第6話 身元不明の薬師
さらに数日が経った……。
作兵衛さんの経過は順調だ。
熱はない。
腫れもない。
傷から膿が出ている様子もない。
指も動く。
「薬師様、あんときゃ、この腕ももう駄目かと思ったが……ずいぶん楽になった。ありがてえよ」
いつもの傷の処置が終わると、作兵衛さんがそう言った。
「運が良かったのもあると思います。でも、この調子なら多分大丈夫だと思いますよ」
俺もようやく少しだけ安心し始めてきたところだ。
ただ、一つだけ別の問題が起こっていた。
俺が作兵衛さんの腕を治した……。
そんな噂が、どうも俺の知らないところまで広がっているらしい。
そして今日、とうとうやって来た……。
◇
「山﨑信之殿だな」
「……はい」
源右衛門さんの隣に、見覚えのない男が座っている。
歳は、源右衛門さんより少し若いくらいだろうか。
穏やかな顔をしている。
でも、なんだろう……。
話し方は柔らかいが、すごく居心地が悪い。
源右衛門さんとは、また違った怖さがある。
「そう構えられずともよい。少し話を聞きたいだけだ」
「はい……」
それが怖いんです。
男は、廊之坊潮﨑氏に仕える者らしい。
廊之坊潮﨑氏……。
……勝山城の当主だ!?
落城について調べた史料に、確か載っていたはず……。
まさか、そんな人の耳にまで噂が回ってたとは……。
この辺りでは見かけない薬師が、珍しい方法で作兵衛さんの腕を救った……。
そんな噂が当主の耳に入り、俺が何者なのか調べるよう命じられて来たという。
「まず、生まれは?」
「那智の……近くです」
「近く、とは?」
「この辺りです。でも、違う那智……」
「違う那智だと?」
「那智の近くだけど、ここの那智とは違うんです」
「…………」
男が少し黙った。
「お主は何を言っておるのだ……?」
「…………」
俺も黙る。
「……困ったな」
「俺も困ってます」
本当に。
「では、何のためにこの那智に来たのだ?」
「わかりません。気づいたらここにいました。理由があるならこっちが聞きたいくらいです」
これも本当だ。
「…………」
「…………」
再び沈黙が続いた。
「……では、薬については誰から学んだ?」
「大学……です」
「だいがく? あまり聞かん名だが、その師はどこの誰だ?」
「人じゃありません」
「では、何だ?」
「…………」
どう説明すればいいんだ。
「……学校です」
「がっこう?」
「…………」
男が小さく息を吐いた。
怒ってはいない。
本当に困っているように見える。
「信之殿」
「はい」
「このままでは、何も分からぬ……」
「俺もそう思います……」
氏名、生年月日、住所、免許証、マイナカード……。
現代なら、自分が誰なのか証明する方法なんていくらでもある。
でもこの時代で、俺は、自分が誰なのか証明できない。
「父母や兄弟は?」
「います」
「名は?」
「それは……言えません」
400年後の現代人の名前なんて、さすがに言えないだろ……。
「兄弟は何人いる?」
「……俺を入れて二人です。一応、長男です」
「長男か。では、家督を継ぐ身か?」
男が俺を見る。
「継ぐ予定ですけど、ここから帰らないと、継げないんです……」
「では、どこへ帰るのだ?」
「だから、それは最初に言ったように、那智の近くです」
「…………」
男が大きく息を吐いた。
「……では、誰に仕えておったかも言えんのか?」
「言えない……というか、誰にも仕えてません」
「仕えておらぬだと……!?」
「はい」
「…………」
え? そんなに驚くところなのか?
今までで一番驚いた顔をしている。
「……では、何でもよい」
「何でも?」
「お主の家にまつわるものは覚えておらんか。土地でも、先祖のことでも、言い伝えでもよい。何か手掛かりになるものは」
土地の話をすれば、また四百年後の地名が出てくる……。
先祖の話だって、どこまでこの時代に通じるのか分からない……。
ややこしくなるに決まってる!
ほかに何か……。
家のこと。先祖のこと……。
そういえば、ついこの前、墓参りに行ったばかりだ。
墓……。
「あっ……そうだ!」
家紋だ。墓石に彫られていたのを覚えている。
これなら、この時代でも話が通じるかも……。
「家紋なら」
「おおっ! 家紋がわかるか。何だ?」
男が食いついてきた。
「はい。揚羽です」
男の目が、ほんの少し動いた。
「……揚羽と申されたか」
「はい。蝶ですよ。黒くて大きくて、ミカン畑とかによく飛んでる……」
「それは分かる」
「……すみません」
男が源右衛門さんを見る。
源右衛門さんも男を見た。
「何です?」
「いや」
何かあるのか?
「ほかには?」
「あっ、あと、昔、三毛猫の雄を飼っていた、という言い伝え……」
「それはもうよい、分かった」
男は、それ以上は聞かず、しばらく黙ったまま考え込んでいた……。
なんだか、また余計なことを言ってしまった気がする。
◇
「……ところで」
男が源右衛門さんの方を向いた。
「源右衛門殿からも聞いておきたい」
「何だ」
「この者を、どう見ておる」
源右衛門さんが俺を見る。
やめて。
本人の前で人物評価するのか?
