年長者として
あれから気が付けば時間が経ち、レミィや他の子に配慮して蒼一とブリ雄だけの夕食を終えた後、蒼一はベッド以外の家具は何もない殺風景な自分の部屋で天井を呆然と眺めていた。
結局ブリ雄とはあれ以降会話する事も無く、三つ子がレミィの事も考えて作った噛まなくても舌先で押し潰せる程にしっかりと煮込まれた具沢山のシチューを無言のまま胃袋へと収め、その後やる事も無く寝る事も出来ない蒼一はベッドに横になり何時間もの間、ずっと天井を見上げているのだった。
「今の俺に何が出来るんだろうな」
ブリ雄の事にしろ、レミィの事にしろ、他の娘達の事にしろ、何一つとして蒼一は上手くいっているという実感が得られず、むしろ失敗し続けている有り様だ。
「世界だなんて御大層なもんに転生した癖に、この様とは」
能力はある筈なのに無力という一番情けない状況に蒼一は自分が情けなくて仕方がない。
「普通の人よりは出来る事が多い筈なんだけどなぁ」
だというのにこの役立たず具合はどうだと、本格的に蒼一が自分を嫌いになり始めていた頃だった。
蒼一の知覚に屋敷から出ていく一人の人間の反応が引っ掛かる。
「ん、こんな時間に誰だ?」
蒼一が二階の自室のベッドの上でうだうだやっている事数時間、少女達も全員風呂と食事、その片付けも済ませて各自の部屋に戻って大分経つ。
もう全員が寝てても可笑しくはない時合なのだが、その反応は屋敷の中庭の辺りから一向に動く気配がない。
「この情報、レミィじゃないな……あー」
少なくとも尻尾や獣耳といったものの情報が入ってない事を確認してから蒼一は部屋を出てその情報の主の元へと足を向ける。
きっと慣れない場所で眠れず夜風に当たりに行っただけだろうし放っておいても良いかと考えていたのだが、何となく今は誰かと話したい気分だった。
部屋を出て一階へと降り、玄関前まで来たところでふと呼び鈴の存在を思い出す。
(玄関から出ると鈴の音で皆起きちゃいそうだよな……あれ?)
そうだとすると今外に居る人物はどうやって音も鳴らさずに外に出たのだろうと首を傾げ、すぐにその疑問の答えに気が付く。
左側の通路の窓の一部が開いており、そこから外に出たのかと蒼一は納得しながらも開きっぱなしになっていた窓から身を乗り出して外へと出る。
頼りない月明りだけで照らされた中庭の中央にぼんやりと浮かび上がる人影に近寄りながら、蒼一はその背に向かって声を掛けた。
「こんな時間にどうしたんだ、クラリッサ」
「その声は、蒼一様ですか?」
そこに居たのは年長組の片割れであるクラリッサであり、自身を呼ぶ蒼一の声に反応して振り返る。
「この暗さで良く私だと分かりましたね」
「ん?まぁ夜目は利く方なんだ」
というのは嘘で実際は世界としての知覚から読み取った情報からこれはクラリッサであると見当をつけただけなのだが、そんな説明をする訳にもいかないので夜目が利くなんて嘘をつく。
照明の一つも無い中庭は非常に暗く、数メートル離れているとはいえ向かい合っている筈なのに相手の顔も良く見えない。
「それでどうしたんだ?俺と同じで眠れなくて夜風にでも当たりに来たのか?」
真実を適当な嘘で誤魔化しつつ、蒼一が尋ねるとクラリッサがそれに答える。
「はい、今まで四六時中誰かが傍に居たものですから……その、一人きりの夜というのがどうにも落ち着かなくって」
「確かに環境がこうも変わると落ち着かないかもな」
薄汚れた洞窟の狭い牢の中に皆で押し込められていた状況から今は屋敷の一室を与えられ寝床も硬い床から柔らかなベッドになったのだ。
待遇それ自体は格段に良くなったとはいえ、その環境の変化に落ち着かないというのも無理はないだろう。
