第49話:編む
中枢は、王城の、地下にあった。
長い階段を、降りていく。
降りるほどに、空気が、重くなる。
固定の、圧。
それが、ここでは、桁違いだった。
「……これは」
カイルが、息を詰める。
「ひどい圧だな。……立っているだけで、体が軋む」
「ここが、この国の、心臓よ」
私は、前を見据えた。
地下の、広い空洞。
その中央に。
“それ”は、あった。
欠落。
闇よりも、暗い。
光を、吸い込む、空白。
私が、婚約破棄で、切り離された穴。
この国の循環の、真ん中に、ぽっかりと開いた、致命的な空洞。
そして。
その周りを。
無数の、白銀の糸が、覆っていた。
固定の、力。
欠落を、必死に、押さえつけている。
――セレナの、命そのものだった。
「……間に合った、みたいね」
私は、呟く。
寝台から運ばれてきたセレナが、車椅子の上で、静かに頷いた。
「ええ。……まだ、保っています」
彼女の声は、細い。
だが、その目は、澄んでいた。
「リシェル。……本当に、できると、思いますか」
「分からない」
私は、正直に、答えた。
「でも、やらなければ、あなたは死ぬ。……それだけは、確かよ」
セレナが、微かに笑う。
「……あなたは、いつも、正直ですね」
「嘘をつく余裕が、ないだけよ」
私は、欠落に、歩み寄る。
その、底知れぬ暗さを、見つめる。
「……セレナ。手順を、確認させて」
「はい」
「あなたは、いきなり手を離してはだめ。……固定を、一気に解けば、その瞬間、欠落が暴れて、都が崩れる」
「分かっています」
「私が、あなたの固定の“内側”に、分散の流れを通していく。細い流れを、いくつも。……それが、欠落を、支え始めたら。あなたは、そのぶんだけ、少しずつ、力を緩めて」
私は、彼女を見る。
「固定と、分散を。同時に。……編むように」
「編む……」
セレナが、その言葉を、繰り返した。
「片方を、抜いてから、もう片方を張るんじゃない。……両方を、絡めながら、少しずつ、入れ替える。そうすれば、一瞬も、支えが、途切れない」
「……なるほど」
セレナの目に、理解の光が、灯った。
「布を、織り直すように」
「ええ」
私は、頷く。
「古い糸を、一本抜いて、新しい糸を、一本通す。……それを、何千回も。決して、大きな穴を、開けないように」
気の遠くなるような、作業だった。
だが、それしか、方法はなかった。
「……始めましょう」
セレナが、言う。
「私の力が、尽きる前に」
そのとき。
階段の上から、声が、響いた。
「――やめよ!」
オルグレン。
大神官が、数人の神殿兵を従えて、降りてきた。
その顔は、怒りと、焦りで、歪んでいた。
「聖女様の御力に、触れることは、許さん! ……それは、神殿の、聖域だ!」
「大神官様」
私は、振り返らない。
「あなたが守りたいのは、聖女ですか。それとも、聖女という“権威”ですか」
「黙れ!」
オルグレンが、兵に、命じる。
「その女を、引きずり出せ!」
神殿兵が、動く。
だが。
その前に。
カイルが、立ちはだかった。
「悪いな」
彼は、腰の剣に、手をかけた。
「ここから先は、通さない」
「……辺境の、田舎者風情が」
「ああ、田舎者だ」
カイルは、動じない。
「だが、田舎者は、土地が死にかけてるときに、権威の心配なんてしない。……目の前の流れを、どうやって生かすか。それだけを、考える」
彼は、私を、ちらりと見た。
「やれ、リシェル。ここは、俺が持たせる」
私は、彼の背中を、見た。
広くはない。
だが、揺るがない、背中だった。
「……ありがとう」
小さく、言う。
そして、私は、欠落に、向き直った。
もう、後ろは、振り返らない。
「セレナ」
「はい」
「始めるわ」
私は、両手を、欠落へ、かざした。
闇が、私を、見返してくる。
――かつて、私が、そこから、切り離された場所。
いま、私は、自分の意思で。
そこへ、手を、伸ばす。
役割としてではなく。
選択として。
第49話まで読んでいただき、ありがとうございます。
いよいよ、王都の中枢=リシェルが切り離された「欠落」の再設計が始まります。
やり方は、「編む」こと。
固定を一気に解くのではなく、固定の糸を一本抜いては、分散の糸を一本通す。
布を織り直すように、支えを一瞬も途切れさせずに、少しずつ入れ替える。
そこへ、大神官オルグレンが妨害に現れます。
彼を食い止めるのは、カイル。
「田舎者は、土地が死にかけてるときに、権威の心配なんてしない」
リシェルは、かつて自分が切り離された場所へ、今度は自分の意思で手を伸ばします。
次話、再設計は最大の山場を迎えます。




