第14話 謎の薬師と薬剤師
稲刈りから、一か月ほど経った。
田んぼの周りではススキの穂が風に揺れ、朝晩は、ひんやりとした空気を感じるようになってきた。
もうすっかり秋だ。
村では、刈り取った稲の脱穀や、冬に向けた仕事が続いている。
「おう、薬師殿! 今日は手伝いに来てくださらんのか?」
道端で仕事をしていた男が、笑いながら声をかけてきた。
「今日はちょっと用事があって。でも、また今度手伝わせてください!」
「ははっ、薬師殿には薬師殿の仕事があるからな! ちと寂しいが、あとは俺たちに任せてくれ。とびきり旨い新米に仕上げとくからよ!」
「ありがとうございます!」
「信之殿も手伝ってくださった今年の新米、楽しみですね」
隣を見ると、千代さんが笑っていた。
「新米といえば……千代さんのおにぎり、今度は新米で作ってほしいです。あれ、本当においしかったから!」
「ふふ、信之殿、褒めすぎです。でも、あのような物でよければ、また握るようにしますね」
「やった。お願いします。約束ですよ」
千代さんと一緒に村の仕事をするようになって、いろんな人たちとずいぶん馴染んできた。
そういえば今日は、前から楽しみにしていた日だ。
千代さんの知り合いの薬師に会いに行く!
「信之殿、そろそろ参りましょうか」
「そうですね、千代さん、早く行きましょう!」
「今日は、ずいぶん楽しそうですね」
「もちろんですよ! ようやくこの時代に手に入る薬が分かりそうなので」
「ふふ。それはよかったです」
そう言って、一緒に歩き始めた。
ふと、稲刈りの日に子供たちから散々からかわれたことを思い出した。
いつの間にか、千代さんと二人でいるのって、何かもう当たり前になってたんだな。
いや、別に変な意味はない。これは仕事だし、千代さんは姫様なんだから。
そして、今日はこの時代の薬の勉強だ!
◇
その薬師は、二河の村のはずれに住んでいるらしい。
千代さんの屋敷からは歩いて半日ほどかかる。
那智の村を抜けて、山道に差し掛かった。
足元には枯れ草が折り重なっていて、歩くたびにかさかさと乾いた音がする。
「その薬師の先生って、どんな人なんですか?」
「お歳は六十ほどでしょうか。松庵先生という方で、ずいぶん前から二河で薬師をされています」
「地元の生まれとかですか?」
「いいえ。もとは都にいらしたそうです。やんごとなきお方に仕えておられたという噂を聞いたことがありますが、詳しい事は話したがらないので……」
「へえ……」
都で薬師をしていた人か。
それなら、かなり本格的な知識を持っているかもしれない。
「……って、千代さん、そんなすごい経歴の人なのに、作兵衛さんが怪我したときに何で呼ばなかったんですか?」
「ああ、松庵先生は薬草が専門ですから、傷の手当はあまりなさらないんですよ」
「ちょっと待って、千代さん!? 俺だって傷の処置は専門外ですよ、しかも大の苦手だってはっきり言ったのに……」
「それはそうかもしれませんが、あの時は信之殿がすぐ近くにおりましたから。それに、ちゃんと治療してくれましたし」
「俺、あの時はかなり無理したんですよ!」
「それは十分分かっています。あの時の信之殿の顔を思い出すと、申し訳なかったと思います。血や傷が本当に苦手なのに、最後まで懸命に手当てをしてくれました……」
千代さんと目が合った。
「それは、信之殿の人柄と強さだと思います。だから私、信之殿を信頼してるんですよ」
いつもより少し真面目な顔をしている。
「え?……そうだったんですか」
「はい」
……なんだか、急に照れくさくなった。
「そう言われると、悪い気はしませんけど、また無茶ぶりだけはやめてくださいよ」
「ふふ、それは時と場合によります。信之殿、頼りにしていますよ」
いつもの涼しい顔に戻ってる。
「いや、そんな……。そこは配慮してくださいよ」
千代さんは何も答えてくれない。
「…………」
目が合った途端に二人で笑ってしまった。
こういう時の千代さんって、無茶苦茶強引だよな。俺にとってはシャレにならないけど。
仕方ないか……? いや、次は巻き込まれないように気をつけよう!
「それで、腕は確かなんですよね?」
「はい。薬草には大変詳しくて、家の薬のことではいつもお世話になっています」
「なるほど」
「ただ……」
「ただ?」
「大のお酒好きで、豪快な方です」
「……お酒? いや、今回は薬の勉強に行くんですよ。別にお酒を飲みに行くわけじゃないですから」
「そうだといいのですが……」
千代さんは、それ以上何も言わなかった。
薄暗い山道を抜け、景色が広がると、目の前には、ところどころもやのかかった湖が見えてきた。
俺の時代ではゆかし潟と呼ばれる汽水湖だ。
「千代さん、あのもやって温泉の湯気ですか?」
「そうですが、信之殿、よく知ってますね」
この時代の温泉ってどんなお湯なんだろう? 一度、入ってみたいかも!
