第9話 公爵夫人の頼みごと
「ミルドレッドは……今、領地にいる。乳母の娘として名を変え、貴族であることを知らずに、生きていくことになるだろう」
カーマイン公爵は、静かにそう告げた。まるで、もう娘ではないような物言いだ。けれど見捨てたわけではない。本当にそう思っていたら、わざわざエリアルを探し出したりはしなかったはずだからだ。
大事な娘だからこそ、遠くに追いやったのだ。他人事のように言うのは、その決意を揺るがせたくないための行為。
「夫人も納得しているの?」
「ミルドレッドの幸せを思えば、納得せざるを得ないだろう。それにエリアルの境遇も知ってしまったからか、実の娘のように可愛がっているよ」
「うん。確かにそんな感じだった」
窓越しで、さらに上から見ていたせいもあり、公爵夫人の顔は見えなかったけど、腕の中のエリアルの表情は幸せそうだった。本当の母親に向ける無垢な子ども、そのものに見えたのだ。
「会っていくかい?」
「夫人に? それともエリアル?」
「どちらでも。ユニティ殿が決めて構わないよ」
「っ! それじゃお言葉に甘えて、夫人から……文句を聞く覚悟もあるからって伝えてもらえる?」
先ほど驚かせてしまったことも含めて言ったつもりだったのだが、カーマイン公爵にとっては意外だったらしい。大笑いされてしまった。でもそれだけのことを、ボクはしてしまったのだから仕方がない。
カーマイン公爵が執事に指示を出してからしばらくすると、公爵夫人が応接間に入って来た。二人は視線を交わしただけだったが、まるで示し合わせたかのように、公爵夫人はボクの目の前に座り、カーマイン公爵は応接間を出て行った。
思わず緊張感が走る。こんなボクでも、怒られるかもしれない場面には弱いのだ。
「久しぶりですね、ユニティ殿。先ほどは見苦しい姿を晒してしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、ボクの方こそ悪かったよ。その……エリアルは大丈夫だった?」
ここはミルドレッド、と言い直した方がいいのか迷ったが、カーマイン公爵を唆したのがボクである以上、そのまま尋ねることにした。というのは言い訳で、公爵夫人の反応も見てみたかったからだ。
「えぇ。とても聡い子なので、その後、何もないことが分かると、すぐに泣き止みましたわ」
「そっか。それはよかった。わざとではなかったとはいえ、泣かせてしまったことには変わりないからね。悪いことをしちゃったなぁって思っていたんだ」
「ふふふっ。ユニティ殿でも、そのような感情がおありだったとは、意外ですね」
チクリと刺す物言い。やはり、カーマイン公爵を唆したボクに対して、怒っているのかな。
「……さっき公爵から、ミルドレッドを乳母に預けたことを聞いた。君たち親子を引き離す結果となってしまったことは、本当に悪かったと思っている」
「そのお気持ちに嘘偽りはありませんか?」
「勿論ないよ! 貴族社会はどうだか知らないけど、人間の母親は、子どもを大事にするものだろう? そうじゃないのもいるんだろうけどさ」
だけど魔女の認識ではそうなのだ。生まれ変わった幼い魔女が独り立ちできるまでは、他の魔女が育てる。母親ではないけれど、認識としてはそんな感じである。
ボクの場合は、前世の知識が混じっているから、人間側の認識も、多少は分かっているつもりだ。けれど今は、魔女として生きている以上、そっちに合わせた方がいいと思ったのだ。
「少なくとも、私も夫も、ミルドレッドが大事だから手放すことにしたのです。共にいた年月は少ないですが、今もあの子を愛していますわ」
「……エリアルは?」
「勿論、愛しておりますわ。実は引き取った時、エリアルの母親に言われたんです。自分がエリアルにできることは、これくらいしかないから、と。それを聞いた瞬間、私がミルドレッドを乳母に託した時の感情を思い出したんです。だからミルドレッドの代わりではなく、エリアルを我が子と同じように育てようと決意しましたの」
真っ直ぐボクを見つめる公爵夫人。その眼差しは力強く、表面を繕っている人間には到底見えなかった。
「それで、ユニティ殿にお願がありまして」
「え? ボクに?」
「はい。ミルドレッドの姿は、祝福の場で多くの貴族が目にしています。夫と同じ銀髪に、青い瞳。けれどエリアルの髪はピンク色で瞳も紫色をしています。このままでは――……」
「すぐに別人だと分かってしまう、か」
公爵夫人の瞳の色は、エリアルと同じ紫色をしているけど、髪の色は水色だ。顔立ちだって似ていない。誰がどう見ても、親子だとは思わないだろう。
「いいよ。エリアルをミルドレッドの姿に変える魔法を施そう。これで周囲は誤魔化せるけど、公爵夫人は大丈夫?」
「何が、でしょうか」
「ミルドレッドの姿にしても、そこにいるのはミルドレッド本人じゃない。エリアルだ。君はエリアルを愛している、と言っていたけど、ミルドレッドの姿に惑わされないかい?」
酷なことを言っているのは分かっている。だけどすでに状況が普通ではないのだ。心を壊さず、エリアルも傷つけずに、向き合うことができるのか。ボクはそう問いかけた。
「自信は……ありません」
「なら止めよう。君にとっても、エリアルにとってもよくない」
「ダメです! エリアルをミルドレッドの姿にしなければ、あの子を手放した意味がなくなってしまいます。エリアルを引き取った、意味さえも……」
「……そうだね。ならこうしようか。ボクが時々、様子を見に来るよ。変身魔法が解けたりしていないか、確かめる意味としても、ね。そうすれば、公爵もこの屋敷の者たちも、不審に思わないだろう」
年月が経てば、人はまた変わる。今は無理だと言っていても、公爵夫人の努力次第で、どちらにも転ぶだろう。それにエリアルは、乙女ゲームのヒロインだ。様々な困難を乗り越えて、攻略対象者と結ばれる。幸せな未来が待っているんだ。
だから大丈夫だろう。ボクはまた、困った時に手を貸しに来るよ。それまではどうか、幸せにね。





