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「お前など不要だ」と婚約破棄されたので、国を出ました ~私が抜けた途端に王都が壊れ始めても、もう知りません~  作者: 水無月カレン


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第72話:直されて、いた

 その夜、詰所に人が集まった。


 カイルが帰ったからだ。


 私が帰ったからではない。


 板の間に膝を寄せて、男たちが四か月分の話をしていた。


 東の畦。


 北の水。


 冬の薪。


 私は隅に座って、それを聞いていた。


 言葉の半分がわからなかった。


 地名でも人の名でもなく、この村でこの四か月に生まれた言い方だった。


 ◇


「リシェル様」


 と、声がした。


 振り向いた。


 背が伸びていた。


 肩幅が前より少し厚い。


 それでもまだ首のあたりが細かった。


「トマス」


 私は言った。


 トマスはにこりともせずに、深く頭を下げた。


 そのあとで、こらえきれずに笑った。


「――お帰りなさい」


「ただいま」


 私は言った。


 その言葉が思っていたよりすんなり出た。


 ◇


「西の水路のこと、聞きました」


 トマスは座りながら言った。


「見に行かれたんですね」


「見た」


 私は言った。


「逆になってた」


「はい」


「掘り直したのね」


「はい」


 トマスは全く悪びれなかった。


 私はそれが少し面白くて、それから少し怖かった。


「理由を聞いていい?」


「割れるからです」


 トマスは言った。


「冬に」


 ◇


 彼の説明は短かった。


 短くて、正しかった。


 私が引いた水路は、西の丘の高いところから東へ一気に落とす形だった。


 水の力を使って、遠くまで届ける。


 夏はそれでいい。


 だが冬は、傾きが強いほど流れが速く、速いほど夜のうちに縁が凍る。


 凍って、割れる。


 割れた場所から水が抜けて、下の三軒が春まで水を失う。


「去年の冬、そうなりました」


 トマスは言った。


「二か所」


「……私がいた冬に?」


「はい」


 私は思い出そうとした。


 思い出せなかった。


 あの冬、私は中枢のことばかり考えていた。


 村が水路を直しているあいだ、私は王都の地図を見ていた。


「言ってくれれば」


 と、言いかけて。


 私は自分の口を止めた。


 トマスが不思議そうな顔をした。


「言いましたよ」


「……え?」


「凍って割れました、って。あの冬に」


 トマスは言った。


「リシェル様は、そうか、直しておいて、って」


 ◇


 私は、天井を見た。


 言ったのだろう。


 たぶん、言った。


 地図から顔も上げずに。


 直しておいて、と。


「直しました」


 トマスは言った。


「三回、やり直しました。二回目までは失敗しました」


 彼は指を三本立てて、それから照れくさそうに下ろした。


「今の形は、水番のみんなで決めたやつです。浅くして、幅を広くして、傾きを殺す。……そのぶん遠くまで届かないので、東の分は、別に汲み上げる番を作りました」


「番を作った」


「はい。一日ずつ、順番で」


 私は黙った。


 私の設計は、遠くまで一息に届かせるための形だった。


 効率がいい。


 人手が要らない。


 ――人手が要らないから、誰も水路を見ない。


 彼らは効率を捨てて、人手を足した。


 毎日、誰かが必ず水を見に行く形にした。


 私が一年かけて作ったものより、その形のほうが、明らかに冬に強い。


「トマス」


 私は言った。


「よくやったね」


 トマスは目を丸くした。


 それから赤くなった。


「……いえ」


 彼は言った。


「べつに、たいしたことじゃ」


 ◇


 たいしたことじゃない。


 その言い方がいちばん効いた。


 彼らにとって、私の設計を直したことは、報告するようなことですらなかった。


 壊れたから直した。


 それだけだ。


 私に断る話でも、私が褒める話でもない。


 それは。


 ――それは、私がずっと望んでいた形だ。


 なのに、胸のどこかが、ひどく静かだった。


 ◇


 外へ出ると星が出ていた。


 空気が刺すように冷たい。


「水の姉ちゃん!」


 声がした。


 その呼び方に、私は思わず振り返った。


 この一年半で、私をそう呼ぶ人間は、一人しかいなかった。


 小さな影が駆けてくる。


 小さいけれど、前より少し大きい。


 ハンナの孫だった。


「テア」


 私は名前を呼んだ。


 覚えていた自分に少し驚いた。


「帰ってきたって、じいさんが言ってた」


 テアは息を切らせながら言った。


「うち、見に来た」


「見に来たの」


「うん。ほんとかどうか」


 テアは私を上から下まで見て、それから頷いた。


「ほんとだ」


 ◇


 テアは十三になったと言った。


 水番の見習いをしているとも言った。


「毎朝、西の水路を見に行くの、うちの番のときもある」


 テアは胸を張った。


「氷、割るんだよ。棒で」


「凍るの」


「凍るよ。今年、もう縁が白いもん」


 テアはこともなげに言った。


「今年、来るの早いよ」


 私は西の丘のほうを見た。


 闇の中で水の音がしている。


 私が触った水の冷たさを、指がまだ覚えていた。


 ◇


 テアが帰ったあと、詰所の裏で足音がした。


 振り向くと、白い上衣の裾が見えた。


「……セレナ」


 私は言った。


 彼女は少し笑って頭を下げた。


 四か月前、王都で最後に見たときより。


 顔の色が、ずっといい。


「お帰りなさい」


 セレナは言った。


 そして私を見て、少しだけ首をかしげた。


「あなた」


 彼女は言った。


「少し、痩せましたね」


 私は何か言おうとして、うまく言えなかった。


 言われて初めて、気づいたからだ。


 私はこの四か月、一度も止まっていなかった。


 王都を出て、エスタへ行って、二月いて、レンツへ行って、二十日いて、そして北へ。


 そのあいだ、私はずっと、次の土地のことを考えていた。


 止まると、何か考えてしまいそうだったから。


 次の土地が、ここにはない。

水路を直したのはトマスと村の水番たちでした。

理由は「冬に割れるから」。

リシェルの設計は、夏には正しく、冬には正しくなかった。それだけの話です。


彼らは、それをリシェルに報告しませんでした。

壊れたから直した。たいしたことじゃない。――報告するような話ではなかったからです。


それは、リシェルが四つの土地をかけて作ろうとしてきた形そのものでした。

望んだとおりの答えが返ってきたのに、彼女の胸のどこかは、ひどく静かです。


そしてもう一つ。今年、冬が早い。

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