第16話 父ちゃんの一日?
「千代姫さま! 今日は一日、ままごとして!」
突然、徳丸くんが千代さんにお願いした。
「……ままごと、ですか?」
さっきまで痛い痛いと泣いていたのに、すっかり元気になったようだ。
「うん! お母ちゃん、夕方まで帰ってこんもん!」
……そうか。治療は終わったけど、迎えが来るまで徳丸くんを預からないといけないんだ。
「ああ、そうでしたね」
千代さんは、徳丸くんの目線に合わせてしゃがんだ。
「でも、徳丸。怪我をした手は、まだ大事にしないといけませんよ?」
「うん! ちゃんとする!」
「それなら少しだけ遊びましょうか」
「やったあ!」
徳丸くんが、うれしそうに飛び跳ねた。
「じゃあね、千代姫さまは、お母ちゃん!」
「まあ、私がお母ちゃんですか?」
「うん!」
これなら一安心だな。
よしよし。ここは千代さんにまかせて、俺は少し休ませてもらおう。
「信之先生は、お父ちゃん!」
「…………えっ?」
「お父ちゃんだよ!」
俺、ままごとに参加するなんて一言も言ってないぞ?
「信之殿。徳丸がお願いしているんですから、付き合ってあげましょうよ」
千代さん、また無茶ぶりだ!
「お家はこの茣蓙ね」
薬草畑の隅に茣蓙を敷いてお家を作ってる。
「じゃあ、はじめるよ!」
「えっ、ちょっと待って。何をすればいいの?」
「お父ちゃんは、お魚とってくるの!」
「魚っ!?」
「うん! お父ちゃんは漁師だから!」
「お母ちゃんは、ご飯つくるの!」
「分かりました。では、何を作りましょうか?」
「お魚!」
「あれ? 魚って、まだ捕ってきてないけど……」
「そうだよ! 捕ってきたのを、お母ちゃんが料理するの!」
そういう事か。でも、いきなり魚を捕れと言われてもな……。
ままごとって、こんなにサバイバルな遊びだったか!?
「お父ちゃん。早く魚を取ってこないと、ご飯になりませんよ。徳丸もお腹を空かせてます。頑張ってください!」
っていうか千代さん、もうノリノリでお母ちゃんになってるんだけど……。
「はいっ、すぐ行きます!」
母ちゃんに急かされたんじゃ、もたもたしてられない!
とりあえずゆかし潟まで行ってみた。
……いたいた、ボラのような結構大きい魚がたくさんいる。
これを捕って帰ったら母ちゃんも徳丸もきっと喜ぶぞ!
着物の裾と袖をまくって水に入る。
網とかの道具がほしいところだけど、水深はすねの半ばくらいで浅いから、うまく追い込めば捕まえられるだろう!
両手を広げて、魚を岸の方へ追い込む。
……でもそんなに甘くはなかった。
何度捕まえようとしても、あと少しのところで、バシャバシャ逃げられてしまう。
「うわっ、また逃げられた!」
くっ、今度こそ……!
全力で両手を伸ばして捕まえようとしたとき、底から飛び出た石につまずいて前のめりに転んでしまった!
「やっちゃった。全身びしょ濡れだ……」
「なんじゃ、水遊びでもしておるのか?」
岸の上から松庵先生の声がした。
「いえ、魚を獲って帰らないと、母ちゃんに怒られるんです」
「母ちゃん? 誰のことじゃ?」
「千代さんです……あっ、今、徳丸くんと三人でままごとをしているんです」
「はっはっは! ままごとにそこまで本気になる奴がおるか! 別に本物の魚なんぞ獲らんでもよかろうに!」
「でも、母ちゃん……千代さんに『早く魚を……』って言いつけられてるんで……」
「お主、もうすっかり本物の父ちゃんみたいじゃのう!」
松庵先生が、なぜか妙にしみじみと言った。
「……いや、そういうわけじゃないと思うんですけど」
「その辺の葉っぱでも木切れでも、魚に似た物を持って帰ればよいじゃろ。もたもたしてると、怖い母ちゃんに怒られるぞ……。はっはっは!」
「…………」
……確かに、これは、ままごとだ。
何か納得できないけど、とりあえず近くに落ちてた鯖みたいな形の木切れと、サンマみたいな葉っぱを適当に集めた。
じゃあ俺、何のためにずぶ濡れになったんだ!?
