第12話 お父さんにご挨拶
翌朝。
屋敷の前の石段を元気に歩く鯖の家臣を見つけた……。
昨日の夕方には、顔の赤みが少し残っていたけど、順調に回復してるようだ。
ヒスタミン中毒の経過なら、もう大丈夫なんだろうけど。
でも、やっぱり気になる……。
「おはようございます。具合はどうです?」
「ああ、もう何ともないぞ」
「痒みは?」
「ない」
「お腹はどうです?」
「それも大丈夫だ」
顔の赤みも、他の症状もほとんど消えている。
うん、これならもう大丈夫だ。
「よかった……」
思わず息が抜けた。
「いやあ、どうなることかと思ったが、おかげで助かった。礼をいうぞ」
「いえ、薬を使ったわけでもないし、俺は何もしてないですよ」
「そうか? でも、薬師殿の言った通りにちゃんと治ったぞ」
「まあ、結果的にはそうかもしれないですけど……。でも、今後は気をつけてください。たとえ焼いたとしても、古い魚は食べないようにしてくださいね」
「焼いても駄目なのか? 古いからと捨てるのはもったいないぞ」
「はい、駄目です。そもそも、魚は古くなる前に食べるものです。それと、たぶん大丈夫だとは思いますけど、今後、同じような症状が出ないか、念のため注意してくださいね」
「おう、分かった!」
昨日、あれだけの騒ぎになったのに、本当に分かってるのかな……。
千代さんのお父さんが阿呆と言っていた理由が、少し分かった気がする。
まあ、元気そうで何よりだ。
鯖の件は片付いた……。
◇
「……千代さん、やっぱり明日にしませんか?」
昨日と同じ、屋敷へ続く川沿いの道を歩いていた。
朝の涼しい風が辺りのススキをざわざわと揺らしている。
「……お父さんに会うの、やっぱり怖いです」
「大丈夫です。いつも通りの信之殿で心配ありませんから」
隣で千代さんが、にこにこしながら答えた。
「いや、千代さん、昨日もそう言ってたけど……心の準備がまだ……」
「ですから、信之殿なら大丈夫です。父上が待ってます、参りましょう!」
千代さんは、先に歩いていく。
「…………もう仕方ないか」
覚悟を決めてその後を追った。
◇
屋敷に着いた……。
改めて見ると、きれいな庭だ。
木々はきれいに手入れされていて、池には黒い大きな鯉がゆっくりと泳いでいる。
静かで落ち着いている……。
「…………」
その雰囲気が余計に怖いんだよ……。
やっぱり、帰りたい。
「信之殿?」
隣から千代さんが俺の顔を覗き込んだ。
「どうしました?」
「いや……本当に俺、今日、行かないといけないんですよね?」
「はい。昨日、父上がそう申していたではありませんか」
「そうなんですけど……」
覚えている。
できれば聞き間違いであってほしかっただけだ。
「俺、何で呼ばれてるんですか?」
「それは、父上に聞いてみないと分かりません」
千代さんは何でもないことのように答えると、屋敷へ向かって歩き始めた。
「あ、待ってください」
慌てて後を追う。
昨日は料理人さんの疑いを晴らすため、怖いとか言っている場合じゃなかった。
でも今日は違う。
用件が分からない。
しかも、名指しで呼ばれている。
……やっぱり昨日、何か失礼なことをしてしまったんじゃないか?
◇
「来たか」
「……はっ、はい」
昨日と同じように、案内された部屋には千代さんのお父さんが座っていた。
庭に面した障子が開けられていて、時折、涼しい風が部屋の中を通り抜けていく。
なのに、額に汗が出てきた……。
「まあ座れ」
「はい」
……? 今日はなぜか丸い敷物が二つ用意されていた。
とりあえず、千代さんと並んでそこに座る。
やっぱり怖い。
何を言われるんだろう……?
「信之」
「はい!?」
背筋が勝手に伸びた。
「昨日のことだが」
「はい」
「あの者は、その後どうなった」
「あ……鯖の人ですか?」
「そうだ」
「今朝も様子を見ました。赤みもほとんど治まって、屋敷の前を元気に歩いてました。もう大丈夫だと思います」
「そうか」
短く答えると、千代さんのお父さんは小さく頷いた。
「ならばよい」
「はい」
…………。
それだけ?