(まぁ、他の子達は気にせずグッスリ寝てるみたいだけど)
蒼一は何時間も前から反応が動いていない他の娘達に一瞬だけ意識を向けるも、直ぐに目の前に居るクラリッサへと意識を戻す。
「一人きりの夜が落ち着かないってならグラファと一緒に寝たらどうだ?」
「冗談は止めてください。あの子と一緒になんて寝たらベッドから蹴落とされて、眠れるものも眠れなくなります」
「あ、寝相悪いんだ」
「はい、かなり」
じゃあグラファは駄目かと蒼一は次に他の子達を思い浮かべる。
「レミィはどうだ?正直一番眠れてるか不安なところだし、誰かしらには傍に居て欲しいと思うんだが」
「レミィであればコノと一緒に寝ている筈ですよ。歳も近い所為かレミィはコノに一番心を開いていいますから。むしろ私の場合はレミィの方が落ち着いて眠れない可能性もあります。心を開いてくれてるとはいえ、それが傍に居て落ち着くかどうかはまた別の話ですから」
「……そっか」
レミィは同じく盗賊に捉えられていた娘達に対し、ある程度心を開いてはいる。
ただしそれはある程度気を許しているというだけで、四六時中傍に居られても気にしないという訳ではない。
男性恐怖症寄りの人間不信に陥っているレミィにとって他人という存在はやはり忌避すべき存在であり、本当の意味でレミィが心から気を許す事が出来る相手は歳の近いコノくらいのものであった。
それを証明するかのように歳が離れるにつれてレミィは相手に対する警戒度が上がる為、娘達の中でクラリッサが一番レミィとの相性が悪い。
とはいえ赤の他人と比べれば遥かにマシではあるのだが、それはさておき眠れない二人は他愛の無い話に花を咲かせ、その内容は専ら他の娘達に関する事柄であった。
「へぇ、コノって裁縫が得意なのか。本人は特技とかそういうのは無いとか言ってたけど」
「それはあの子の生まれ育ったラーム村じゃ裁縫は出来て当たり前のものですから、女の子はナイフとフォークを握るよりも早く針を持つと言われる程です」
「なるほど、コノにとって裁縫は出来て同然のもので特技ではないって事か」
ものぐさな印象しか無かったコノにそんな特技があったとは知らず、それは他の娘達も同様でクラリッサから話を聞く度に皆の意外な一面が見えて来る。
そしてそれは出身地もバラバラで赤の他人同士であった皆の事をクラリッサが良く観察し理解しようと努力していた証であると、蒼一は話を聞きながらも感心していた。
「クラリッサは皆の事良く見てるんだな。流石最年長の頼れるお姉さんだ」
そう言ってクラリッサの事を褒める蒼一だったが、当のクラリッサはその言葉に黙りこくってしまう。
「…………」
「……あれ、まさか」
自分が発言した途端に相手が静かになるこの流れ、この重苦しい空気は身に覚えがあるぞと嫌な予感に蒼一が頬をヒクつかせる中、クラリッサがボソリと呟くような声で言葉を口にする。
「私は頼れるお姉さんなんかじゃありませんよ」
絞り出されたその言葉に蒼一は己の予感が的中した事、そしてまたしても自分が失言した事を理解した。
上手く行かない時はトコトン上手く行かないと言うが、どうやら今日の蒼一はそういう日のようだ。
「何でそんな事言うんだ?。傍から見てても皆を纏めたり、先を見据えてニーヴァの仕事を覚えようとしたり、それにレミィをしっかりここまで連れて来てくれたし、クラリッサは立派に頼れるお姉さんだよ」
「そう見えるのは当然です。だって周囲にはそう見えるように振る舞っていたんですから……こんなの、本当の私じゃない」
「本当の私じゃないって、それはどういう――」
