第46話:押さえる者
その部屋は、都の中でも、いちばん静かだった。
厚いカーテンが、光を遮っている。
薄暗い寝台に、彼女は横たわっていた。
セレナ。
聖女。
――かつて、私と正面からぶつかった、固定する者。
「……」
私は、思わず、足を止めた。
白銀の髪。
あの夜、祝宴で光をまとっていた、あの髪。
いまは、色を失っていた。
銀ではなく。
灰に近い、くすんだ白。
頬は、透けるほどに、青白い。
まるで、命そのものが、少しずつ、抜けていくように。
「……ひどいな」
カイルが、低く呟いた。
彼にしては、珍しく、言葉に感情が乗っていた。
私は、寝台のそばに、膝をつく。
セレナの手に、そっと触れる。
冷たい。
だが。
その奥に、微かな流れを感じた。
止まっていない。
まだ、繋がっている。
――押さえ続けている。
眠りながら、なお。
「……あなた」
声がした。
セレナの、唇が、動いていた。
「セレナ」
私は、身を寄せる。
彼女の瞼が、わずかに開く。
澄んだ瞳が、私を捉えた。
「……来たの、ですね」
掠れた声。
それでも、そこには、芯があった。
「ええ」
私は、頷く。
「呼んだのは、あなたなの? “一度、会えませんか”って」
セレナは、微かに笑った。
「……あんな一行しか、書けませんでした。押さえながらでは……手紙一つ、満足に」
「……無茶を」
「ええ」
彼女は、素直に認めた。
「無茶を、していました。……ずっと」
私は、彼女の手を、握り直す。
言葉が、出てこなかった。
かつて、この人は、私から婚約者を奪った。
「殿下には、もっとふさわしい方がいる」と。
あの言葉で、私は、すべてを失った。
――憎んでも、よかったはずだった。
だが。
いま、目の前にいるのは。
私が去った国を、たった一人で、支え続けた人だった。
「……なぜ」
私は、問う。
「なぜ、一人で押さえ続けたの。……こんなになるまで」
セレナは、天井を見上げた。
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「あなたが、抜けた後」
「……」
「この国の中心に、穴が開きました。何もない、空白が。……放っておけば、国が、内側から崩れる」
彼女の指が、わずかに震える。
「私にできるのは、固定だけ。……穴を、塞ぐことはできない。でも、押さえることは、できました。だから」
「……押さえ続けた」
「ええ」
セレナは、頷く。
「他に、方法を知らなかったから」
私は、目を閉じた。
分かってしまった。
この人は、悪意で私を追い出したのではない。
この人もまた。
「自分にできること」しか、知らなかっただけなのだ。
――かつての、私と同じように。
「セレナ」
私は、目を開ける。
「あなたのやり方では、あなたが死ぬわ」
はっきりと、言った。
彼女は、否定しなかった。
「……知っています」
「なら」
「でも、他に、誰が」
セレナの声が、震える。
「私が手を離せば、その瞬間、都が崩れます。……この、何百万の人が暮らす都が。私の命一つと、引き換えにできるものでは、ないでしょう」
沈黙。
部屋の中で、彼女の、浅い呼吸だけが、聞こえていた。
私は、ゆっくりと、立ち上がった。
そして。
「……手を離しても、崩れない方法があるとしたら?」
セレナの目が、見開かれた。
「押さえるんじゃない。……流すの。あなたが一人で支えてる中心を、無数の細い流れに、分けてしまう。一つが切れても、他が補う。……そういう構造に、作り替える」
「……それは」
セレナの声が、掠れる。
「あなたの、辺境でのやり方」
「ええ」
私は、頷いた。
「一領地でできたことよ。……国の中心でも、できないとは限らない」
セレナは、しばらく、私を見つめていた。
その瞳に、いくつもの感情が、よぎった。
希望。
恐れ。
そして。
「……一つ、言わせてください」
彼女は、静かに言った。
「あのとき。私たちが、正面から、ぶつかったとき」
あの、丘の上の決戦。
「あなたは、言いました。“固定と分散、どちらも必要だ”と。……私は、それを、頭では理解しました。でも」
彼女の目に、涙が滲む。
「心のどこかで、まだ、思っていたんです。……あなたのやり方は、危うい。壊れることを、許すやり方だと。私のように、すべてを守ろうとするほうが、正しいはずだと」
「……」
「でも、違った」
セレナは、自分の、色を失った髪に触れた。
「すべてを守ろうとして、私は、こうなった。守れなかったものも、数え切れないほど、ありました。……固定は、万能では、なかった」
彼女は、私を見上げる。
「あなたに、頼みます」
初めて。
聖女が、私に、頭を下げた。
寝台の上で。
「この国を……“流して”ください。私には、もう、できないから」
私は、その手を、両手で包んだ。
「一人ではやらせない」
静かに、言う。
「あなたも、一緒によ、セレナ。……固定と、分散。両方の力が、要る」
セレナの目から、一筋、涙がこぼれた。
それは。
かつて、敵だった二人が。
初めて、同じものを、見た瞬間だった。
第46話まで読んでいただき、ありがとうございます。
かつて力で正面からぶつかった、リシェルとセレナ。
今度は、言葉で向き合いました。
セレナは悪意でリシェルを追い出したのではなく、
「自分にできること=固定」しか知らなかった。
それは、かつてのリシェル自身と、同じでした。
固定は万能ではない。
すべてを守ろうとして、聖女は命を削り、それでも守れないものがあった。
リシェルは、王都の中枢そのものを「流す」構造へ作り替えることを提案します。
一領地でできたことを、国の中心で。
けれど、それを、都で権力を握る者たちが、黙って見ているはずもありません。
次話、固定に既得権を持つ者たちが動き始めます。