「薬師としての腕は、わしには分からぬ」
「うむ」
「だが、作兵衛の腕を診たのは、確かに信之殿だ」
「聞いておる」
「二日後に来た医者も、信之殿の手当の方法は、聞いたことが無いと申したが、悪くはないとも申しておった。現に作兵衛もあれほどの傷を負いながら、快方に向かっておる」
男がうなずく。
「傷を診ているときの様子は?」
「毎度、青い顔をしておった」
そこ必要か?
男が俺を見る。
「何故、青い顔になる?」
「血や傷が苦手なんです」
「薬師なのに?」
いちいち食いつくなよ、ほっといてくれ……。
「薬師でも苦手なものは苦手なんです」
「なるほど」
何がなるほどなんだ。
「刀は?」
「使えません」
「弓は?」
「持ったこともないです」
「馬は?」
「たぶんすぐ振り落とされます」
「戦に出たことは?」
「ありません」
「…………」
男が黙った。
「…………」
源右衛門さんも黙っている。
……何だ、この間は。
「そういえば……」
源右衛門さんが口を開いた。
「姫様から、妙な話を聞いておる」
姫様……。千代さんから?
ものすごく嫌な予感がする。
千代さんに話した「妙な話」なんて、一つしかない。
「……何を聞いたんです?」
「信之殿が、四百年ほど先より来たと申しておることだ」
やっぱり……。
千代さん……。話したのか!?
「いつ聞いたんです?」
「数日前だ」
早っ!
「姫様が黙っておく理由もあるまい」
「それは……そうなんですけど」
でも、普通はもう少しこう、源右衛門さんに話すかどうか迷う時間とかがあっても……。
男は源右衛門さんをじっと見た。
「……四百年先だと?」
「本人は、そう申しておる」
「…………!?」
「何だ、その顔は」
「いや、あの堅物の源右衛門殿が……ついに冗談を申すようになったのかと思った」
「申すか」
「確かに……」
「姫様は、どう思っておられる?」
「分からぬと申しておった」
「分からぬだと?」
「ただ、この男が偽りを言っているようには見えぬ、ともな」
男が今度は俺を見る。
「……なるほど」
だから、何がなるほどなんだ。
◇
やっと解放された!
しかし、その後も男は、作兵衛さんや村の人たちから話を聞いて回っているようだった。
自分のことを調べられるのは、あまりいい気分じゃない。
とはいえ、さっきの話の流れなら当たり前だろう。
俺自身、自分の説明がまともにできないのだから。
「信之殿」
振り返ると、千代さんがやって来た。
「はい」
「一緒に、来てくれますか?」
「どこへ?」
「近くの沢まで。少し見ておきたいところがあります」
「信之殿も、ずっとここにいては退屈でしょう?」
作兵衛さんの状態も落ち着いている。
俺がずっとそばにいる必要もない。
「分かりました」
いきなりだけど、俺は千代さんと出かけることになった。
でも、俺、調査中だぞ……。
本人がいなくても、いいのか?
◇
山道を歩く。
見覚えがあるような、ないような景色だ。
山の形は、だいたいは同じだ。
でも、道がかなり違う。
木の生え方も違う。
当然、見慣れた家もない。
「もしかして、この先は川ですか?」
「ええ」
「やっぱり」
千代さんが俺を見る。
「なぜ知っているのです?」
「……なんとなく」
「なんとなく、ですか」
「四百年後でも、川の位置はあまり変わってないみたいですから」
「なるほど」
少し歩くと、道が二つに分かれた。
俺は右を見る。
たしか、こっちだったような――。
「こっちかな」
「そちらには行けませんよ」
「え?」
「三年前の大雨で道が崩れました。まだ直ってません」
「……そうなんですか」
「こちらです」
千代さんが左へ進む。
俺も後を追った。
変な感じだ。
ここは知っている場所だったのに、千代さんに教えてもらわないと先に行けない。
しばらくすると、田畑が見えてきた。
千代さんは、畦にいた男に声をかけた。
「穂が出てきましたけど、水は足りていますか? これから沢の様子を見に行くところです」
「今のところは。上の沢がまだ枯れておりませんので」
「下の田まで回っていますか?」
「はい。今年は水の心配はなさそうです」
「それならよかった」
また少し歩く。
今度は向こうから来た老婆が、千代さんを見つけて頭を下げた。
「姫様」
「お加減はいかがです?」
「おかげさまで、良くなりました。もう畑にも出ております」
「無理はしないでくださいね」
老婆が笑う。
千代さんも笑った。
そのまま、また歩き出す。
「知り合いですか?」
「ええ」
「さっきの人も?」
「ええ」
「……この辺の人、みんな知ってるんですか?」
「家に関係する者なら、だいたいは」
そう言った直後。
「あ、姫様!」
道の向こうから子どもが手を振った。
千代さんも手を振り返す。
……本当だ!