どういう事だとその真意を問う為にレミィの顔をまじまじと見ようとした蒼一はクラリッサの顔を見た瞬間に言葉を失ってしまう。
暗がりの中に居たおかげで目も大分暗がりに慣れ、ぼんやりとしか見えなかったクラリッサの姿も今はハッキリと見える。
赤く腫れぼった目も、頬に残る涙の跡さえも、蒼一の目にはハッキリと映っていた。
「クラリッサ……泣いてたのか?」
「ッ――!」
その言葉にクラリッサは咄嗟に片腕で目元を隠し蒼一に背を向ける。
先程まで他愛の無い話を繰り広げ、少なくとも涙を流す要素なんて何一つとして無かった筈だ。
そうなるとあの赤く腫れた目や涙の跡はそれ以前、蒼一が中庭に顔を出す前のものであろう事が分かる。
「何かあったのか?」
「な、何でもありません」
「何でもない事ないだろ。そんな明らかに泣き腫らした顔で――」
「泣いてなんかいません!」
泣いていたと指摘する蒼一の言葉をクラリッサが強く否定する。
「私は、年長者だから……皆を不安にさせる訳にはいかないんです。しっかりしてなきゃ駄目なんです!」
まるで自分に言い聞かせるようにそう叫ぶクラリッサ、その姿を見て蒼一はクラリッサが何を思い悩み、涙を流していたのかを理解した。
ずっと、クラリッサはそうやって気を張り続けて来たのだろう。
盗賊に買われた子達の中で年長者として、他の子達を不安にさせないよう精神的支柱として、クラリッサは皆に頼られる存在であろうとした。
ただ他の子達よりもちょっとだけ歳が上というだけで、他の子達と何ら変わらず何の力も持ち合わせない普通の女の子がだ。
盗賊へと売り払われ、頼る者を失くした少女達、ここで再び支えを失ってしまえばきっと二度と立ち直る事が出来なくなってしまう。
だからこそ、頼れる存在で在らなければならなかった。
皆から頼られる存在である為に、誰かに頼る事が出来ず、ずっと一人で――。
「私が、しっかりしなきゃ、駄目なのに……」
でもそれも、もう限界だった。
常に誰かが傍に居た為に張り続けていた緊張が、自分の部屋の中で一人っきりになった瞬間、プツリと途切れてしまったのだ。
被り続けていた頼れるお姉さんという仮面は剥がれ、露になる年頃の少女の素顔、誰にも頼れず、相談する事も出来ず、一人抱え込んでいた感情が涙となって溢れ出す。
「涙なんて部屋で流した分で全部だと思ってたのに……駄目ですね、私……また以前のように頼られる存在でいなければって、そう考えるだけで涙が零れてしまうんです」
年長者として皆から頼られる事が、誰にも頼れない苦しさが、痛い程に身に染みてしまっていたから。
こんな姿だけは見せちゃいけないと分かっているのに、どうしようもない程に苦しいから。
「いっその事、投げ出してしまえば楽になれたかもしれないのに」
「じゃあ投げ出しちゃえば良いじゃん」
「……え?」
どうあっても許されないとクラリッサが考えていたその選択を蒼一は事も無げに言ってのける。
「クラリッサはお姉さんぶるのが泣きたくなるくらい辛いんだろ?。じゃあ止めれば良い」
「止めれば良いって……そんな簡単な事じゃ無いんです。私の話を聞いていましたか?。私がしっかりしていないと、皆が不安になるんです!だから」
「皆がクラリッサに頼れるお姉さんになってくれって、そうお願いしたのか?」
「それは……」
蒼一の言葉にクラリッサは一瞬言い淀んでしまうも、直ぐに勢いを取り戻して蒼一の言葉に反論する。
「お願いされたかどうかは関係ありません。重要なのは私達の中にそういう人間が居るという事なんです。現状のまま精神的支柱を失ってしまえば、皆が押し隠している不安はより顕著なものになってしまう。ですから――」
