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「お前など不要だ」と婚約破棄されたので、国を出ました ~私が抜けた途端に王都が壊れ始めても、もう知りません~  作者: 水無月カレン


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第44話:広げる、ということ

第二部が始まります。


第一部は「役割として生きていた私が、自分の意思で一つの土地を作り直すまで」の物語でした。

第二部は、その先。

「面倒で、壊れにくい」やり方を、この領の外へ広げていきます。


固定する者と、流す者。

一度は正面からぶつかった二人が、今度はどう交わるのか。

静かに、けれど確かに、話は国そのものへ向かっていきます。

 朝の見回りは、もう習慣になっていた。


 辺境領ヴァレント。


 かつて、乾いて枯れかけていた土地。


 いまは、無数の細い流れが、あちこちで支え合っている。


 一つが詰まっても、別の流れが補う。


 効率は、悪い。


 手間もかかる。


 だが壊れない。


 それが、この土地の新しいかたちだった。


 私は水路沿いを歩きながら、流れの手触りを確かめていく。


 ここは繋がっている。


 ここは少し細い。


 ここは、もう私がいなくても、回り続ける。


 ――けれど。


 立ち止まって、私は眉を寄せる。


 北の外れ。


 昨日まで穏やかだった流れが、今朝は、わずかに滞っている。


 小さな綻び。


 まだ致命的ではない。


 私が触れれば、すぐに直る。


 手を伸ばしかけて。


 止めた。


「……いいえ」


 小さく、呟く。


 私が直せばそれで終わる。


 だがそれでは。


 いつまでも、私がいなければ回らない土地のままだ。


 一極。


 中心が私になっているだけの、別の“固定”。


 それは、私が壊したかったものと、同じだった。


 私は来た道を戻る。


 水番の詰所へ。


 そこには、若い男が一人、帳面を広げていた。


 トマス。


 もとは、ただの水汲みだった男。


 いまは、私が「流れの読み方」を教えている、最初の一人だ。


「トマス」


「はい、リシェル様」


 彼は慌てて立ち上がる。


「北の外れ。流れが、滞り始めてる」


「え……気づきませんでした」


「昨夜のうちよ。まだ小さい」


 私は彼の帳面を指さす。


「あなたの記録に、答えは出てる。三日前から、北の水量が少しずつ落ちてた。読めば、分かるはずだった」


 トマスは帳面を睨む。


 そして息を呑んだ。


「……本当だ」


「今日は、私は触れない」


 私ははっきりと言う。


「あなたが、直しなさい」


「……俺が、ですか」


「ええ」


 彼の顔が、強張る。


 当然だった。


 流れに触れる感覚。


 それを、彼はまだ、完全には掴んでいない。


 だが。


「できないなら、いつまでも私が要る」


 私は静かに続ける。


「それは、この土地が“私という一点”に固定されてるってこと。私がいなくなったら、崩れる。……それでは、意味がない」


 トマスは、しばらく黙っていた。


 そして。


「……やってみます」


 短く言った。


 その目に迷いはあった。


 だが逃げはなかった。


 ――それで十分だった。


 私は詰所を出る。


 空を見上げると、雲が、静かに流れている。


 固定された王都の空とは、違う。


 ここでは風が止まらない。


 ◇


「教えてるのか」


 背後から、低い声。


 振り返らなくても分かる。


 カイルだ。


「ええ」


「非効率だな。お前が直せば、一瞬だろう」


「そうね」


 私は少しだけ笑う。


「でも、私はいつか、ここを出るもの」


 カイルの足が、わずかに止まった。


 ほんの一瞬。


 だが確かに。


「……出る、と」


「ええ」


 私は領を見渡す。


 朝の光の中で、村人たちが動き始めている。


 畑を耕し。


 水を汲み。


 子供たちが、走り回る。


「この領は、もう回り始めた。私がいなくても、崩れないように、少しずつ作り替えてる。トマスたちが育てば、私は、要らなくなる」


「要らない、か」


 カイルがぽつりと言う。


「懐かしい言葉だな」


 私は思わず彼を見た。


 「お前など不要だ」。


 あの夜、王都で告げられた言葉。


 私を、この土地へ追いやった言葉。


「……皮肉ね」


「そうか」


 カイルは肩をすくめる。