もしかして、それを聞くために呼ばれたのか?
「それから、作兵衛という男のことだが」
「え?」
「腕に深い傷を負った男だ。お主が手当てをしたのであろう」
「あ、はい」
「傷はどうだ」
「かなり良くなっています。こちらも、もう大丈夫だと思います」
「そうか」
また小さく頷いた。
なんで作兵衛さんのことまで知ってるんだ?
俺が千代さんを見ると、目が合った。
「父上には、これまでのことをお話ししています」
「……そうなんですか」
「源右衛門からも聞いておる」
「…………」
どこまで?
「腕を落とさねばならぬと言われていた男を、お主が手当てしたこともな」
「いや、俺が治したわけじゃないです。血を止めて、傷を洗って……あとは運が良かったのと、作兵衛さん自身の力で結果的に治っただけです。あれが正解だったのかは分かりません」
「後から来た医者も、悪くはないと申したそうだが」
「悪くはない、って言っただけです。そんな治療、聞いたことないって言われましたし……」
訂正してしまった。
「…………」
千代さんのお父さんが、じっと俺を見る。
今の答えはまずかったのか?
でも、ほんの少しだけ口元が緩んだように見えた。
「千代や源右衛門から聞いている通りだな」
「え?」
「手柄として己に都合よく申せばよいものを、そうはせず、分からぬことは分からぬと申す」
「……はい?」
「鯖の一件も、お主が話を聞かなければ、もう少し面倒なことになっておっただろう」
「でも、俺は話を聞いただけですから」
「…………」
千代さんのお父さんは少し考えるように俺を見てから、膝の上に置いていた手を動かした。
「信之」
「はい」
「何か欲しいものはあるか」
「……え?」
いきなり何の話だ?
「作兵衛のこともある。昨日のこともある。大仰な褒美を取らせるほどのことではなかろうが、何もせぬというのも収まりが悪い」
「あ……いや、別に」
「遠慮するな。わしにできることであれば聞こう」
「欲しいもの……」
急に言われても困る。
欲しいものなら、ある。
元の時代へ帰る方法。
薬。
スマホ。
着替えも、もう少し欲しい。
……最後のは頼めば何とかなるかもしれない。
でも。
それより、ずっと気になっていたことがある。
「あの」
「何だ」
「では……仕事をもらえませんか?」
「…………?」
千代さんのお父さんが黙った。
横を見ると、千代さんも驚いた顔で俺を見ている。
「仕事だと? わしは礼をすると申しておるのだぞ」
「はい」
「それなのに、仕事がほしいと?」
「…………」
おかしいだろうか。
「俺、今は千代さんの屋敷に住まわせてもらってます」
「そうだな」
「食べるものも出してもらって、寝るところまで用意してもらってます」
「うむ」
「だから、いつまでもお世話になってばかりいるわけにもいかないので……この家のために、俺にできる仕事があるなら、働かせてもらいたいです」
「…………」
また黙った。
何か変なことを言っただろうか。
横の千代さんを見る。
なぜか少しだけ笑っている。
……何?
「ははっ」
「え?」
千代さんのお父さんも笑いだした。
昨日から何度か顔を見ているけど、こんな顔は初めて見た。
「信之、お主は妙な男だな」
「……そうですか?」
「礼をすると申したら、この家で働かせろと返してきおった」
「いや、でも本当に困ってるんです」
「分かった、分かった」
まだ少し笑っている。
……そんなにおかしいこと言ったかな。
やがて笑いが収まると、千代さんのお父さんは千代さんを見た。
「千代」
「はい」
「お主はどう思う」
「信之殿に仕事を、ですか?」
「そうだ」
千代さんは少し考えた。
すぐに答えない。
「私は、よいと思いますが……一つ、気になることがあります」
「ふむ」
「信之殿が持っている不思議な知識は、役に立つと思います」
「…………」
「ただ、この地のことをほとんど分かっていません。薬師としては頼りになりますが、一人では心許ないと思います」
そりゃそうだよな……。
「たとえば、誰かと共に動くというのであれば、よい話だと思います」
千代さんのお父さんが頷いた。
「わしも、そう思う」
「え?」
話が決まりかけてる、いいの?