「じゃあ俺がその精神的支柱って奴になるよ」
「……はい?」
その言葉にクラリッサは本気で一瞬何を言われたのか理解出来なかった。
まさか出会って間もない人間からそんな事を言われるなんて思いもよらなかったのだろう。
そもそも蒼一とクラリッサでは前提条件が違うのだから。
「蒼一様のお気持ちは嬉しいのですが、しかし」
「しかし?」
「これは私達の問題なんです。蒼一様に頼ったところで解決する問題ではありません」
"私達"――その言葉に強い疎外感を覚えたのは蒼一の気のせいではない。
クラリッサは自分達と蒼一達とを明確に区別していた。
そしてそれはクラリッサだけでなく、他の娘達も同様だろう。
蒼一達とクラリッサ達、その間には目には見えない大きく深い溝が開いていた。
仮に蒼一達が頼れる存在であったとしても、クラリッサ達との間にその深い溝の分だけ心の距離が存在するのだとすれば、"頼れる他人"と"頼れる身内"同じ頼れる存在でもその意味合いや信頼度は大きく違ってくる。
蒼一にどれだけの力があろうとも、ブリ雄にどれだけの知恵があろうとも、そして二人がどれだけ頼れる存在になろうとも、"他人"である以上、"私達"の中に含まれない以上はクラリッサ達も心の底から安心して頼る事が出来ない。
今の蒼一に出来るのは互いの間に存在する溝を埋めていく事、身内として"私達"の一員として受け入れられるよう努力していくしかないのだ。
(その為に今の俺が出来る事は何だろうか)
クラリッサ達から身内として受け入れて貰う、その為に蒼一に出来る事があるとすればやはりクラリッサ達の信頼を勝ち取っていくしかないだろう。
(皆の信頼を得られて、かつ俺が頼りになる存在であると認識させる方法……そうだ!)
まずはその為の第一歩、その方法を思い付いた蒼一は直ぐにクラリッサに確認を取る。
「クラリッサ、明日の朝食ってなんだ?」
「え?ちょ、朝食ですか?」
突然の話題転換に動揺を隠せないクラリッサだったが、何故という疑問を抱きながらも真面目に答える。
「明日の朝食でしたらパンとスープ、それに葉野菜のサラダにしようと考えていましたが」
「ふむ……レミィの分はどうするんだ?」
「レミィの事は勿論考えていますよ。パンの代わりに燕麦を用意しましたのでそれをスープでふやかして、サラダは摺り下ろし野菜にするつもりです。売る為に痩せ細っていては困るとそれなりに食事を与えられていた私達と違って、あの子は最低限の食事しか与えられていませんでしたから。私達以上にしっかり栄養は取らないと」
歯の無いレミィの為にそういった献立や一工夫を考えるクラリッサ、それは一重にレミィの事を思っての行動なのだろうが、蒼一として何となく味気なく思ってしまう。
折角の料理なのだから栄養を摂取する為だけではなく、しっかりと味わって楽しく食事をして欲しいと願わずにはいられなくて、ならば蒼一のすべき事はもう決まっていた。
「悪いクラリッサ、レミィの為に折角考えてくれた献立だけどそれは無しにしてくれ」
「はい?」
「レミィの方は俺が何とかするからさ。そういう訳で俺は先に失礼する。クラリッサも落ち着いたならもう寝るんだぞ」
「あの、蒼一様!?」
言いたい事だけ言ってそそくさと去ろうとする蒼一の背中に向かってクラリッサが慌てて声を掛けるも、蒼一は窓から屋敷の中へと戻ってしまい、中庭にはクラリッサただ一人が取り残されてしまう。
「一体、何だったんでしょうか……」
何時かクラリッサが"本当の私"を見せられる時が来ると良いですね。
ぶっちゃけ頼れるお姉さんモードのクラリッサよりも本来の姿の方が筆者的には書いてて楽しいキャラになると思うので。




