第38話 エリアルの居場所
「いらっしゃい」
翌日、カーマイン公爵邸に着くと、満面の笑みで公爵夫人が出迎えてくれた。ミルドレッド、という最愛の娘が戻って来たところに、エリアルがやって来たのだ。
その喜びは隠しきれない様子で、公爵夫人は迷いなくエリアルに歩み寄り、その手を取った。まるで我が子にするかのように優しく微笑みかける。
ほらね。エリアルが心配することなんて、ないんだよ。公爵夫人にとっては、エリアルもまた、娘なんだから。
けれどエリアルは、公爵夫人の歓迎に戸惑っている様子だった。いや、嬉しいからこその戸惑い、とも言うべきだろうか。ボクはそんな背中に手を伸ばした。
「公爵夫人。喜んでいるところ悪いけど、エリアルのためにも早速、話をしたいんだけどいいかな」
感動の再会に水を差したくはなかったが、ミルドレッドの時のような失敗はしたくなかった。まだ間に合う、この時に動きたい。
そのボクの想いに、気づいてくれたのか、公爵夫人がハッと我に返った。
「私ったら……エリアルちゃんの一大事に、なんてことを。ありがとう、ユニティちゃん。危うく、同じ過ちを犯すところだったわ」
「そんなことはないさ。少なくともエリアルの緊張は解れたんだから、ねぇ」
背中に触れながら、エリアルの横に並ぶと、同意するように頷いてくれた。お陰で公爵夫人の顔が再び笑顔になった。
「良かったわ。さぁ、中には入って。主人もエリアルちゃんに会いたがっていたんだから」
「公爵様もですか!?」
「ふふふっ、そんな他人行儀な呼び方をしないでちょうだい。きっとあの人も傷つくと思うから、昔のように呼んであげてくれないかしら」
「で、でも……私は奥様や公爵様の期待を裏切って、出て行った身ですから」
そっか。ミルドレッドが戻って来たからってだけが理由じゃなかったのか。でも、だからといって、自分の望みを叶えるための行動を、裏切りとは思ってほしくはなかった。
今のエリアルの住まいは、公爵が用意してくれたものなのだから。少なくとも、公爵夫妻はそう思ってなどいないはずだ。
「確かにエリアルちゃんがいなくなって、ちょっと寂しかったけど、ユニティちゃんがいたし、今はミルドレッドもいるのよ。皆、私にとっては可愛い娘みたいなものなんだから」
「……まさかボクも入っているなんてね」
「ふふふっ」
本当に、この人には敵わないな。それはエリアルも感じたらしく、「お母様らしいわ」と言って公爵夫人を喜ばせていた。
この調子なら、公爵の方も大丈夫だろう、と思っていたのだが、やはりあの人物の訪問を快く感じていなかったらしい。公爵夫人と共に、執務室に通されると、視線が最後の入室者を捕らえた瞬間、公爵の眉がぴくっと動いたからだ。
そういえば、前にボクがブルーノと一緒に訪れた時も不機嫌だった。あれもそういう風に見ていたんだろうか。今となっては聞くに聞けないことである。
「要求は手紙で知らせてくれたから、今更説明しなくて大丈夫だ」
事前に先触れを出す前に、エリアルの現状と必要なものも一緒に、手紙にしたためたのだ。公爵邸に行ったはいいが、長々と説明をすると、居心地の悪い人間のストレスが溜まり、何を言い出すか分からなかったからだ。
「その前に、一つ確認がある。いや、二つか」
「……なんでしょうか」
条件みたいなものか、とエリアルも思ったらしく身構える。
「豊穣祭の儀式は、こちらでも調べさせてもらった。確かに建国祭と似ているところが多々あるようだ。だからエリアルに聞きたい。体調に問題はないのか?」
「は、はい。今のところは……」
「ということは、この後どうなるのか、分かっている、ということなのか?」
つまり公爵は、ボクがエリアルに説明したのか、と聞いているのだ。公爵には乙女ゲームの話をしていないため、この質問は最もだった。しかし乙女ゲームの知識があるエリアルには、ボクからの説明など不要。
