第53話:奇跡の人
第三部「不要という祝福」、はじまります。
王都を作り替えたリシェルが、次に向かうのは、かつて棚上げにした隣の領――エスタ領。
けれど「広げる」ということは、思っていたほど、優しくはありませんでした。
エスタ領の門は、花で、飾られていた。
街道の砂埃を抜けて、その色が見えたとき。
私は、少しだけ、足を止めた。
「……ずいぶんな、歓迎だな」
隣で、カイルが、呟く。
門の前には、人が、並んでいた。
代官らしき男が、いちばん前で、深く、頭を下げている。
その後ろに、村の者たちが、幾重にも。
みな、こちらを、見ていた。
期待と、畏れの、混じった目で。
「リシェル・アークライト様!」
代官が、声を、張り上げた。
名は、ロヴィス、と名乗った。
中年の、実直そうな男だった。
「よくぞ、お越しくださいました。辺境の奇跡を、この目で見たいと、領民一同、首を長くして……!」
「奇跡」
私は、その言葉を、口の中で、繰り返す。
嫌な、響きだった。
◇
通された館で、私は、話を、聞いた。
エスタ領は、王都の東に接する、農の領だ。
豊かなはずの土地が、この数年、痩せている。
水路の水が、末端まで、届かない。
上流の田は潤い、下流の田は、乾く。
「王都のように、聖女様のお力が、あるわけでは、ありません。かといって、放っておけば、下の村から、順に、枯れていく」
ロヴィスは、額の汗を、拭った。
「どうか、あの、辺境で起こしたという奇跡を。……この土地にも」
「代官殿」
私は、静かに、言った。
「奇跡では、ありません」
ロヴィスが、顔を、上げる。
「私がしたのは、水の“向き”を、少しだけ、変えたことです。一点に集めず、細い流れに分けて、支え合わせた。……それだけです。誰にでも、できます」
「ご謙遜を」
ロヴィスは、笑った。
私の言葉を、まるで、聞いていない笑みだった。
「あなた様にしか、できぬことです。だからこそ、こうして、お迎えしたのですから」
私は、何も、言わなかった。
言っても、届かない気が、したからだ。
◇
その夜。
与えられた部屋で、私は、窓の外を、見ていた。
エスタの、乾いた田が、月に、照らされている。
「リシェル様」
声が、した。
トマスだった。
辺境から、連れてきた。
私が、最初に育てた、水番の弟子。
まだ、十六の、少年だ。
「見ましたか、あの歓迎。すごいですよ。リシェル様のこと、みんな、神様みたいに」
トマスの目は、輝いていた。
誇らしげ、だった。
自分の師が、崇められている。
それが、嬉しくて、たまらない様子だった。
「トマス」
「はい」
「あれは、いいことだと、思う?」
トマスは、きょとん、とした。
「……だって、リシェル様は、すごいじゃないですか。辺境を、救った。王都を、作り替えた。崇められて、当然です」
私は、答えなかった。
ただ、窓の外の、乾いた田を、見た。
誰にでもできる、と、私は言った。
なのに、この土地の人々は。
私を、「誰にもできないことをする人」として、待っている。
その、ずれが。
胸の奥で、小さな、棘のように。
引っかかって、いた。
「……明日から、始めるわ」
私は、言った。
「水路を、見せてもらう。……この土地の、水の流れを」
「はい! 俺、案内、頼んでおきます!」
トマスは、元気よく、部屋を、出ていった。
その背中を、見送りながら。
私は、ふと、思った。
この子は。
私を、崇めている。
辺境の民が、私を崇めたのと、同じように。
――それは。
本当に、私が、望んだことだったろうか。
第三部の舞台は、隣のエスタ領。
第44話で救援を頼まれながら、王都行きで棚上げにしていた土地です。
リシェルは「誰にでもできる」と言うのに、
人々は彼女を「奇跡の人」として待っている。
このズレが、第三部のいちばん大きな問いになります。
「広げる」とは、いったい何を広げることなのか。
少しずつ、書いていきます。




