タイトル未定2026/10/12 20:25
渚が浴室に行き、佐野はバス停まで流花を送った。
「佐野君、遅くまでごめんね」
「ずっと、なぎちゃんの側にいてくれてありがとう。初めて子供を身ごもって、昼間は一人でアパートの部屋で過ごして、いつも不安だと思う。なぎちゃんは何も言わないけど」
「なぎちゃん、弱い所は絶対見せない、強い女性だよ」
「流花ちゃんもだろ」
「私は、強くなんかない」
話しながら歩いていると、バスの停留所に着いた。
流花は、バスの停留所のベンチに腰掛けた。
「佐野君、送ってくれてありがとう。もう行って。なぎちゃんが、佐野君を待っているよ」
流花がそう言うと、佐野は黙ったまま、流花の隣に座った。
「流花ちゃんが、バスに乗ったのを見届けてから、帰るよ」
流花は佐野を、チラリと見ただけだった。
「実はさ……俺、偶然流花ちゃんの彼氏を見ちゃったんだ」
流花は驚いて、佐野を見た。
佐野は、流花を見ずに続けた。
「背が高くて、落ち着いていて。まさに大人の男って感じだな。そんな彼と流花ちゃんは、付き合っているんだ」
流花も佐野の方を見ず、黙ったまま佐野の言葉を聞いていた。
「あんな男は、そうそういない。流花ちゃん、彼氏を離しちゃ駄目だよ」
流花と佐野の間に、沈黙が流れた。
やがてバスがやってきて、流花はバスに乗り込んだ。
流花がバスの座席に座ると、バスは静かに動き出した。
流花は、窓ガラスに頬をそっと寄せた。
流花は、佐野が言った言葉を思い出していた。
『流花ちゃん、彼氏を離しちゃ駄目だよ』
流花は、強く両目をつぶった。
流花の脳裏に、一級建築士の試験を受けた帰りの夜がよみがえった。
試験を受けた後、流花はマスターではなく田中と過ごした。
田中と一緒に行った小さなbarで、そっと田中とキスをした。
田中がしてきたキスを、流花は抵抗しなかった。
barを出てからも、暗い路地裏で田中と抱き合い、何度も唇を重ねた。
キスだけで、その後流花は田中と別れた。
試験が終わって真っすぐ帰れば、こんなことにはならなかった。
あの時流花の中で、田中の側にいたいと言う気持ちが溢れていた。
……大学時代からの、気心が知れた友人だから?
一級建築士を目指す同士として、支え合ってきたから?……。
あの夜の流花は、マスターを忘れていた。
走り出した気持ちを、止めることが出来なかった。
後悔をしても、もう遅い。




