呼び名は色々あるけれど
濃霧の中を進む事三十分、黙々と斜面を登り続けていた三人だったが今のところ違和感らしい違和感は何も無く、順調に山頂に近づいている……ように感じられた。
「なぁ、俺達は今順調に進めていると思うか?」
「それは分かりませんね。時間的にまだ山頂に到着しないのは当たり前ですから、これが二時間、三時間と登り続けても山頂に着く気配が無いというならそれを違和感と言えるのでしょうが、現状では進めていると信じるしか無いでしょう」
「だよな……蒼一の方は何か分からないのか?。この状況じゃお前の能力が頼りなんだ」
「ん-……」
デミスの言葉に蒼一は返事をするでもなく表情を強張らせて唸り、自分の足元を見つめたと思えば急に背後を振り返ったり、また足元を見つめたりと挙動不審な動きを見せる。
「何だ?何かあるのか?。どんな小さな事でも良いから違和感を感じたなら共有してくれ」
「……じゃあ言うんですけど、なんかその、身体が後ろに引っ張られてる感覚があるんですよね。でも後ろを見ても誰も居ないし、もしかしてゆ、幽霊とか……」
そう言って落ち着かない様子で背後をチラチラと気にする蒼一を横目に見つつ、デミスとブリ雄がその違和感について話し合う。
「ブリ雄は引っ張られているよな感じはあるか?」
「いえ、私は特に何も感じませんね」
「俺もだ。となると何故蒼一だけが違和感を感じているのかが気になるが」
「蒼一様だけ……?」
蒼一と自分達に相違点があるとすれば蒼一の肉体が仮初であるという事、それと蒼一の本体が世界であるという事だ。
「もしや」
ふと何かに思い至ったのか、ブリ雄は唐突に魔術で数十センチだけ浮かび上がるとゆっくりと斜め前方へと移動し始める。
「おい!一人で進むな!この霧の中ではぐれたら面倒だぞ!」
そう言ってブリ雄の後を追おうとするデミスに向かって、ブリ雄はその動きを制するように告げる。
「私は前進などしていません。御二人が後退しているのです」
「……何だと?」
後退していると告げられた二人が自身の足元を確認する。
もしや無意識的に足を後退させていたのかと考えたのだが、足が独りでに動く様子も無ければ自分の意思通りに動かす事が出来た。
そうして二人が自分の足を確認していると、地に足を付けたブリ雄が二人の元まで戻って来る。
「ブリ雄、今のは一体どういう事だ?」
「以前に狩ったエルダートレントがやっていた事と同じですよ」
「エルダートレントって……それってまさか、地面が動いてるのか!」
足は動いていないのに何故後退するのか、その理由が自分達が立つ地面にあった事に気付いた三人はじっと自分達の立つ地面を凝視する。
それと同時に蒼一はどうして自分だけが引っ張られるような感覚を覚えたのかも理解した。
後ろに引っ張られていたのは人間の肉体ではなく、世界としての身体の方だったのだから蒼一にしか感じ取れないのは当然だろう。
「なんて単純な方法だよ。地面を動かして後退させるとか、単純過ぎて皆見落としてたのか?」
「いえ蒼一様、確かに幻覚や転移と比べれば単純な方法に思えますが、大地を横に動かすというのは非常に難しいのです。仮に数重メートル四方の地面を北に向かって移動させたとして、操作した地面と操作されなかった地面の北側の境目は一体どうなると思いますか?」
「あ、そっか。単純に動かしただけだと地面同士が衝突するのか」
「はい、もしそんな単純な方法で動かしているだけなら今頃この山のあちこちに衝突によって隆起した地面が見られた筈です。しかしそれが無いとなると幻覚や転移よりも非常に複雑で高度な魔術操作によって大地を操作している事になります」
「つまりそういう事が可能な何かがこの先の山頂に居るかも知れないって事か」
ブリ雄の推測にデミスはそう結論付けると、重苦しい表情で山頂があると思われる方を睨みつける。
「大地が動ているってなら手段は幾らでもあるが、山頂まで行くのは無しだな」
「え、どうしてですか?」
「お前、中腹から山頂まで一体どれだけの距離があると思ってる。エルダートレントですら自身周囲十メートル程度が限界だってのに、こんな広大な範囲の地面を動かす事が出来るような化け物が山頂には居るかも知れないんだぞ。そんなもんむざむざと死にに行くようなもんだ」