「早く帰らないと母ちゃんに怒られる。でも、このままびしょびしょで帰るのもまずい」
……詰んだ。けど、家で母と子が腹を空かせて待ってる。帰ろう!
「ただいま! 今日は大漁だったよ、サバとサンマが捕れた。母ちゃんも徳丸も腹減ってただろ? しっかり食べるんだよ」
「お帰りなさいま……ええっ!? どうしたんですか? お父ちゃん、その格好は!?」
「いやあ、本物の魚がなかなか捕れなくて……」
「本当に魚を捕りに行ったんですか!?」
「えっ? だって母ちゃんが……」
「信之殿、よく考えてください。ままごとですよ?」
「さっき松庵先生にも同じことを言われました」
「それはそうでしょう」
「お父ちゃんすごいね」
「うん、お父ちゃん、みんなのためにがんばったぞ」
「やったー!」
ありがとう、徳丸。かわいいなあ。
「それよりも、その恰好のままでは風邪をひいてしまいます。家に入って着替えましょう」
松庵先生の家に入ると、母ちゃんが俺の荷物から着替えを取り出してくれた。
そのまま俺のすぐ目の前に来た。
「替えの着物は用意しましたから、早く脱いでください」
「…………え?」
ちょっと待って、いや、今は確かに母ちゃん役だけど、それはさすがに……。
「もう、困ったお父ちゃんですね。さあ、早く!」
帯をほどかれ、濡れた着物を肩から脱がされていく。
「あっ、だめ、千代さん。それ以上は……」
「あたりまえです。肌着は自分で替えてください」
そこは事務連絡のように言われた。
そりゃそうだ。俺は何を焦っていたんだ。
「すみません」
「着替えはこれです。あとはあちらの部屋で着替えてください」
「あ、母ちゃん、ありがとうございます」
母ちゃんは濡れた着物を乾かしに行ってくれた。
俺は素早く着替えを済ませ、外で待つ徳丸のところに戻った。
「お父ちゃん、魚、早く食べたいね」
「今日は大漁だったからね! いっぱい食べられるぞ」
まあ、木切れの鯖と、葉っぱのサンマだけど……。
「お母ちゃん、早く帰ってこないかな!」
「そうだな、母ちゃんが帰ってきたら、みんなで食べような」
「さて、サバとサンマを焼きましょうか」
千代さんは、木切れと葉っぱを焼く真似をした。
「はい、できましたよ。お父ちゃんと徳丸には、大きくておいしそうなのを用意しましたからね」
「はい、じゃあみんなで、いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
食べる真似をしていると、徳丸が言った。
「お母ちゃん、ほんとにお腹空いてきちゃった」
たしかに、気が付いたらもう昼だ!