「何もしなくても、祭壇に呼ばれると聞いています。その時にはもう、自我はなくなっているとか、体が衰弱しているとか。それくらいですが」
「ユニティ殿。痣については説明していないのか?」
「えーっと……」
なんだったかな。それぞれ攻略対象者のルート毎に、痣の場所が違うことしか覚えていない。因みに今のエリアルには手の甲に痣がある。バラのような花の痣が。これはギルバートルートの証なのだ。
ブルーノルートだと、痣が百合の花の形になり、位置も首筋と、ちょっと色っぽくなる。公式の説明では、死をイメージする場所らしいが、ファンたちはその設定を独自に楽しんでいた。
ボクにとって痣とは、それくらいのイメージしかない。
「伝承によると、痣は花の形をしているらしい。贄である宿主の生命を吸い取り、花はさらに輝きを放つという。それは贄に、己の役目を果たせと、催促している、といわれているらしい。また、それに応えずにいると……」
「ど、どうなるのですか?」
「宿主である贄が、花そのものとなり、祭壇に捧げられるんだ。だから建国祭では、花をモチーフとした贄が、捧げられることが多い」
「っ!」
絶句するエリアルの前に、公爵が跪き、そっと白い手袋をしている右手に触れる。体を強張らせるエリアルに、公爵はそっと優しく「見てもいいかい?」と語り掛ける。
尋ねているが、実質、エリアルに拒否権はない。なぜならこれが、公爵が確認したい、と言っていたものの一つだからだ。
それでもエリアルの意思を聞くのは、夫人同様、公爵も大事に想っている証だった。
エリアルは返事をする代わりに、白い手袋を自ら外す。ボクも初めて見る、贄の証である痣。
「よかった。バラは咲いているが、それほど大きくないし、輝きも感じられない。自覚症状だけでは心もとなかったが、どうやら杞憂だったようだ」
「私も公……お、お父様の話を聞いて、安心しました」
その言葉を聞いて喜んだのは、公爵だけではなかった。二人の様子を心配そうに見ていた公爵夫人の顔も、柔らかな笑みに変わった。それは痣の状態だけではないだろう。
「これで安心して、エリアルをカーマイン公爵令嬢として王城に送り出せるよ」
「っ! ありがとうございます!」
「実はエリアルの籍を、抜いていないんだ」
「えっ? で、でも私、この家を出て、平民になったはずではないのですか?」
「いや。念のために抜かずにいたんだ。今回のように、必要な時もあるだろうから、とね。ミルドレッドも戻って来たから、エリアルは義妹ということになるがいいかい?」
おそらくこの質問は、先日のミルドレッドの件のことを言っているのだろう。ボクがエリアルに伝えている前提で、話をしていることが見て取れた。
「問題ありません。私はお嬢様が……お義姉様が戻って来たことを、心から嬉しく思っているんです。お父様とお母様が、いかにお義姉様を大事に想っていたのか、小さい時から見ていましたから。ですから今日、こちらをお持ちしました。喜んでもらえるといいのですが」
エリアルは立ち上がり、ギルバートから荷物を受け取る。その足で公爵夫妻の元へ向かい、小さな箱を渡した。
箱の中にあるのは、月のように輝く黄色い宝石がはめられたタイピンとブレスレットだった。月はカーマイン公爵家の家紋に描かれている。
「目利きは自信がないのですが、ユニティとブルーノ王子様が見立ててくださったので、大丈夫だと思います。気に入ってくださいましたか?」
「あぁ。だが、二つ足りないぞ?」
「えっ……」
「そうね。二つ足りないわ。でもこういうのは、私たちが用意するべきではなくて?」
「確かに。子どもに強請るのは、無粋だったな」
顔を見合わせて笑う二人を見て、エリアルも嬉しそうに笑った。少しだけ恥じらいがあるのは仕方がない。エリアルはそこを、ずっとミルドレッドの居場所だと思っていたのだから。
けれど公爵夫妻はずっと、そこに二つの椅子を用意していた。長いこと空席だった椅子が、ようやく埋められた瞬間だった。