「俺達なら多分大丈夫だと思うんですけど」
「確かにブリ雄の力があれば勝てるかも知れないが、忘れたか?俺達の任務はあくまでも調査だ。これだけの情報が得られた今、危険を冒してまでこれ以上の情報を得にいく必要も無ければ、情報を持ち帰る事が出来なくなるような危険を冒す訳にもいかない」
「……分かりました」
デミスの決定に不服そうな蒼一だったが、蒼一やブリ雄がどれだけ規格外なのかを知らない者からすればその判断は間違いなく正しいし、それを蒼一も分かっていたので強敵との戦いに燃えていた蒼一は渋々ながらも引き下がり、三人は下山するのだった。
下山を決めてから二時間後、三人は何事もなく霧隠れの山を下りスルクへと続く街道を歩いていた。
現在の時刻は丁度昼頃でありこのまま行けば昼過ぎには報告を済ませる事が出来るだろう。
「こんなに早く終わるんだったら、引き上げるのはもう少し調査してからでも良かったんじゃないですか?」
「危険を冒さずに調べられるのならそうしても良かったかもな。でもあの状況じゃ山頂に行く以外に新しい情報が手に入る事も無さそうだったし、そんな危ない橋を渡る訳にはいかないだろ」
蒼一ならば肉体を離れ意識体となる事で誰に悟られる事無く安全に情報を得る事も出来ただろうが、そんな事をデミスに説明する訳にもいかないし、説明せず情報だけ得て来たとしてもその場合どうやってその情報を得たのかと聞かれた時に返答に困ってしまうのでここは大人しく引き下がるしかない。
「ところでお前ら、ここらで一旦休憩しないか?」
「え、休憩ですか?でもスルクまで後少しですよ?」
「残り二時間の道程は少しとは言わねぇんだ。俺はお前ら若者と違ってもう良い年のおっさんなんだよ。朝からもう何時間休憩無しで歩き続けてると思ってるんだ」
スルクから霧隠れ山まで三時間、麓から中腹まで登り濃霧の中を彷徨い歩いてから下山するまでに二時間強、そして下山してからも一時間歩き、休憩無しで合計六時間も歩き続けたと考えれば休憩を訴えたとはいえデミスも十分体力お化けである。
「急いで報告しなくて良いんですか?」
「大丈夫だ。今まで殆ど情報も得られず、実質五ヶ月間放置されていたようなもんだからな。今更一時間程度報告が遅れたところで問題にならねぇよ」
「結構ガッツリ休憩しますね……」
呆れたような蒼一の言葉を無視して、デミスは街道を外れて平原の方へと足を向け、暫くしたところで腰を下ろす。
「よっこらせっと……ふぅ」
「街道から結構離れましたけど、座って休むだけなら街道の傍で良かったんじゃ」
「馬鹿野郎、街道の脇にでも座り込んでみろ。道を通る連中に物取りの待ち伏せと勘違いされて攻撃受けても文句は言えねぇぞ。休憩する時は人の通る場所は避ける、余計なトラブルに巻き込まれない為にも覚えておけ」
「なるほど……」
確かに道の途中で座り込んでいる者達が居て、それが休憩中の旅人を装った盗賊などの類である可能性は十二分に有り得るし、それを正確に判断する方法が無いなら身の安全の為に先制攻撃する人間が居ても可笑しくはない。
「とりあえず時間も丁度良いし昼飯にしよう。お前ら昼飯は何を用意して来たんだ?」
「え、あー」
「そういえば私達昼食の類を用意していませんでしたね」
「は?お前ら飯を用意してきてないのか?」
「外での仕事はこれでまだ二回目、いえ依頼を受けてという意味ではこれが初めてですので、依頼の際に何を準備すれば良いのかというテンプレートが私達の中に出来ていないのですよ」
ニーヴァに所属してから蒼一達が仕事で街の外に出たのは今回を含めて二回、前回何の問題も無く狩りを終えた二人は特に改善点を見出す事は無く、今回の依頼に関しても着の身着のままの状態でやって来ていた。
「前の時はトレントの根をそのまま昼飯にした感じだったからなぁ……確かに丸一日外で仕事するなら昼飯は必要だよな」
「その様子じゃお前ら、昼飯以外にも色々と持ってきてないな?」
「一応、私の異空間内に最低限の物は入れてある認識ですが」
