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「あぁ、この喉の悲しみを癒すのはきっとお前の涙だけ。心の渇きを癒すのは、お前の恐怖と嘆きだけなのだろう」
男はいかにも悲しげに言った。そして本心ではきっと嬉しげに。
まるで出来の悪い芝居のようだ。
その喜悦は隠したいのであろうけれど、いくら目元を仮面で覆っても隠し切れぬ笑みが口の端にのっていて・・・より不気味だった。
そのうえ、言っていることは相変わらず意味がわからない。何が言いたいのかといつも首を傾げる。
この男は私の友人である。友人は、頭がおかしいのであった。
何を思ってそんな行動をしているのかは明白だが、いささか間違ってやしないだろうか。
本当にわからないなりに自分で考えた結果がこうなのか。
私にとって友人は謎の塊のような男で、理解できることなど一生ないと言い切れる。
意味の解らない告白だか脅迫だかで、曰く“愛する人”の恐怖する顔を求めて日がな一日歩き回る。走りはしない。
“愛する人”達はそれが余計に怖いのだそうだ。
余裕を持って追いかけて来られるという状況がより一層の恐怖を生む、ということらしい。
涙目でそう言われても、私には理解のしようがないのだけれど。
私は気が向けばそんな友人の後についていき、曰く「友人の“愛する人”とのデート」を観賞する。
どうせ暇なのだ。友人ならば一応応援しておくべきかと思ってのことだった。
今日も友人は“愛する人”を追いかけていた。
ハニーブラウンの長い髪をひとつにくくり、ふよふよと左右に揺らしながら駆けている少女は必死の形相だった。
目はぱっちりと大きく、唇は桃色で艶がある。鼻の頭に散らばるそばかすは目立ちすぎず活発な印象を与える。
今はおそらく友人のせいで顔が変なふうに歪んでしまっているが、なかなかに可愛らしい容姿のようだ。
走るのは、今まで見た中で3番目くらいに速い。
がんばれがんばれ、と私は心の中だけで両方にエールを送る。
以前声に出してみて、“愛する人”が助けてくれと私に縋り付いてくるという面倒な事態になったことがあるから、今は声どころか姿も見せないよう隠れている。
助けを求められても困るのだ。私はあくまで友人の友人。見る分には楽しいが、正直関わりたくはない。
走るのが速いと、友人との追いかけっこは長時間にわたる。
それでは私の体力もあれだし、“愛する人”も疲れるしで、いいことなしだ。
“愛する人”がいくら逃げたがっても、どうせいつかは追いつかれるのだからこうするのが双方のため、と思って今日は彼女が走るであろう道に先回りして油をまいてみたり、糸を張ってみたりした。けれども今日の“愛する人”はそれらをするりと避け、飛び越え、軽やかに走る。
下町育ちなのかもしれない。とても逞しい。
ならばと小銭をばらまいてみれば、その足は止まった。
それ行けここだと小さな声で呟いてみる。
私はなんて立派な友人の友人なんだと自我自賛したりもする。
そして友人は若いのに労を惜しんでか最短距離を歩いてくるため、広くもない町の中ですぐに追いついてきた。
「カリーナ、どうして俺を避けるんだ?今はお前の涙が見たい・・・。すべてを分かち合うことが愛というものならば、お前は後姿やその白い足がせかせかと動くのばかりを俺に見せていてはいけないと思わないのか」
小銭を夢中で拾っていた“愛する人”(今日はカリーナというらしい)は、はっとした様子で友人をふり返った。
そのとき不幸にも友人の目を見てしまったのだろう。
すぐに逸らしたようだったけれど、その顔は青ざめ、歯がカチカチと細かく鳴っている。
足が震え、立つこともままならないというようにへたり込む。俯き、汗だか鼻水だか涙だかを顔から滴らせたようだった。
私は目を逸らした。あまりにも憐れだ。
友人はそんな“愛する人”の姿を見て舌なめずりをした。
薄い唇は艶っぽく見えなくもないが、目元を覆う仮面のせいでどう見ても気持ちの悪い表情になっている。
私は彼女の小銭を拾う一生懸命な姿と、今の友人の気色の悪い表情を頭の中で比べて、決めた。
「今すぐ町を出よう」
物陰から出てきて唐突に言った私を、瞬時に振り返った友人が見た。
本当に、とても素早い。
表情筋を駆使し、さっと顔を変えるのはお手のものだ。
