第7話 夫婦じゃない
「もう少しで着きます」
千代さんが振り返って俺に言った。
那智山へ続く大門坂を少し入ったところに、何棟かの建物が見える。
関所を通り、少し進む。
「あれが私の屋敷です」
「へえ……」
もっとこう、姫の屋敷というからには門がどーんとあって、槍を持った人がずらっと並んでいるようなものを想像していたのだが、そんなことはない。
広いけれど、意外に普通の屋敷って感じだった。
「何か気になりましたか?」
「いや。もっと姫っぽい屋敷を想像してました」
「どういう屋敷です、それは」
勝手に想像しておきながら、俺もよく分からない……。
「ともかく、今日からここで私と一緒に暮らしてもらいます」
「はい、源右衛門さんからも聞いてます。お世話になります」
「では、こちらへ」
屋敷へ入ろうとして、風に揺れる旗が目に入った。
揚羽の紋だ……。
千代さんの家も揚羽なのか……。聞いていた通りだ。
思わず足を止めてよく見る……。
揚羽を囲む丸がない以外は、うちの家紋と同じだった……。
同じ系統の家でも、時代や家によって細かい意匠が変わることがある。
家のことを調べたとき、そんな話を読んだ覚えがある。
那智で揚羽紋の家……ということは、もしかして、俺の家ともどこかでつながっているんだろうか?
「…………」
「信之殿?」
「……あ、いえ。何でもないです」
今考えたところでこれ以上は分からない。
俺は旗から目を離した。
そして……その向こうにあるものを見た。
二本の杉だった。
「千代さん。あの杉、今から見に行ってもいいですか?」
◇
現代では、樹齢八百年ともいわれている杉だ。
それなら四百年前のこの時代に存在していてもおかしくはない。
でも、知っていることと、実際に目の前にあることは全然違う。
「……すごい」
気づけば、思わず笑っていた。
どう説明すればいいのだろう……。
箪笥の奥から祖父と祖母の昔の結婚写真を見つけた時のような感覚。
親しい身内の、自分の知らなかった昔の姿を見たような面白さ……
四百年前にも、この二本の杉はちゃんとここにいる。
それがどうしようもなく嬉しかった。
「ちゃんと、この時代にもいてくれてた」
俺は千代さんを追い越して杉に駆け寄り、幹に手を当てた。
ざらついた樹皮の感触が掌に返ってくる。
本物だ!
当たり前だけど、本物だ!!
なんだか急に、この杉のことをもっと確かめたくなった。
改めて見上げてみる。
周りの木と比べれば、十分な大木だ。
それでも、俺の知っている姿にはまだ遠い。
「この杉が、そんなに気になりますか?」
いつの間にか、千代さんが隣に立っていた。
「とても気になります」
「この辺りでは目につく大きさですが、特に珍しいというほどでもないと思いますが?」
「俺にとっては、特別なんです」
「なぜです?」
「昔から、見守ってくれていたので」
「昔?……見守って?……」
一瞬迷ったが、一応説明してみる。
「えっと、四百年後の昔……。いや、余計にややこしいか」
「…………」
自分で言っていて訳が分からなくなってきた。
「まあ、とにかく俺にとっては大事な杉、なんです」
千代さんは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
俺はもう一度、目の前の幹を見る。
「今だと、どれくらいあるんだろ」
「何がです?」
「大きさですよ」
試しに両腕を広げて、幹に回してみた。
当然、全然届かない。
まあ、そうだよな。
少し離れて眺めてみる。
一人では無理。
でも、
「二人ならいけるか?」
「何ですか?」
俺は千代さんを振り返った。
「千代さん、ちょっと手伝ってください」
「何をするのです?」
「この杉の太さを測ります」
「どうやって測るのです?」
「俺たちで」
「??…………」
千代さんが、明らかに意味が分からないという顔をした。