湖のほとりにそってしばらく歩くと、木々の間にいくつかの建物が見えてきた。
周りの畑には、何種類もの薬草らしき植物が植えられている。
軒先には束ねられた葉や根が吊るされ、日の当たる縁側には茶色や黒の砕片が干されていた。
近づくにつれて、独特の匂いが漂ってくる。
「……生薬の匂いだ」
「しょうやく?」
「あ、いえ。俺の時代では、こういう薬のことをそう呼ぶんです」
「そうなのですね」
家の前についた。
「松庵先生。お久しぶりです」
千代さんが声をかけた。
すると、家の奥から威勢のいい声が返ってきた。
「おお! 来たか来たか! 待っておったぞ!」
出てきたのは、白い髭を蓄えた老人だった。
六十くらいだろうか。
少し背は曲がっているが、目つきは驚くほど生き生きとしている。
「千代姫様、ようおいでなされた。頼まれておった屋敷の薬は、奥に用意してありますぞ」
「ありがとうございます」
「屋敷の薬? 今日は千代さんの用事もあったんですか?」
「ええ、毎年この時期になると、冬に備えて屋敷に置いておく薬をいただきに来ているんです。風邪薬や傷薬くらいの、薬師でなくても使える簡単な薬ですが……」
「へえ、そうなんですか。家の常備薬みたいなものですね」
「して、そちらが噂の薬師殿か?」
「はい。こちらは、薬草を学びに参りました薬師です。よろしくお願いしますね、松庵先生」
「はじめまして。山﨑信之と申します」
「おお、わしが松庵じゃ。よう来たのう!」
「では、私は奥で薬を選んでから、こちらの村で少し用事を済ませてまいります。信之殿は松庵先生にゆっくり教わってきてください」
千代さんは、家の奥へ向かった。
松庵先生は俺の顔をじっと見つめた。
「ずいぶん若いのう」
「まだまだ修行中ですから……」
「聞いておるぞ。傷を水で洗ったり、妙な飲み物で暑気あたりを治したりしておるそうじゃな」
「……そんな噂になるほどの事じゃないんですけど」
「はっはっは! この辺りで、そんな変わったことをするものはおらんぞ!」
松庵先生は豪快に笑った。
「まあ、よい。まずは中へ入れ。話はそれからじゃ!」
◇
早速、作業場らしき建物の中に案内された。
土間にはずらりと壺が並んでいて、かまどからは、何かを煎じているような匂いがただよっている。
部屋の壁際の棚には、乾燥させた薬草らしきものがぎっしりと並んでいて、中央の作業台には、薬研らしい道具や乳鉢、そのほかにも見たことのない器具が所狭しと置かれていた。
「まあ、座れ座れ」
「はい!」
松庵先生は、奥から赤い紐のついたヒョウタンを持ってきた。
「さて、まずは一杯」
俺の前に、杯が置かれた。
「……え? 早速、薬草の味見とかですか?」
「そうじゃ、お主も薬師なら分かるであろう。百薬の長じゃ」
って酒じゃないか。そういえば松庵先生、まだ昼間なのに酒臭い……!
「あの、すみません。俺、お酒はあまり飲めないんです」
「はっはっは! 薬師たるもの、ザルくらいに飲めんでどうする!」
意味が分からない。大丈夫か……この先生?
「冗談はさておき、患者が来なさそうじゃったから、朝から飲んどるんじゃよ。わしの勘では今日は一日何も起こらんはずじゃ。せっかく遠くから来たんじゃ、ささ、まずは一杯……」
患者が来ないのは平和で良いことだけど、患者が来るかどうかなんて分かるわけないだろ……?