この人、本当にこの辺りのことをよく知ってるんだな。
◇
今日の用事はこの辺りの田の様子と水の具合を見ることだったらしい。
沢の様子を確認し、いくつか田を見て回ったあと、川の近くで少し休むことになった。
「こうやって、いつも田を見て回ってるんですか?」
「いつもではありません。百姓たちに何か困っていることがないか、時々こうして見て回るのです」
「千代さんって、ちゃんとみんなのこと見てるんですね」
「時々、様子を見ているだけですよ。普段の田のことは彼らに任せています。田植えや稲刈りは私も邪魔にならないくらいに手伝いますが」
「姫も田植えするんですか?」
「しますよ?」
千代さん、思ってた姫と違う……。
「この米も、私が田植えと稲刈りを手伝った田の米ですよ」
千代さんが持ってきた包みを開く。
ただのおにぎりなのに、そう言われると、妙においしそうに見える。
実際、おいしかった……が、
「しかし……」
千代さんが言った。
「もう少し上手く答えられなかったのですか?」
「何をです?」
「先ほどのやり取りです。心配だったので、裏から様子を見ていたのですが」
「あれは無理ですよ」
「なぜです?」
「だって、本当のことを答えても、ほとんど話が通じないんだから……」
「ならば、少しくらい話を作ればよいでしょう」
「あれが精いっぱいですよ。千代さんだって、源右衛門さんに俺の話をそのまま伝えてたみたいじゃないですか」
「あれは話してよいと、信之殿が言ったのでしょう?」
話すのが早すぎる気がするが、それを言われると仕方ない……。
「嘘をつけってことですか?」
「物には言いようがあります」
「俺には無理ですよ」
「…………」
千代さんが俺の顔をじっと見た……。
「やはり、信之殿は予想通りですね」
そう言って笑い、おにぎりを頬張った。
何が予想通りなんだろう……。
◇
宿に戻った頃には、男の調べもひと通り終わっていた。
「それで……」
俺は男の前に座った。
「散々調べたが、何も分からぬ」
「そうですか」
そりゃそうでしょ。
「だが、分かったことはある」
「え!?」
「まず、この辺りで行方の知れなくなった者の中に、お主に当てはまる者はおらんかった」
「はい」
「近くの村にも、お主を知る者はいない」
「はい」
「近隣の薬師にも、その弟子にも、当てはまる者はいない」
「……はい」
「寺社にも、お主を知る者はいない」
「はい」
「つまり」
男が俺を見る。
「この辺りの者だと申すのに、お主につながる者が一人もおらぬ」
……だから、そりゃそうなります。
自分で聞いていても、怪しすぎる……。
源右衛門さんが腕を組む。
「どこぞの密偵という線はどうだ?」
「薄いだろう」
男はすぐに答えた。
「なぜだ」
「密偵ならば、もう少しましな素性を用意する」
「それに……これほど調べれば、普通はどこかにつながる。村、家、主、師、寺。何か一つくらいはな」
男が俺を見る。
「だが、この者につながるものは何もない」
「つまり、残る可能性は……」
男が額に手を当てた……。
「本当に、申せる素性がないように見える」
「では、何者だ」
源右衛門さんが聞いた。
「それが分からぬ」
二人が黙った。
俺も黙った。
「故あって、素性を明かせぬ者……」
源右衛門さんが絞り出すように言った。
いや、明かせないというか、言っても分かってくれないじゃん。
男も少し考えた……。
「あり得ぬ話ではない」
「これほどの知識を得られる環境にありながら、武家や寺社の育ちではない」
「うむ」
「百姓や流れ者とは思えぬ」
「うむ」
「仕える主もおらぬ」
「そして、揚羽の紋を用いる家……それ以上の関係は分からぬが、姫様の家も揚羽を用いておる」
「うむ」
「……相応の家の者かもしれぬな」
何のこと?
「しかし、武家や寺社でないとすれば」
源右衛門さんが男を見る。
「都か?」
「可能性の一つだ」
「公家に連なる家……?」
「そうとは言い切れんが、御家騒動など、何か事情があって素性を明かせぬというなら、確かにうなずける話だ。しかも、家に帰れば家督を継ぐ可能性のある身でもある……」
どうしてそうなる。
「待ってください」
二人が俺を見る。
「違います」
「何がだ」
「公家じゃないです」
「では、何だ?」
「説明できないんです……」
「またか……」
男がさらに疲れた顔をした。
◇
結局。
俺が何者なのかは、分からなかった。
ただし、密偵とは考えにくく、今のところ危険な人物でもなさそうだ、ということになったそうだ。
一方で、有力な家の人間である可能性も捨てきれず、身元不明のまま宿にいつまでも置いておくわけにもいかないらしい。
では、どうするか……。
「しばらく、姫様のもとで預かっていただく」
「……千代さんのところ?」
「そうだ」
源右衛門さんがうなずいた。
「姫様は、すでにお主と数日行動しておる。お主も姫様には多少なりとも事情を話している」
「まあ……はい」
「姫様の目の届くところならば、こちらとしても都合がよい」
なるほど。
監視付きということか。
「千代さんは?」
「承知しておられる」
「もう!?」
また俺の知らないところで話が進んでる。
こうして俺は、
身元不明の謎の薬師のまま、
千代さんのところで暮らすことになった。




