霧隠れの山
スルクを発ってから三時間が経ち、三人はようやく霧隠れ山の麓へと足を踏み入れる。
ブリ雄の威嚇のおかげか森は生き物の鳴き声一つ聞こえて来ず、とても静かなものだった。
「ブリ雄の威嚇でも逃げない気骨のある奴らが居るなーと思ったら、皆気絶してんな」
中腹を目指す途中、泡を吹いて失神している生き物達を何度か目撃しつつ、三人は順調に山を登る。
「骨のある奴と戦えるかもって期待してたんだけどなぁ」
「馬鹿言うな。あの魔力を受けても逃げ出さないような怪物なんか相手に出来るか。第一、そんな怪物が居るならこの山を新人教育になんか利用しねぇよ」
蒼一の零した言葉に正論で返すデミス、そのやり取りを傍で聞いていたブリ雄がふと気になっていた質問をデミスに投げた。
「そういえば、この山には厄介なモンスターが居ると聞いていたのですが、それは重騎士が派遣される程のモンスターなのですか?」
そう、それは今回の依頼に際して重騎士なんて等級の高い人間がどうして派遣されたのかという疑念に関する質問だった。
(先程の話によれば中腹に立ち入るのは重戦士や魔術師等級の者達、新兵では依頼を受けられないからという理由であれば重戦士や魔術師で良かった筈なのに、それより等級が二つも上の重騎士に同行を依頼した理由は、さて何でしょうね)
中腹での依頼を受けられるのが重戦士や魔術師等級からならば、その厄介なモンスターというのも言ってしまえばその程度であり、重騎士が同行する必要は何処にもない。
だというのに重騎士が同行してきたという事はその厄介なモンスターや依頼の制限とは関係のない別の理由が存在しているという事だ。
「ティルティは厄介ではあるが重騎士が相手にしなきゃいけない程じゃない」
「ティルティ?」
「この霧隠れ山の中腹から出没する一本角を持った兎くらいの大きさの小型モンスターだ。動きは素早くその角で刺されると全身が麻痺して半日は意識が混濁状態になり指一つ動かせなくなるし、仮に掠り傷程度でも最低一時間はまともに歩けなくなるだろう」
「それ、厄介なんてもんじゃないですよね?。こんな草木生い茂る山の中ですばしっこく動き回る小さいモンスターの攻撃を掠り傷一つ負うなって相当無茶では?」
世界としての知覚と圧倒的な処理能力を持つ蒼一であればその程度は朝飯前ではあるが、それが普通の人間の常識に当て嵌めれば無理難題である事くらいは蒼一にも分かる。
「確かに今の話だけだと難易度が滅茶苦茶高く感じるわな。ただ実際には対処は割と簡単なんだ。テルティの角は実はそれ程強度が無くて、それなりの防具であればティルティの角の方が先に圧し折れるから、駆け出しが使うようなただの革鎧や薄い板金鎧なんかでなければ問題にはならないんだ」
「なるほど、でも皆が皆全身重装甲って訳にはいかないですよね?。俺達だって防具はちゃんとしてますけど手とか頭は無防備ですし、そういう場所を狙われたりしたら」
「大丈夫だ。ティルティはクソエイムだからな。アイツ等自身も自覚が有るのか執拗に胴体ばかり狙ってくるんだ」
「クソエイムって……」
聞き慣れたネットスラングに蒼一の頬が思わず引き攣る。
相変わらず世界観を躊躇なくぶち壊していく微妙な翻訳だが、蒼一に言葉を伝えるという意味ではこれ以上ないというくらい分かり易い単語である事に間違いはなく、蒼一としては何とも言えない気分であった。
「まぁ胴体を狙うとはいえ、さっきも言ったがティルティはクソエイムだからな。胴体狙われたのに頭に角が飛んでくるって事も全く無い訳じゃないが」
「じゃあこの山の中に居る限りは頭部への攻撃だけは食らわないよう注意しなきゃいけない訳ですね」
「いや、別にティルティに限らず頭部に食らったら致命傷なんだから場所相手問わずそこは常に気を付けておけよ」
「……それはごもっともで」
「お前、良くその危機感の無さで狂気の森を越えて来られたな」
呆れたように呟くデミスの言葉に何も言えない蒼一に代わって、ブリ雄は蒼一を庇うように補足を付け加える。
「蒼一様は索敵能力で周辺状況を全て把握出来てしまうので、どうしても周囲を警戒するという意識が身に付かないのですよ。不意打ちを警戒しろと言われても全てが見えている状態では警戒するも無いですからね」
「優れ過ぎた能力ってのも考えもんだな。蒼一の索敵能力然り、ブリ雄の魔力然り」
