第3話:一難去ってまた一難
「ガァアアアア!!!!」
片目を潰されたオオカミが、周囲の商品棚をなぎ倒しながら痛みに悶えている。
その拍子に棚から落ちた、業務用洗剤のボトルが目に入った。
これなら……いけるかもしれない
生き残るために、頭の中で素早く作戦を組み立てる。成功するかはわからない。だが、やらなければ食われて終わるだけだ。
急いで洗剤を手に取り、床の特定の場所に中身をぶちまける。そしてオオカミに向かって叫んだ。
「おい! 俺はここだぞ!」
声に気づいたオオカミは、よろめきながらも体勢を立て直し、残った片目でこちらを睨みつけてくる。
完全に狂乱したオオカミが、凄まじい勢いで俺を追いかけてきた。
迫りくる死の気配に背筋を凍らせながら全力で走り、洗剤を撒いた場所へと誘導する。
逃げた先は壁だ。このままでは追い詰められて潰される。
だが、俺は意を決して立ち止まり、振り返った。
逃げ場を失った俺を見て勝利を確信したのか、オオカミはそのままの勢いで跳びかかってきた。
その瞬間、死の淵に立たされた極限状態のせいか、オオカミの動きがスローモーションのように見えた。
今だ!
全力で横へ跳ぶ。
攻撃をかわされたオオカミは咄嗟に立ち止めまろうとしたが、洗剤でぬめり気の出た床に足を滑らせ、勢い余って壁へと激しく激突した。
ドカンッ、と凄まじい音が響き、オオカミが衝撃でよろめく。その隙を見逃さず、俺は背後から背中へと飛び乗った。
毛を強く掴み、振り落とされないよう必死でしがみつく。
「さっさと……倒れろ!!!」
手に握りしめたハサミを、オオカミの首元へ深々と突き立てる。
肉を切り裂き、さらに奥へ、急所へと届くよう力を込める。
「うおおおおおおおおお!!!!」
「ガァアアアアアアアア!!!!」
俺は全力でハサミを突き立て続け、オオカミは咆哮を上げながら狂ったように俺を振り払おうとする。
命と命が泥臭くぶつかり合う、極限の死闘。
「ガァ、ァ……」
やがてオオカミの膝が折れ、そのまま床へ倒れ伏した。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
オオカミの命が潰えたのを確かめた瞬間、全身から一気に力が抜け落ちた。
荒い呼吸を整えながら周囲を見渡す。凄まじい光景だ。店内は破壊し尽くされ、荒れ果てていた。
俺はバックヤードからブルーシートを持ってきて、店長と社員さんの亡骸に静かにかぶせ、深く手を合わせた。
「いつか……仇を取ります」
ボロボロになった店内を探索したが、見つかったのはライターくらいで、他に使えそうな物資はほとんど残っていなかった。
食料となりそうなのは……このオオカミの死体くらいだ。
だが、最初と違うのは火を通して食べられるという点だ。
あの生の悪臭と感触は、できれば二度と味わいたくない。
店内はいつ崩落するかわからないため、一旦外へ出て草木を集め、簡易的な焚火を作った。
最初はハサミで肉を切り分けようとしたが、脂と血で滑ってうまく解体できない。仕方なく一度家に戻り、包丁を持ってくることにした。
ハサミじゃなくて、最初から包丁を持っていればもっと楽に戦えたんじゃないか?