「その望み、聞き入れよう」
「本当ですか?」
思わず体を起こした。
「ありがとうございます!」
「ただし、千代の申したとおり、お主はこの地のことを知らぬゆえ、一人で勝手に動くわけにはいかぬ」
「……はい」
何も言い返せない。
「ゆえに、しばらくは千代と共に動き、その上でお主に何ができるか見せてもらう」
「千代さんと?」
「信之殿と?」
ほとんど同時だった。
……思わず、千代さんと顔を見合わせた。
「そうだ。千代ならこの地のこともよく知っておる。それに、お主とも馴染んでおる。千代、それでよいか?」
少し間が空いて千代さんが答えた。
「……断る理由はありません。よろしくお願いします、信之殿」
「あ……はい。こちらこそ」
「よし」
千代さんのお父さんが頷いた。
こうして、仕事がないと悩んでいた俺に、ようやく仕事ができた。
何をする仕事なのか、まだよく分からないけど……。
「さて」
「はい?」
千代さんのお父さんの視線が、また俺に向いた。
「仕事をさせるとなれば、お主について確認しておかねばならぬことがある」
……やっと終わったと思っていたのに、まだあるの?
「お主の身の上については、源右衛門からおおよそ聞いておる」
「はい」
「気がつけばこの那智にいた。詳しいことは話せぬというが、先の時代の那智から来た。戻る術も分からぬ。そう聞いておる」
「……はい」
「相違ないか」
「ありません」
さっきまで少し打ち解けたかも、と思ったのに、また尋問みたいになってきた。
「一つ聞く」
「はい」
「お主は、元いたところへ戻りたいのか」
「…………!?」
予想していた質問と違った。
「戻りたいです」
答えは、すぐに出た。
「そうか」
それだけだった。
庭の木々が風に揺れ、葉の擦れる音が部屋まで届いた。
「父母もおるのだろう?」
「……はい」
「心配しておろうな」
「…………」
考えないようにしていた。
俺が突然ここに来てから、向こうがどうなっているのか。
そもそも、向こうの俺があの後どうなったのかも分からない。
死んだのか、眠ってるのか……。
何も分からない。
「たぶん……」
それしか言えなかった。
千代さんのお父さんは、しばらく何も言わなかった。
「戻るあてはあるのか」
「ありません」
「手掛かりも?」
「今のところは、何も……」
「そうか」
声が、さっきまでとは少し違って聞こえた。
気のせいかもしれない。
「妙な話ではあるな」
「……はい。自分でもそう思います」
「だが」
千代さんのお父さんが庭の方へ目を向けた。
「ここは熊野だからな」
「……え?」
思わず顔を上げた。
「この地を、黄泉がえりの地と申す者もおる」
よみがえり……。
その言葉だけが、妙に耳に残った。
「熊野詣は知っておるか」
「名前くらいなら……」
「多くの者が遠くから山を越え、この熊野の霊場を巡り、そしてまた、元いたところへ帰ってゆく」
「はい」
「熊野へ参ることで一度死に、再び生まれ直す……それを黄泉がえり、という者もおる」
「一度死んで、生まれ直す……?」
「無論、本当に死ぬという話ではない。この熊野は、昔から生と死の境に近い地と考える者がおるということだ」
「もちろん、お主がそうだと申しておるのではないぞ」
「あ……はい」
先に否定された。
「ただ、妙にお主の話に近い気がしてな」
「…………」
「お主に何が起きたのか、わしには分からぬ。信じられぬ話ではあるが、ここは熊野の地だ。ありえぬとも言い切れまい」
そういうものなのか?