「徳丸は何が食べたい?」
「おにぎり!」
「じゃあ、ままごとは少しお休みにして、私がおにぎりを作ってきますね」
千代さんが立ち上がると、徳丸くんも後を追おうとした。
「ぼくも行く!」
そういえば千代さん、俺の濡れた着物まで片付けてくれたし、朝からずっと動きっぱなしじゃないか。
「徳丸、お母ちゃんがおにぎりを作ってる間、お父ちゃんとここで待ってよう」
「えーっ!」
「じゃあ、お父ちゃんと遊んで待ってようか」
「うん」
「千代さん、徳丸くんは俺が見てます」
「ありがとうございます。では、信之殿、お願いしますね」
「他にも何かできることがあれば、言ってくださいね」
「今は大丈夫です。おにぎり、頑張って作りますね」
千代さんが松庵先生の家に向かおうとしたとき、松庵先生が様子を見に来てくれた。
「おお、信之殿、先ほどはえらい張り切っておったが、母ちゃんには怒られずに済んだのか? ちょうど昼飯の味噌汁を作っておったところじゃ。よかったら一緒に食べていかんか?」
結局、昼はみんなで千代さんのおにぎりと、松庵先生の味噌汁を食べた。
本物の魚はなかったけど……。
「ごちそうさまでした」
「徳丸くん、お腹いっぱい食べた?」
「うん、お腹いっぱい。おにぎりとみそ汁、とってもおいしかったよ。お母ちゃん、松爺、ありがとう!」
「よかったのう」
松庵先生が満面の笑みでつぶやいた。
「千代さん、疲れてませんか?」
「そうですね。さすがに今日は疲れました。でも、徳丸が元気になってくれて、ほっとしました」
「お父ちゃん」
「ん? どうしたの?」
「……ねむい」
徳丸くんが眠そうな目で、俺の袖を引っ張った。
そうか、朝から大騒ぎだったもんな。
「じゃあ、少しお昼寝しようか」
「うん……」
「松庵先生、どこか休ませてもらえる場所はありますか?」
「おお、奥に部屋が空いとるぞ。昼寝するなら好きに使ってくれ」
「ありがとうございます!」
松庵先生に案内してもらった部屋には、畳が敷かれていた。
千代さんが借りた布団を広げると、徳丸くんはさっそく横になった。
「じゃあ、ゆっくりお休み」
そう言って立ち上がろうとすると、徳丸くんが俺の袖をつかんだ。
「お父ちゃんも寝るの!」
「えっ、俺も?」
「うん!」
「いや、俺は眠くないんだけど……」
「やだ! 一緒に寝る!」
……参ったな。
「信之殿。付き合ってあげましょう」
「そうですね……」
仕方なく、徳丸くんの隣に横になった。
すると今度は、徳丸くんが反対側を指差した。
「お母ちゃんも!」
「まあ、私もですか?」
「うん! こっち!」
千代さんが俺の方をちらっと見た。
「信之殿、よろしいですか?」
「えっ? あ、はい。俺は大丈夫ですけど……」
「では、少しだけ」
千代さんも徳丸くんの反対側に横になり、三人で一枚の掛け物をかぶった。
いや、これ……。
何だか、本当の家族みたいじゃないか?
「えへへ……」
徳丸くんは、よほど嬉しいのか、満足そうに笑っている。
「お父ちゃん、お手て!」
「はいはい」
徳丸の小さな左手が俺の指をぎゅっと握った。
「お母ちゃんも!」
「はい」
千代さんも、徳丸くんの右手にそっと手を添えた。
「これでいい?」
「うん!」
徳丸くんは、満足そうに目を閉じた。
……なんだか、妙に落ち着くな。
外から鳥の声が聞こえる。
窓からは秋の優しい光が差し込んでくる。
さっきまであんなに騒がしかったのに、急に静かになった。
徳丸くんも、そろそろ眠ったかな?
そう思って顔を覗き込むと、ぱちっと目が開いた。
「ねえ、お母ちゃん」
「はい、何でしょう?」
「お母ちゃん、お父ちゃんのこと好き?」
「え!?」
……ん?
千代さんの声が、少し裏返ったような気がした。
「だって、お父ちゃんとお母ちゃん、仲良しだもん!」
「そうですね。信之殿には、いつも助けていただいていますから」
「じゃあ、好きなんだね!」
「ええと……最近は、いつも一緒にいますし……」
あれ?
千代さんが、珍しく言葉に詰まっている。
「好きなら、ちゃんと好きって言わないとだめだよ!」
「徳丸はね、お母ちゃんにもお父ちゃんにも、大好きって言ってるよ!」
「ええっ……徳丸」
「はい、ちゃんと言って!」
おいおい、言いたいことは分かるけど、この子……何てことを言い出すんだ!?