と、自分の準備不足に少し後悔しつつ解体を済ませ、枝に刺した肉を炎で炙る。
火の通ったオオカミの肉に、思い切りかみついた。
肉質は固く、スーパーで買った安い肉を思い出させる歯ごたえだ。
すると、頭の中で再びあの無機質な声が響いた。
『悪食の効果発動。咬合力微増:1/100』
「咬合力……噛む力のことか?」
解体と咀嚼を繰り返し、肉を焼き、喰らい続ける。
『悪食の効果発動。咬合力微増:30/100』
「あれ……? この肉、こんなに柔らかかったっけ……?」
最初は顎が疲れるほど固かった肉が、次第に豆腐でも噛んでいるかのように簡単に噛みちぎれるようになっていく。
違和感を覚えながらも、俺は喰らい続けた。
喰らい、呑み込み、また喰らう。
『悪食の効果発動。咬合力微増:100/100』
気づけば、肉の大部分を平らげていた。そして、新たに得た力の異質さを理解する。
試しに、足元に転がっていたオオカミの太い骨を拾い上げてみた。
ずっしりと重く、棍棒代わりにできそうなほどの硬度がある骨だ。
それを口に運び、力を込めて噛みついてみる。
バキッ、ボキボキッ! と嫌な音が響き、骨は飴細工のようにあっけなく噛み砕かれた。
俺の噛む力……もう人間のそれじゃないぞ……
肉体が得体の知れない化け物へ近づいていく感覚に、背筋が冷たくなった。
「これで『微増』なら、この先どうなっちまうんだ……?」
そんな恐怖混じりの疑問を抱いていたその時、遠くから複数の足音が近づいてきた。
「おいおいおい。俺たちの縄張りで何勝手なことしてんだ、お前」
「チッ、とっくに死んでると思ったんだがな。当てが外れたか」
「まぁいいじゃねぇか。なぁそこの兄ちゃん、持ってる物資、ちょっと俺らに分けてくんね?」
現れたのは三人組だった。金髪の男、顔にタトゥーの入った男、そして――さっきナイフを突きつけて逃げ出した、フードの男だ。
俺の横にあるオオカミの残骸に気づき、フードの男が二人を制止する。
「おい待て、こいつあのバケモンを一人で倒してやがる。スキル持ちだ、警戒しろ!」
「あ? このなよっちい兄ちゃんがか?」
「じゃあ先に殺しとくか。なぁっ!?」
言うや否や、金髪の男がいきなり殴りかかってきた。速い!
だが、今の俺はただの大学生じゃない。迫る拳を間一髪で掴み取る。
「ぐっ……!? こいつも身体強化系かよ!」
こいつらに容赦は不要だ。やらなければ、俺が殺される!
俺は掴んだ男の腕へ、そのまま思い切り噛みついた。
ぐちゃり、と嫌な音が響く。強化された歯と顎が男の腕の肉を容易く噛みちぎった。血の味とともに肉片をペッと吐き捨てる。腕の骨まで砕かれ、男の腕はもう使い物にならないはずだ。
「がああああ!!? くそっ、俺の腕が! ごぶっ!?」
激痛に悶える男のみぞおちへ、全力の拳を叩き込む。金髪の男は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
残る二人を見据える。
タトゥーの男はドン引きしたように頬を引きつらせており、フードの男は顔が見えないものの息をのむ気配が伝わってきた。
「あちゃー、手を出す相手を間違えたかねぇ。……だがなぁ、仲間をやられて黙って引き下がれるわけねぇだろ!」
「おい、一人で行くな! 加勢する!」
タトゥーの男がナイフを構え、フードの男も身を低く沈める。
「おらよっ!!!」
タトゥーの男が繰り出したナイフの刃が、一瞬にして炎を纏った。まずい、あれは攻撃系のスキルだ! 喰らったらタダじゃ済まない!
必死に横へ転がって炎を回避する。だが、体勢を立て直そうとした瞬間、横から疾走してきたフードの男の蹴りが脇腹に突き刺さった。
「がはっ!?」
凄まじい衝撃で吹き飛ばされ、コンビニの外壁に激しく激突する。
激痛で体が動かない。まずい、殺される……どうすれば、どうやってこの状況を打破する!?
タトゥーの男が、ゆらりと近づいてくる。
「おやぁ? 案外簡単にくたばりそうじゃねぇか」
「ぐっ……うぅ……っ」
「じゃ、サクッと殺して物資はいただいちゃいますかね」
男が炎を纏わせたナイフを、俺の首元へ向けて一気に振り下ろす。
まだだ……諦めるかよ……!
ガキィィンッ!!!!
「は……!?」
鈍い金属音が響いた。
振り下ろされたナイフの刃を、俺は口で直接挟み込み、強力な噛み合わせで受け止めていた。
「う、嘘だろ……!?」
驚愕する男の前で、顎に限界以上の力を込める。
バキィンッ!
ナイフの刃が粉々に砕け散った。
「うぁああああ!!!!」
唖然としている男の顔面へ、残された全力を込めた拳を叩き込む。
「ごふっ!?」
鼻骨を砕かれたタトゥーの男は吹き飛び、ピクピクと痙攣したあと動かなくなった。
あぶないところだった……。ナイフの破片を吐き捨てた口から血と鉄の味が広がる。
なんとか重い体を起こし、残ったフードの男を睨みつけた。
「チッ……これじゃ避難所の警備が不十分に……はぁ」
フードの男は忌々しそうに呟くと、低い姿勢のまま凄まじい速度で遠ざかり、闇の中へと姿を消していった。
「……なんとかなった、のか……?」
俺は血と破壊に満ちた路上で、ただ荒い息を吐きながら立ち尽くすことしかできなかった。