優れた力というのは時にその他を力を育む際に障害となる事がままある。
蒼一はその優れた知覚が原因で危機管理、危機察知能力が極端に低く、常に状況を把握出来てしまっているせいで"見えている"という安心感から危機に対する警戒心が薄いのだ。
「ところで話を戻しますが、そうなるとどうしてデミスさんが今回の同行者に選ばれたのでしょうか?。話を聞く限り重戦士や魔術師の方が同行者でも良かったと思うのですが」
「あー、それなんだがな。俺が支部長に頼んだんだよ。今回の調査に俺を同行させて欲しいって」
「はい?どうしてそんな事を?」
「そりゃあ単純に俺がお前達の事が気になっていたからな。実際にこの目で見て見たかったんだよ」
「えっと、気になったってのは、それは一体どういう意味で……」
「うん?そりゃそのままの意味だ。お前らがどんな"男"なのか興味が湧いたのさ」
そう言ってデミスが二人に視線を向けた時、二人は反射的に両手を後ろに回し臀部を保護するように手で隠す。
「よ、よくアイゼンさんが許可してくれましたね」
「俺も駄目元で頼んでみたんだがな、これが驚く程アッサリと許諾してくれたよ」
(それって多分)
(さっさと話を終わらせたかったのでしょうね……)
デミスの話題を出した時のアイゼンの反応を見る限り、自分達はアイゼンの貞操の為に贄にされたのだと察した二人は今頃執務室で仕事をしているであろうアイゼンに今度会ったら文句の一つでも言ってやると心に決めるのだった。
そんなこんなで山を登り続ける三人の視界は徐々に霧に包まれ始め、数分と経たない内に一メートル先さえまともに見えなくなる程の濃霧に包まれてしまう。
「急に霧が濃くなってきたな。もう山頂に近いのか?」
「いや、登り始めてざっと見積もっても一時間程度、まだ中腹に辿り着いたくらいの筈だ」
「でも遠目から見ていた限りじゃ中腹の辺りは晴れてましたよ?」
「それはそうなんだが……」
腑に落ちないと言った様子で意見を交わす蒼一とデミス、その脇でブリ雄は自分達を包む霧をじっと見つめながらポツリと呟く。
「この霧、極僅かですが魔力が含まれていますね」
「何?それは本当か?」
「はい、恐らく魔術によって生み出された霧ではないかと」
「てことはもしかしてこの霧が人間を惑わせて山頂に辿り着けないようにしてる原因なのか?」
中腹に辿り着いた辺りで唐突に周囲を覆い出した霧に対し、蒼一がそんな推測を口にするも、ブリ雄は直ぐにそれを否定する。
「いえ、それは無いでしょう。この霧に含まれている魔力は魔術によって生み出されたが為の残滓に過ぎません。この程度では人を惑わせるような魔術は発動出来ません」
「ならこの霧は単純に視界を覆い隠す事が目的という事になる訳だが、一体何の為に――いや、そうか。それで良いのか」
「どういう事です?」
デミスの理解に追いつく事が出来ていない蒼一がそう尋ねると、デミスはこの霧の目的を説明してくれる。
「この霧の役割はさっきも言った通りこちらの視界を隠す事にある。その目的は恐らく人を迷わせる何か、その方法の隠匿だろう」
「ほうほう、なるほど?」
「……良く分かってないみたいだからもう少し詳しく説明するが、視覚情報というのは非常に大きな情報だ。もしこの霧が無ければどうして自分達が山頂に辿り着けないのか、それが視覚情報で得られる筈なんだ。例えば山頂に真っ直ぐ進んでるつもりが何時の間にかあらぬ方を向いていたって事なら幻覚や感覚器官を惑わされた可能性があるし、山頂に近づいた途端に中腹まで戻されたなら転移系の魔術の可能性だってある」
「そっか、霧に包まれた今の状態じゃ迷ってしまうその原因以前にどうやって迷ってるかも分からないのか」
「そういう事だ。それにどういう風に迷わされているのか、それだけでも分かれば原因やその対抗策を考えるのに非常に役立つ訳だし、是非とも手に入れたい情報ではあるんだが」
それもこの濃霧では難しいとデミスが苦い顔で説明を締め括る。
「ブリ雄、お前の魔術でこの霧を吹き飛ばしたりは出来るか?」
「出来ない事は無いでしょうが、この霧が魔術によって生み出されているのならその元凶を絶たない限りは無意味でしょう」
「そうか……仕方ねぇ、このまま進むぞ。良いか、どんな小さな事でも違和感を感じたら直ぐに報告しろ」
「分かりました」
「了解しました」
こうして三人は濃霧の中、山頂を目指して進んで行くのだった。




