った。
明日、俺が呼ばれている……。
大丈夫か?