「二人で反対側から腕を回すんですよ。手が届けば、大体二人分くらいって分かるでしょう?」
「大体でいいんですか?」
「いいんです。大体で」
「それを知って、どうするのです?」
「四百年後と比べます」
千代さんがしばらく俺の顔を見ていた。
「四百年後には、この杉はもっと大きくなっているのですか?」
「なってます。ものすごく」
「だから、今の大きさを確かめたいと」
「そういうことです」
千代さんが杉を見上げた。
それから、もう一度俺を見る。
「そういうことならば、測ってみましょう」
「お願いします」
千代さんは、俺の反対側へ回ってくれた。
「こうですか?」
「そうです。腕をいっぱいに広げて」
幹の向こうから、千代さんの袖が伸びてくる。
俺も反対側から腕を回した。
「もう少し右です」
「こちらですか?」
「もうちょっと」
「見えません」
「俺も見えません」
当たり前だ。
二人とも幹に抱きついているんだから、相手の手なんか見えるはずがない。
お互い、樹皮の上を探るように指を伸ばした。
「あと少しだと思うんだけど……」
「こちらも、いっぱいです」
「もうちょっとだけ……」
指先に、何かが触れた。
「あっ!」
もう一度伸ばす。
今度は、はっきり触れた。
「届いた!」
思わず声が出た。
「千代さん、届きましたよ!」
「え、ええ」
「やっぱり今はまだ二人分か。すごいな。ここから四百年、無事に育ち続けて、あれだけの大きさに……」
嬉しくなって、そのまま一人で喋っていた。
「……千代さん?」
返事がない。
幹の向こうなので顔は見えない。
「ごめんなさい、少し喋り過ぎました。大丈夫ですか?」
「…………」
「?」
「体勢、きつかったら言ってくださいね」
「……大丈夫です」
妙に返事が遅い。
さっきまで杉のことしか考えていなかったが、ここでようやくこの状況に気がついた。
二十歳そこそこの男女が、杉を挟んで互いに手を伸ばし、
しかも、いつの間にか互いに指を絡めて手を組んでいる。
「…………」
なんだこれ。
急に恥ずかしくなってきた。
かといって、慌てて手を引くのも、それはそれで意識しているみたいで恥ずかしい。
「大人二人分……。やっぱり、まだずいぶん細いですね」
「……そう、……ですね」
やっぱり、妙に返事が遅い。
「四百年後は、もっと大きくなってますよ。少なくとも五、六人分くらいはあって、観光名所になってるくらいですから」
「…………」
返事が止まってしまった……。
なんとか杉の話を続けようと、俺は二本の杉を見比べた。
四百年後の姿を知っているせいか、こうして見ると二本ともまだ若い。
「こうしていると、やっぱり若い夫婦のようにみえますね」
幹の向こうで、千代さんの指がピクッと動いた。
「…………」
「?」
「……私たちが?」
「え?」
「……早すぎます」
「え??」
「物事には順番というものがあります」
「何???」
片方の手を放し、反対側の千代さんと顔を見合わせる。
顔が真っ赤だ。
目が合った途端、耳まで赤くなった。
「た、確かに先ほど私は、一緒に暮らしてもらうとは言いましたが……」
「?」
「決してそのような意味で言ったのではありません」
「??」
「…………」
「…………」
沈黙が続く。蝉の音が響いている。
何か変なことを言ってしまったのか?
「…………」
いや、言ってた。
もう一度、二本の杉を見上げて千代さんと顔を見合わせた。
そして二人で、組んだ手と二本の杉を何度か見比べた。
「杉の話……」
千代さんがつぶやいた。
「…………」
「…………」
再び沈黙が続いた。相変わらず蝉の音が響いている。
「そう、杉の話です。さっきも話したように、この二本の杉の木は四百年後には仲良く並んで立っている様子から、夫婦杉とよば……」
「大丈夫です。分かってます」
千代さんが慌てて俺の話を遮った。相変わらず耳まで赤い……。
お互い、組んだままの手を静かに見つめたあと、そっと幹から離れた。




