おかわり
鍋の完成から更に時間が経ち今は完全に夜、月明かりと鍋を煮込む炎の明かりに照らされた浜辺に三十人以上の姿があった。
「はーい、一人一人ちゃんと並んでなー!大人達は子供が列から飛び出さないよう注意してやってくれ!」
浜辺に集まった者達にそう声を掛けながら、蒼一が鍋から汁と具材を木器によそって一人一人に手渡す。
言葉は分からないがニュアンス的に言いたい事は何となく分かっているのか、ブリ雄がフォローを入れる事で大きな混乱もなく列を捌いていく。
「ふぅ、思ったより列に並ばせるのが苦労しましたね……」
「そうだな、最初は人数も三十人そこらだし適当に配れば良いと思ってたんだが……」
そう言った蒼一目の前で順番が回ってきた男が深々と一礼した後、蒼一から料理の入った木器を受け取ってまた一礼してからようやく列を離れていく。
「施しを受ける立場として礼を欠く訳にはいきませんから」
「そういう堅苦しい距離感をどうにかする為の鍋パーティじゃなかったのか?。本当にこれで大丈夫か?」
これで余計に距離が開いたりしないだろうなと不安そうな顔をする蒼一にブリ雄はただ問題無いと自信を持って返す。
ブリ雄がそこまで言うのならと、蒼一も大人しく引き下がり、残った者達にも料理を配り終える。
最後に自分とブリ雄の分をよそい、砂浜に座り込むと全員の視線が蒼一へと注がれる。
「ん?あれ?」
誰も料理に口を付けずじっと自分を見つめてくるという状況に蒼一が首を傾げていると、脇に座っていたブリ雄が口を開く。
「蒼一様がまず最初に口を付けないと誰も食べられないのですよ」
「あー、そういう事か」
気軽な鍋パーティだった筈なのにまるで神事のような扱いに蒼一は少し眉を顰めながらも自分の手元にある木器へと視線を落とす。
「……そういや、箸の事をすっかり忘れてたな」
まさか皆を待たせたまま今から箸を作る訳にもいかず、取り敢えず今日は箸無しで我慢するかと蒼一は木器に口を付け汁を啜る。
最初に感じたのは舌を刺激するような塩気、しかしそれも一瞬だけで後から野趣溢れる魚介の風味が追いかけて来たと思ったら塩気と旨味が渾然一体となり、思わずそのまま汁を全て飲み干してしまった。
「ぷはっ!うんま!?」
料理が完成し後は全員をここに呼ぶだけとなった段で一度味見をした筈なのだが、その時よりも味に数段深みが増しておりそれを蒼一は不思議に思いながらも汁を飲みきって残った魚の身を木器を傾けて口の中へと放り込む。
良く煮込まれた魚の身は噛まずとも舌の上でホロホロと崩れていき、同時にその身に染み込んでいた魚介のスープを口いっぱいに溢れさせる。
まさか碌な調味料も無しにここまでの味が出るとは流石に想像もしてなかった蒼一が放心しながら空になった木器を眺めていた時、ゴクリと誰の唾液を飲む音で蒼一がふと我に返ると、その場に居た全員が変わらず蒼一を見つめ続けていた。
ただ先程と違うのは全員の瞳に期待に満ちた色が浮かんでいる事だろう。
そんな視線を受けて蒼一も皆が何を待っているのかを理解し、右手を上げて口を開いた。
「皆!食べて良いぞ!」
言葉は分からなくてもニュアンスは伝わったのだろう。
蒼一の許しを得た途端、皆が一斉に料理に口を付けて行き、初めて食べる料理の味に驚いてた。
今まで生で食べるだけで焼いたり煮たりという事をして来なかったのだろう。
元いた世界の料理に慣れ親しんでいた蒼一ですら驚いたのだから、食材は生のまま食うだけだった者達の驚きは比ぶべくもない。
全員がそんな料理に驚き木器から目を離せなくなっていた隙に蒼一はちゃっかりおかわりをして二杯目を楽しんでいた。
今度は一気に飲み干すような真似はせず一口一口味わうように啜る。
箸が無いので行儀は悪いが指で魚の身を押し上げ、木器からはみ出た部分に食らい付く。
「んっ!」
そうして魚の身を口に頬張った瞬間、蒼一の目が驚愕に支配される。
一杯目の魚は舌の上で自然と崩れていったのに対し、二杯目の魚は表面こそ簡単に崩れたがその内側は未だしっかりとした弾力を残しており、その弾力はフグ刺しを想起させるも味はフグのような淡白な物ではなく、噛み締める程に脂の乗ったサーモンを思わせる味わいが顔を出す。
