↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「お前など不要だ」と婚約破棄されたので、国を出ました ~私が抜けた途端に王都が壊れ始めても、もう知りません~  作者: 水無月カレン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
76/79

第76話:断る、理由

 次の日、私は詰所の隅に座って、一日中カイルを見ていた。


 邪魔にならないところに座って、ただ見ていた。


 彼はそのことに何も言わなかった。


 ◇


 朝のうちに男が三人来た。


 薪の割り当てでもめていた。


 カイルは両方に喋らせて、二つ質問をして、それで終わりにした。


「上は去年多かった。今年は下だ」


「けど統治官様、うちは家が増えて」


「増えた分は来年に乗せる。台帳につける」


 カイルは筆を取ってその場で書いた。


「文句あるか」


「……ないです」


 男たちは帰っていった。


 二つ質問して、その場で書いて、半刻もかかっていない。


 ◇


 昼前に女が来た。


 東の畑の水が去年より遅いという。


 カイルは地図を出して女に指ささせた。


「ここか」


「ここです」


「トマスを呼べ」


 トマスが来た。


 三人で地図を覗き込んで、しばらく話して、トマスが「見てきます」と言って出ていった。


 カイルは女に言った。


「明日わかる」


「はい」


「わからなかったら、また来い」


 ◇


 昼に老人が来た。


 用件はなかった。


 座って、茶を飲んで、天気の話をして、帰っていった。


 カイルはそのあいだ筆を置いて相手をしていた。


 老人が出ていったあとで私は聞いた。


「今の、何」


「北の山の下の爺さんだ」


 カイルは言った。


「用がないときに来る。……用があるときに来やすくするためだ」


 私はその答えを、しばらく噛んでいた。


 それは、教わって身につくものではない。


 この土地に五年いた人間の手つきだった。


 ◇


 昼を過ぎて人が途切れた。


 カイルは机に向かった。


 紙を繰る音だけがしていた。


 私はその横顔を見ていた。


 ――この人は、うまい。


 うまい、という言い方は、乱暴だと思う。


 けれどほかに言いようがなかった。


 彼はその場で決める。


 決めたことを書く。


 書いたものを次に来た人が読める形にしておく。


 それだけのことを、彼は五年、この土地で一人でやってきた。


 私がここへ来る前から。


 私がいた一年も。


 私が出ていった四か月も。


 ◇


 ――だから、王都が欲しがるのだ。


 私はようやくその当たり前のことを理解した。


 殿下は思いつきで彼を選んだのではない。


 この国に、こういう仕事ができる人間が、どれだけ少ないかを知ったのだ。


 王都の地下で、私と一緒に。


 ◇


 日が暮れてミリアが夕飯を運んできた。


 置いて、下がっていった。


 カイルは筆を置いて椀を取った。


 私は口を開いた。


「カイル」


「なんだ」


「あの辞令」


 彼の手が止まらなかった。


「断ったぞ」


「知ってる」


 私は言った。


「理由を、聞いてない」


 ◇


 カイルは椀を置いた。


 しばらく黙っていた。


 それから、ごく普通の声で言った。


「お前が、要る場所を一つ持っておく、と言った」


「……言った」


「持っておくには」


 カイルは言った。


「そこに居なきゃならん」


 ◇


 私は膝の上の手をぎゅっと握った。


「四年」


 私は言った。


「四年、要らないってこと?」


「要らんとは言ってない」


 カイルは言った。


「行けば、四年ここにいない。ここにいなければ、お前が帰ってくる場所がない。……それだけの話だ」


「私は」


 私は言った。


「私は、あなたが行くなとは言ってない」


「言ってない」


 カイルは頷いた。


「お前は言わん。……だから俺が決めた」


 ◇


 それが、いちばんこたえた。


 彼は私に頼まれたのではない。


 私が頼まないとわかっているから、自分で決めたのだ。


 私が何も言わないという性質を計算に入れて、そのぶんを自分で引き受けた。


 ――それは、たぶん、優しさと呼ばれるものだ。


 そして、セレナに誰もしなかったことと、まったく同じ形をしていた。


「カイル」


 私は言った。


「あなた、あの役、やりたい?」


 カイルは、初めて答えるのに間を置いた。


 長い間だった。


「……そういう聞き方をするな」


 彼は言った。


「答えると、面倒になる」


 ◇


 答えはそれで十分だった。


 やりたいのだ。


 この人は、水と人の割り振りを組み直すのが好きなのだ。


 好きで、うまくて、そして国がそれを必要としている。


 私は椀を見ていた。


 湯気が細く上がっていた。


「……ごめん」


 私は言った。


「なにがだ」


「わからない」


 私は言った。


「わからないけど、たぶん、ごめん」


 カイルは怪訝な顔をして、それから、椀を持ち上げた。


「食え」


 彼は言った。


「冷める」


 私は椀を取った。


 汁はまだ温かかった。


 二口飲んで、それから私は、自分が何を怖がっているのかをやっと言葉にした。


 ――彼が行ってしまうことが、怖いのではない。


 彼が、行かないことを選び続けるのが、怖いのだ。


 四年。


 そのあと、また四年。


 そうやって、この人の一生から、少しずつ何かが引かれていく。


 誰にも見えない引き算として。


 セレナの一年が、誰にも見えなかったように。


 ◇


 外へ出ると、風が変わっていた。


 鋭くて、重い。


 顔に当たったものが、雨ではなかった。


 私は空を見上げた。


 白いものが、灯りの中を斜めに落ちていた。


「――姉ちゃん!」


 声がした。


 テアが、詰所の前で両手を広げていた。


 初雪の中で、その子は笑っていた。


「うちの、言ったとおりでしょ」

一日カイルを見ていて、リシェルはようやく当たり前のことを理解します。


――この人は、うまい。

その場で決めて、書いて、次の人が読める形にしておく。それを五年、一人でやってきた。

だから王都が欲しがるのです。殿下は思いつきで選んだのではありませんでした。


断った理由も、飾りがありませんでした。

「お前が要る場所を一つ持っておく、と言った。持っておくには、そこに居なきゃならん」


リシェルは頼んでいません。頼まないとわかっているから、彼が自分で決めたのです。

――それは優しさと呼ばれるもので、同時に、誰もセレナにしなかったことと、まったく同じ形をしていました。


「あの役、やりたい?」

「……そういう聞き方をするな。答えると、面倒になる」


その夜、初雪が降りました。テアの言ったとおり、冬が早い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。