思わず千代さんを見る。
千代さんは、静かにお父さんの話を聞いていた。
「戻りたいのであろう?」
「……はい」
「ならば、戻る術は探せばよい」
「え?」
「何を驚いておる」
「いや……仕事をもらったばかりなのに、帰る方法を探していいのかなって」
千代さんのお父さんが、呆れたように俺を見た。
「帰るところがある者を、なぜわしが引き留めねばならぬ」
「…………」
「帰る道が見つかれば帰ればよい」
「……はい」
「それまでは」
一度、言葉が切れた。
「先ほど申した通り、この家で働いてくれればよい」
「……はい! ありがとうございます」
少しだけ、目の前が滲んでしまった。
千代さんのお父さん……何か、かっこいいな。
◇
「では、私は少し支度をして参ります」
話が終わると、千代さんはそう言って立ち上がった。
「信之殿は、ここで少しお待ちください」
「あ、はい」
千代さんが部屋を出ていく。
その足音が廊下の向こうへ遠ざかっていった。
「…………」
あれ?
もしかして、二人きり?
さっきより緊張するんだけど……。
「信之」
「はい!」
また背筋が伸びた。
千代さんのお父さんが、少し呆れたように俺を見る。
「そう構えずともよい」
「……はい」
それができれば苦労しない。
「この機会に一つ、頼んでおきたいことがある」
千代さんのお父さんは、少し困ったような顔をした。
「会うたばかりのお主に頼むようなことでもないのだが、お主ならちょうどよい気がしてな」
「頼み、ですか?」
「千代のことだ」
「千代さん?」
思わず聞き返した。
「お主もしばらく共におれば分かるだろうが、あれは大抵のことは自分でできてしまう」
「ああ……」
それは、何となく分かる。
この時代に来てから、俺は何度千代さんに助けてもらったか分からない。
「しっかりした方ですよね」
「そうだな」
千代さんのお父さんは、少しだけ庭の方へ目を向けた。
「だが、それが危ういのだ」
「はい?」
意外だった。
千代さんが焦ってるところなんて、夫婦杉の件くらいしか思い浮かばない。
いつも俺なんかよりずっと先に、なんでも気づいて、動いている。
「わしや家の者にも責はあるのだろうが、皆の期待に応えようとするあまり、人に頼れぬようになってしまっておる」
「…………」
なるほど。
何となく分かるような、分からないような……。
「ゆえに、これから共に動くのであれば、少し気に掛けてやってくれ」
「俺が、ですか?」
「何も世話を焼けと申しておるのではない」
「あ、はい」
「無理をしておるようなら、少し止める。それくらいでよい」
「…………」
俺に止められるんだろうか。
むしろ、俺の方が止められている姿しか想像できない。
「分かりました。できるかどうかは分かりませんけど……気をつけます」
「まったく、千代もお主のように、できぬことはできぬと言えればよいのだがな。頼んだぞ」
「はい、分かりました。頼りないかもしれませんけど、こちらこそ今後ともよろしくお願いします」
千代さんのお父さんが小さく頷いた。
そのとき、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
「お待たせしました」
何も知らない千代さんが、いつも通りの顔で部屋へ戻ってくる。
「では、信之殿。参りましょうか」
「あ、はい」
立ち上がりながら、さっき聞いた話を思い出す。
千代さんが、無理をする……。
「……?」
「信之殿、どうしました?」
「いえ、何でもないです」
今のところは、やっぱり全然分からなかった。
作者から、お礼とお願いです。
『転生したら戦国薬師だった件』も、ついに5万字を超えました!
これまで閲覧やブックマーク、評価など、さまざまな形で応援してくださった読者の皆様、本当にありがとうございます。
皆様からの応援が、執筆を続けるモチベーションになっています。
少しでも面白いと思っていただけた方は、ブックマークや評価をいただけると、大変励みになります。
また、作品の感想なども聞かせていただけると嬉しいので、お気軽にコメントしていただければ幸いです!
これまで小説を書いた経験もなく、ほんの思いつきで始めた『戦国薬師』ですが、書き進めるうちに、私自身もこの作品への思い入れが深まってきました。
まだまだ始まったばかりですが、最後までの構想はできています。
なんとしても最後まで書き続けたいと思っていますので、今後とも『戦国薬師』、そして信之と千代をよろしくお願いします!