(しっかりと煮込んだ筈なのに身にはまだ魚本来の味がちゃんと残ってる……なるほど、こういう魚からまだ旨味が出続けてるから味見した時よりも更に美味くなっていたのか)
寸胴鍋にまだまだ残っている様々な魚の身も試してみたいと思いながらも、蒼一は今手元に残っている分を最後に我慢する。
何故なら鍋に残った分にはまだ使い道があるのだから。
「蒼一様、あちらを」
隣に居たブリ雄が示した方に蒼一が視線を向けると、その先に居たのは外見的には八才くらいの女の子が空になった木器を恨めしそうに睨んでいる光景だった。
初めて食べた料理の美味しさに後先考えず食べ尽くしてしまったのだろう。
ブリ雄が作らせた木器は普通の御飯茶碗よりも一回り大きかったが、しかし丼ぶり程大きい訳でもないので一杯程度ではお腹は満たされない。
後先考えず食べ尽くしたのは自分なのだから自業自得ではあるのだが……子供がひもじい思いをしている光景は見ていて何か来るものがあると、蒼一はブリ雄へと懇願するような視線を向ける。
「んー……せめて全員が食べ終えてからにしたかったんですがね。良いでしょう、蒼一様の思ったように行動してください」
「サンキューブリ雄――クレア!」
蒼一がその名前を呼んだ途端、視線の先に居た女の子――ブリ雄によってクレアと名付けられた女の子がビクリと肩を強張らせ驚いたような視線を蒼一へと返す。
蒼一の視線が自分に向けられている事に気付き、それでももしかしたら別の人を見ていてたまたまその間に自分が居ただけではないかと、ちょっと横に動いてみても全くブレない蒼一の視線を受けてクレアは涙目になる。
「別に取って食ったりしないからこっちおいで」
言葉は分からないが自分達が崇める存在に手招きされれば流石に近付かない訳にも行かず、知らない間に何か失敗してそれで罰を下されるのではないかと処刑台に登る囚人のような気持ちでクレアは蒼一の前へとやって来た。
「その器を貸してごらん」
「……?」
そう話し掛けてもクレアがそれを理解する事は出来なかったが、空になった木器に向かって手を差し出す蒼一を見て、クレアは遅れ馳せながら蒼一の意図を理解して躊躇ってしまう。
クレアにとってこの木器は美味しい料理を食べる為の物だ。
それを取り上げられるという事はもう料理が食べられなくなってしまうと、クレアは空になった木器をギュッと抱きしめて――
「――くれ、あ!」
「ッ!」
ビクンと、背後から聞こえた自分を叱る母親の声に後押しされて、クレアは涙をポロポロと零しながら蒼一へ木器を差し出した。
「ありがとう」
木器を受け取り空いている手で安心させるようにクレアの頭を撫でた後、蒼一は木製のお玉で鍋の中を掻き回す。
その中でも一際大きく切られた身を見つけるとそれを受け取った木器に入れてから汁を注ぐ。
「ほら、おかわりだ」
「?」
木器を取り上げられたとばかり思い込んでいたクレアは一瞬何が起きたのか分からなかった。
しかし自分の目の前ある木器とそれに入った料理を見て、瞳を輝かせながら蒼一の顔を見上げる。
貰って良いのかと問い掛けるクレアの瞳に蒼一は優しく微笑みながら頷いて見せると、クレアは満面の笑みを浮かべ木器を受け取り、一礼すると母親の元まで戻って行く。
おかわりを貰ったクレアに他の者達が羨む視線を向ける中、蒼一が木器とお玉を打ち合わせて音を出し注目を集める。
「はいはい!別にクレアだけ特別扱いした訳じゃないから!おかわりが欲しい奴はここに並べ!」
互いの名前を拙いながら発音出来る程度にしか言葉を覚えていない者達にしてみれば、相変わらず蒼一の言葉はまるで理解する事が出来ない。
しかしクレアがおかわりを貰い、その流れで蒼一がお玉を持ったまま最初の時のように鍋の横に立っているのを見れば、それだけで蒼一が何を言いたいのかは理解する事が出来た。
こうして全員がこぞっておかわりをしようとしてその途中で残りも無くなってしまったのでお開きとなり、おかわりにありつけなかった者達は次の機会に優先的におかわりが出来るという方向でブリ雄が纏めてさらっと次回開催が確約されつつ、第一回鍋パーティは大成功を収めるのであった。
クレアに込められた意味は“明るい”というもので、明るく元気な女の子だったのでブリ雄はそう名付けました。
折角登場した名前付きの娘ですし、今後も出せていけたらいいな。