見慣れたもので、仮面をかぶっていてもわかってしまう。
先程の気色悪い面ではなく、今は苛立ちと呆れの混じった表情。
それはとても感慨深いものがある。
「またか?」
「まただ。少々厄介なことになってしまってね」
友人は溜息をひとつ。つきたいのは私のほうだ、と私は心の中で文句をひとつ。
そうしてもうそれきり、友人は今日の“愛する人”には目もくれず、私の手をぐっと掴んでのしのしと町から出て行くのだった。
不幸で哀れっぽいカリーナさんには、小銭を残していきますねと心の中で告げながら、私は痛いほど手を引っ張られていた。
町を出て数分後に離された手には、些細な嫌がらせとばかりに爪がくい込んでいたようで、三日月のようなそれを私は思わずまじまじと見つめてしまった。まったく新鮮すぎる。
その後しばらく歩き続け、日も暮れてきた頃。
火を焚く準備をする友人に、私は上機嫌で話していた。
「あの町、何のいいところもないと思ってたんだが、町も見掛けによらないもので良いお茶が手に入った。あの町でしか生産していないそうでね。話に聞いたことはあるけれど実物は見たことがなかった代物で、買おうとすれば100gで馬1頭はくだらないようなお金が必要になるものだ。それを譲ってくれるっていうんだから、太っ腹な人もいるものじゃないか。見た目としても、太い腹だったしね。お金は、あるところにはあるっていうのは真実だと思わないか?」
それを胡散臭げに聞き流しながら、友人は積んだ木の枝に火をつけた。
お茶の葉は、少しだけ飲んであとは全部売ってしまおう。
そんな気持ちで少しだけ飲んで、びっくりする。本当においしい。
友人の顔をちらりと見て、ちょっとだけ残しておこうと決心を緩めさせた。
私はぼんやりと友人を眺める。友人は薪を凝視している。
「どうしてお前はそうなんだろうね」
私は溜息さえついてみせた。
友人が何を求めているのかがわからないようでいて、なんだかわかってしまう身を持て余しながら。
言葉では表現しきれない、渇きのようなもの。
何かを強く求めているのは解るのだけれど、何を求めているのかが解らなくてふいに苛立つ。
私にもそんなときがたまにある。
たぶん友人はそれが常のような状態で、そのストレスをああして“愛する人”達にぶつけているんじゃなかろうか。
本人はそれを“愛”を求めるが故の行動で、自分の愛情表現はああいうものなのだと異常なくらいに主張するだろうけれど。
お前にそんなものはないだろう?という目で見てしまうくらい許されるんではなかろうか。
「俺は何故お前がそう落ち着いていられるのかの方がわからないが。
どうして求めずにいられる?それとも、求めるからこそ俺と行動を共にしているのか?」
「・・・“愛”をか?」
私はマトモに答える気がなかった。
友人は不快げに仮面を私に向かって投げつけた。受け止めることはできなくて、手に当たって落ちる。
痛い、それ金属だろう。痛い。痛かったが、視線は外さなかった。
冷えた目がきんと私を睨む。強く美しい視線だ。
濃い青が一層細く、炎の赤を受けて不思議な色合いに見える。
何か強いものを感じさせる、立体感のある視線。
じっと見つめると、友人は少し脱力した。
「真っ直ぐ見るな。だからお前は嫌なんだ」
少し震えた腕をさすり、私から目を逸らす。
彼は私の目を見ない。少しでも見ると何故だか震えている。
気持ちよくない反応だ。その理由は知らない。
だからこういうときはいつも真剣に、私の鼻あたりを睨む。馬鹿みたいだ。
けれどそれでも長くはもたないのは、視界の端に私の目をぼんやりと見てしまうからだろう。
視線を一点に集中させる努力をしているようだからその時間は長くなりつつあるけれど、今でも10秒が精々らしい。
でも震えが止まった後、ほっとしたようにわずかに口の端を上げるのを私は知っている。
仮面をとった友人は不安定で、何か支柱のようなものがないと安心できないらしい。
それは私なのか、それとも自身なのか、なんてことは知るわけがない。
何かを求める気持ちは、誰にだってある。
けれども私たち、“欠け人”と呼ばれる者たちにとって、それは特別だ。
私たちのほとんどは感情の起伏が激しく、常に苛々している。
私は幸いにもその少数の方にあたり、比較的起伏は少ない。
少なすぎると言われたことすらあるが、おそらく悪いことではない。と、信じている。