「昼飯は最低限必要な物だろう……戦闘職は身体が資本なんだから食わなきゃやってられんぞ」
「食べ物ならその、トレントの根がまだ残ってるから、それが昼飯って事で」
「それだけで済ませるんじゃねぇよ。若いからってそんな偏食繰り返してたら身体壊すだろうが、まったく、ほらこれも一緒に食え」
そう言うとデミスは袋の中から棒状の物を取り出すと蒼一とブリ雄の二人に手渡す。
その正体は蒼一にも非常に馴染み深いトウモロコシであった。
「これは、トウモロコシ……ですよね?」
咄嗟にデミスに尋ねようとした蒼一だったが、ユーリアの翻訳が入っている時点でこの食物が何であろうとトウモロコシと訳されてしまっている可能性を思い出し、質問ではなく確認するように言葉を変える。
十中八九トウモロコシだと肯定されると考えていた蒼一だったが、デミスから返って来たのは意外な言葉であった。
「トウモロコシ?お前らのところではそう呼ぶのか?」
「え、違うんですか?」
「あぁ、こっちじゃこれは"まんまん"って呼ぶんだ」
「それって――あっ!」
トウモロコシではないその呼び名に蒼一は一瞬困惑とした顔を浮かべるも、直ぐにどうしてそんな訳され方をしたのかに思い至る。
一般的にトウモロコシと呼ばれる食物には二百を超える別称があるとされており、まんまんはその内の一つで広島県、島根県南部などで使われており、蒼一の生まれ故郷はまた別の所だったが蒼一の祖母が広島県出身でトウモロコシの事をまんまんと呼んでいた為、蒼一も昔はトウモロコシをまんまんと呼んでいた時期があった。
しかし高校生の頃に行った夏祭りで友人達の前でトウモロコシの事をまんまんと呼び、周囲から"うわ、下ネタかよ"と弄られたという過去があり、それ以降はトウモロコシと呼ぶようになったのだが、それでもやはり長年使っていた呼称が完全に抜ける訳も無く咄嗟に出る時はどうしてもまんまんの方になってしまう。
それをユーリアは"そっちの方が蒼一にとって理解し易い、馴染み深い言葉である"と判断し、翻訳の際にそっちを採用したのだ。
(変な意味じゃない、変な意味じゃないってのは分かってるんだが)
高校時代の友人の心無い言葉が未だに棘となり胸に刺さっている蒼一は、どうしてもトウモロコシをそう呼ぶ事に躊躇いを覚えてしまう。
それでも悩んだところでどうしようもないというのも理解しているので、生産性の無い悩みを振り払うように、蒼一は目の前にあるトウモロコシに思いっきり齧り付く。
「ふごっ!?」
蒼一の歯がトウモロコシの果肉を突き破ると同時に果肉の中から大量の液体が溢れ出し、その不意打ちに蒼一は液体をボタボタと口外へと零してしまう。
「おいおい、お前食うのが下手だなぁ」
「げほっ、ごほっ――何ですかこれ!?」
「何ってさっき説明したろ?」
「俺の知ってるトウモロコシじゃないんですが!?」
「うん?まぁ、俺らのところじゃまんまんだからな。外観が同じだが名前以外にも違いがあったって事だろ?」
そんなに驚く事かと首を傾げるデミスに蒼一は服に零れた液体を拭いながら質問する。
「これ、凄い汁気が多いんですけどどうやって食べるのが正解なんです?。普通に齧っただけでこの様なんですが」
「そりゃこうやって――」
そう言うとデミスは大口を開け、唇をぴったりとトウモロコシに密着させた状態であぐあぐと口を動かし、歯で果肉を破りながら溢れ出る液体を飲み干していく。
その傍から見ていて間抜けな姿に蒼一とブリ雄は"うわぁ"と思わず言葉を漏らしてしまう。
「ん?何だお前らもこの喰い方が気になる口か?。女達は皆こうやって食うのを嫌がるし、男でも嫌がる奴は居る。俺としては口を窄めて蚊みたい吸ってる方がどうかと思うがね」
「どっちもアレですが、その二択なら後者の方がマシ……か?」
「蒼一様、口を窄めるという事は所謂キス顔になるという事では?」
「……やっぱ俺として前者の方がマシかもしれん」
少なくともキス顔をしてる自分など想像もしたくないと、蒼一とブリ雄はデミスに習いトウモロコシを頬張る。
街道から少し離れた平原で男三人が間抜けな顔でトウモロコシを無言で頬張るという絵面が、それから十分は続くのであった。