「なんじゃ、せっかく飲み相手が来たかと思ったのに寂しいのう。一杯くらい飲めんのか?」
そこまで言われたら断りづらい……。まあ、少しくらいならいいか。
「では、せっかくなので一杯だけいただきます」
千代さんがさっき言ってた意味が分かった気がした。
「はっはっは! 気に入ったぞ、信之殿! ほれ、とっておきの酒じゃ!」
松庵先生は上機嫌で、なみなみと酒を注いでくれた。
「では、いただきます」
杯を両手で持ち上げ、少し口に含んだ。
「……うっ、強い」
「はっはっは! よい飲みっぷりじゃ! では、じっくり話そうじゃないか……それで、わしに薬草を教わりたいとな?」
「はい!」
やっと、本題にたどりつけた。
「この熊野で手に入る薬のことを、ちゃんと知りたいんです。あと、できれば、この辺で採集できる薬草についても……生えている場所とか、使う部位、薬にする方法とか。それから、症状に合わせた使い方とかも」
「ほう……」
杯を持った松庵先生の手が、止まった……。
「お主も薬師なのじゃろう? 薬の見分け方や使い方くらい知っておるのではないか?」
「俺がいた場所のよく使う薬ならわかるんですけど、ここの薬は、かなり違うんです」
「確かに、土地により扱う薬草は変わるが、そんなに大げさなことかのう? よく分からんが……まあよい。見せてやろう、畑に行くぞ!」
松庵先生が首をかしげながら俺を見て、楽しそうに笑った。
◇
案内されたのは、家の裏にある薬草畑だった。
畑というと、日当たりのいい場所というイメージがあるけど、半分くらいは木陰だ。それぞれの畝に薬草らしき植物が植えられている。
「こちらは芥子、その隣が桔梗、あちらには夏枯草も植えておる。木陰のあたりは黄連じゃな」
松庵先生は、畝を指差しながら次々に薬草の名前を教えてくれた。
「すごい……いろいろ栽培してるんですね」
「はっはっは! 畑の薬草だけじゃなくて木もあるぞ。ほれ、山椒にミカン、ニッキの木じゃ!」
松庵先生は楽しそうに、畑の隣の山を指差した。
「もしかして、ミカンは実の皮を乾かして陳皮、ニッキは木の皮を剥いで桂皮にするとかですか?」
「なんじゃ、このあたりの薬を知らんという割には詳しいじゃないか。まあ、ニッキは本来なら根の方が香りが良いんじゃが、根が育つには時間がかかるからのう。わしは幹の皮を使っておる」
「あ、でも、実際に薬草の加工をしたことは無いです。知識として覚えてるだけで……」
「薬師なのに薬を作ったことが無いとは、ますます不思議な奴じゃの?」
「なんかすみません。ややこしくて」
松庵先生は一瞬、不思議そうに俺の顔を見た。
「ふむ……まあ、人にはいろいろ事情があるものじゃ。気にせんでよい」
そう言って、畑の一角にある薬草を指差した。
「では、これは何か分かるか?」
「形はマメ科の植物に見えますけど、それ以上は分かりません」
「豆……? まあ、さすがにこれは分からんじゃろうな。では葉をかじってみるか? ほれっ」
葉を一枚ちぎって渡された。
何だろう、この細長くとんがった葉……。
「苦っ!?」
「よく効く下剤になる薬草じゃ」
「マメ科の植物で、下剤になる、苦味のある有効成分……あ、わかりました。センノシドですね。生薬の名前だとセンナ!」
「ん? センナで合っておるが、なぜ知っておる? これはわしが以前、都で南蛮渡りの薬を扱う商人から、運よく種を手に入れたものじゃ」
「薬の知識として覚えているだけです」
「都でもこれを知る者はほとんどおらんくらい珍しいものじゃぞ……。それにセンノシドとは何のことじゃ?」
「あ、センナに含まれている有効成分です。これが腸の中で分解されて、大腸の動きを活発にするんです」
「……? 何を言っておるんじゃ? 信之殿」
「あ、ごめんなさい。順番に説明します。薬草にはいろんな物質が含まれていて、その中には薬として働くものと、そうじゃないものがあるんです。センノシドというのは、その薬として働く物質の名前です」
「ふむ……センナは煎じて使うものとしか思っていなかったが、それは、その中のセンノシドというものを取り出して使っていたということか?」
「あ、そうです! そんな感じです!」
……なんだか、薬学部の講義を思い出した。
「面白いことを言うのう。長年薬草を扱ってきたが、そんな考え方は初めて聞いたぞ」
「でも、俺が知ってるのは理屈だけなんです。薬草をどのくらい使えばいいかも分からないのに、知識だけで無茶するわけにはいきません。治療するつもりが、かえって悪化させてしまうかもしれませんから……」
「なるほど、確かにそうじゃな……」
松庵先生は一瞬、何かを考えるように黙った。
「……その慎重さは、わしも見習わんといかんな」
「いえ、そんな……。ただ怖がりなだけですよ」
「それにしても、お主の話はわしの知らぬものばかりじゃ。ほかにも何か知っておるのか?」
「ええっと、薬が体にどう効くのかとか、薬だけじゃなくて、身の回りのいろんな物質の性質とか。それから、人の体の仕組みや、病気のことも少しなら分かります」
「なんと、そんなにか? それはぜひ、もっと聞かせてもらおうか! その代わり、薬草のことで、わしの知っておることは何でも聞いてくれ!」
結局、日が暮れるまで薬について語り合い、この時代で役に立ちそうな薬草や、その使い方をいろいろ教えてもらうことができた。
っていうか、酒豪の薬師ってもしかして……?