「ほら、お父ちゃんに!」
徳丸くんが、俺の手を引っ張った。
「えっ!? 俺!?」
「うん!」
千代さんと目が合った。
……やっぱり、少し困ってる?
「お母ちゃん、早く!」
「……もう、徳丸ったら」
「……信之殿」
「は、はい!」
千代さんは息をついて、目をそらした。
「……好きですよ」
「えっ!?」
ままごととはいえ、とんでもないことを言ってるぞ!?
「やった! ちゃんと言えた!」
徳丸くんが、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、お父ちゃんも、お母ちゃんに好きって言って!」
……順番からすると、そうなるよな!?
「ええっと……」
千代さんを見る。
さっきまで困った顔をしていたのに、今度は落ち着いた顔で俺を見ている。
……何だか、こっちの方が恥ずかしいぞ。
「お父ちゃんも早く!」
「あ、うん……」
「千代さん……」
「はい」
千代さんがほほ笑んだ。
「俺も、好きだよ」
「やったあ!」
「これで、お父ちゃんとお母ちゃん、仲良しだね!」
「……そうですね」
千代さんは、少し頬を赤くして答えた。
「じゃあ、寝る!」
「はい。おやすみなさい、徳丸」
「おやすみ……」
徳丸くんは、俺と千代さんの手をつないだまま目を閉じた。
しばらくすると、すうすうと小さな寝息が聞こえてきた。
さっきまであれだけ騒いでいたのに、子供って、急に眠るんだな。
徳丸くんの顔を見ていると、千代さんと目が合った。
「……信之殿」
「はい?」
「今日は、いろいろと大変でしたね」
「あ、そうですね……。まさか、本当に魚を捕りに行くことになるとは思いませんでした」
「ふふ。あれには驚きました」
「いやあ、怖い母ちゃんに言われたので……」
「怖い母ちゃん?」
「あ、それはままごとの役作りというか……」
「私はままごとで魚を捕ってきてと言っただけです。本物の魚を捕ろうと湖に入ったのは信之殿でしょう」
「千代さんだって、那智の川で蟹を捕ってずぶ濡れになったことあるじゃないですか?」
「……それは、私が子供の頃の話です」
「うっ……」
「それに、蟹はちゃんと捕まえました。信之殿とは違います」
「……そこを比べます!?」
「……で、信之殿。まさか普段から私を怖い母ちゃんのように思っているんじゃないでしょうね?」
「いや、今の千代さん、十分怖い母ちゃんになってますよ!」
「あっ……」
徳丸を起こさないように笑いをこらえていたけど、目が合った途端、二人とも吹き出してしまった。
「でも、徳丸くんがこんなに楽しそうにしてくれて、よかったです」
「そうですね」
「子供がいるって、良いものですね」
千代さんが、徳丸くんの頭をそっとなでた。
「大変ですけど、私もそう思いました」
俺たちはしばらく、そのまま静かに徳丸くんの寝顔を眺めていた。
……あれ?
ふと見ると、千代さんも目を閉じていた。
徳丸くんの右手にそっと触れたまま、静かに寝息を立てている。
そりゃ、疲れるよな。朝からずっと頑張ってたもんな。
こうして見ると、二人ともかわいいな。
二人の寝息を聞きながら、俺もそっと目を閉じた。
◇
夕方になって、徳丸くんの両親が迎えに来た。
傷のことを説明し、治るまでは無理をさせないようにお願いした。
「千代姫さま! 信之先生!」
帰り際、徳丸くんが振り返った。
「また、お父ちゃんとお母ちゃんになってね!」
「はい。また一緒に遊びましょうね」
千代さんが、すぐに答えた。
徳丸くんは、何度もこちらを振り返りながら帰っていった。
……急に静かになったな。
「今日は、千代さんと徳丸くんと三人で過ごせて、楽しかったです」
「……はい。私も、楽しかったです」
千代さんは、徳丸くんたちの帰っていった道を眺めていた。