そして起伏の大きさは欠けている感情に由来する。
例えば私たちの場合、一言でいえば友人は“愛する心”、私は“恐怖する心”ということになる。
友人はあの追いかけっこ以外、普通に見えるのだけれど、私と会う前はもっと凶暴だったと噂で聞いている。
あちこち旅をしていたらしく、その噂は点々と散らばっていて、意外に有名人だったようだ。もちろん悪い意味でだが。
一緒に旅をするようになってからは落ち着いたらしく、噂で聞いたようなことをする気配はないけれども。
かくいう私も、友人に出会う前はもう少し派手な生活をしていた。あれは苛々していたからだったのだろうか。
そして欠け人は、厄介なことに不思議な力を持つ。
例えば、友人の場合は“恐怖を与える目”だ。
彼の目を見た人間は、多かれ少なかれ恐怖せずにはいられない、らしい。
恐怖には個人差があるけれど、それは友人が意図してやっていないからだ。
友人の目は最悪だ。
普通能力はもっと制御できるはずなのに、友人は抑えきれないのか暴走状態で、普段から恐怖を撒き散らす。
意識して制御してもやっぱり怖い、というのに、制御する気がまるでないのも最低だ。
意図して睨むと、もっと凄いらしい。
そのうえ、噛めば噛むほど味が出る、というふうに、見つめれば見つめるほど恐怖が増すらしい。
友人は結構それで、人の中身を壊したことがあるようだった。
精神的に不安定な人間がそんな危ない能力を持っていちゃ、周囲の人間が危ない。
それでも持っているものはしょうがない。
それを理由に欠け人はたまに殺されそうになることもある。
でも今のところ、欠け人はこの大陸以外にはいないらしいし、数も10人に満たないそうだ。
能力も、魔術師に比べればまだマシだといえる。
なんせ彼らの大物ときたら、腕を一閃させただけで山一つ吹きとばしてしまうくらいの力を持つという。そっちの方が脅威だ、災厄だ。
しかしたまたまなのか運命なのか、友人は魔術を使える剣士であり欠け人でもあるという、危険極まりない人間に生まれた。
天は二物を与えまくった。
よく言えば才能の塊だが、出来上がったものはつまるところ歩く人災だ。
噂のこともあり、何度か奇襲されたこともある。
どうしてこんなのと一緒に旅をしているのかというと、一言で言うならば「出会ってしまったから」と言うしかない。
ぴんときた、とでもいうのだろうか。
何故だか一緒にいることが当然のように思えたのだ。
友人も、言葉で聞いたことはないがそういう気持ちなのだろう。
でなければ、ほぼ役立たずとも言える私をわざわざ連れ歩いたりはしない。
魔物のはびこる荒野や森で、弱い私は放っておかれたらすぐに死ぬ自信がある。
もちろん抵抗はするけれども。そんな私をがっちり守ってくれるのは友人しかいない。
友人は強いうえに、普通にしていればその目のせいで魔物は近寄っても来ない。
ときどき不幸にも目の見えない魔物、目を見ず後ろから襲ってきた魔物などはあっけなくやられている。
剣で切り、魔法で引き裂く、焼き尽くす。まったくもって恐ろしい人間だ。
いやもういっそ人外と名乗ってもいいじゃないか。
反面、守ってもらえる側にとっては実に頼もしい。
夜は夜で寝ながらも結界を張って守ってくれる。
器用な男だ。体力も消耗するだろうに。まさにいたれりつくせり。
好意もなければ連れて歩くメリットもない。そんな私を連れているのは、そういった訳のわからない理由に違いない。
そもそも私は旅に出る必要もなかった。私をこの身一つで無理矢理連れ出したのは友人なのだから。
そしてそれは少なくとも、唯一自分に恐怖しない私を“愛”したいから連れまわしている、というわけではない。
友人と私は同性であるし、友人は旅先で時折“愛する人”を一方的に作り、追い掛け回すので少なくとも私には求めていないようだ。
そのうえ友愛さえも持たないらしい友人からは、今でも私に対する親しみを見出すことはできなかったし、そう試みているらしい様子もない。
一緒にはいても、私に対しては興味なさげで、たぶん彼は3日滞在した宿屋でたまたま毎夜会話した客の一人より私のことを知らない。
質問すれば普通に答えてくれはするが、友人からの質問というのは聞いたことがほとんどない。
それでも一緒にいることが変だと思えない友人。つくづく変な存在だ。