「あのときは、お前を要らないと言った奴らがいた。今は、お前が自分から“要らない存在になろう”としてる」


「……それは、違うわ」


 私は首を振る。


「要らない存在になるんじゃない。“私がいなくても回る場所”を、増やすの。……それが、広げるってことよ」


 カイルは、しばらく私を見ていた。


 そして。


「面倒なことを考える女だ」


「ええ」


「面倒な土地が、面倒な国になりそうだな」


 その言葉に。


 私は答えなかった。


 ただ、少しだけ、胸の奥が動いた。


 国。


 まだ、口にするには、遠い言葉。


 だが。


 まったく、根のない言葉でもなかった。


 ◇


 その日の昼過ぎ。


 領の門に、一台の馬車が着いた。


 辺境には珍しい客だった。


 降りてきたのは、疲れ切った顔の中年の男。


 隣領――エスタ領の、代官だという。


「ヴァレントの……“流れを直す方”に、お会いしたい」


 男はそう言った。


 案内された執務室で、彼は深く頭を下げた。


「不躾を、お許しください。……もう、他に手がないのです」


 聞けば、エスタ領も、この一年、同じ異常に苦しんでいるという。


 水が思うように流れない。


 畑が痩せていく。


 風が乱れる。


 王都に助けを求めても、返ってくるのは同じ言葉。


「“聖女様の御力で、じきに安定する”……その一点張りで」


 男は力なく首を振る。


「ですが、一年経っても、安定などしない。……むしろ、悪くなっている」


 私は黙って聞いていた。


 固定。


 王都は、すべてを一点に束ねて、押さえ込もうとしている。


 だが、押さえた分だけ、遠い場所が軋む。


 エスタ領は、その“遠い場所”の一つ。


 中央から見れば、後回しにされる土地。


「ヴァレントが、独自のやり方で立て直した、と噂に聞きました」


 男はすがるように言う。


「どうか。……そのやり方を、教えていただけませんか」


 室内が静かになる。


 私は窓の外を見た。


 支え合う無数の流れ。


 この土地でだけ、通用するやり方。


 ――それを外へ。


 あの丘で私は言った。


「広げる」と。


 まだこの領だけ。


 他の場所は、まだ、同じ問題を抱えている、と。


 その「他の場所」が。


 いま、目の前で、頭を下げていた。


「……一つ、確かめさせて」


 私は口を開く。


「私は、あなたの土地の流れを“直しに行く”んじゃない。……“あなたたち自身で、直せるように”しに行くの。時間もかかるし、面倒よ。私が去った後も、あなたたちが続けなきゃいけない。……それでも、いいの?」


 男は顔を上げた。


 その目に一瞬の戸惑い。


 そして。


「……こちらで、続けられるのですか」


「ええ」


 私は、頷く。


「一度、流れを読めるようになれば。……あなたたちの土地は、あなたたちのものよ」


 男の目に、ゆっくりと、光が戻っていく。


 それは、王都が一度も与えなかったものだった。


「……お願い、いたします」


 深く頭を下げる。


 私は静かに息を吐いた。


 最初の一歩。


 ヴァレントの外へ。


 ◇


 代官を見送った後。


 執務室に戻ると、カイルが窓際に立っていた。


「行くのか」


「ええ」


「お前がいなくなれば、この領は」


「トマスたちがいる」


 私は迷わず答えた。


「それに、遠くへ行くわけじゃない。隣よ。……何かあれば、すぐ戻る」


 カイルは、しばらく黙っていた。


 そして。


「……一人では行かせない」


 低い声。


 私は彼を見る。


「あなたは、この領の統治官でしょう」


「代理は立てられる」


 彼はあっさりと言った。


「お前のやり方は、非効率だ。放っておくと、鼻血を出して倒れる」


「……一度きりよ、あれは」


「二度ないと言い切れるのか」


 私は答えなかった。


 言い切れなかったからだ。


 カイルは、わずかに口元を緩める。


「面白いからな。付き合う」


 その言葉を、私は、前にも聞いた。


 あの、共存にたどり着いた丘で。


 変わらない答え。


 変わらない距離。


 ――それが、なぜか、心強かった。


「……ありがとう」


 小さく、言う。


 カイルは、聞こえなかったふりをした。


 ◇


 夜。


 出立の支度を終え、私は寝台に腰を下ろした。


 外套の隠しから、一枚の紙を取り出す。


 封蝋に白銀の紋章。


 聖女の、紋章。


 あの夜から、セレナの手紙は、何度も届いた。


 止めろ。


 関わるな。


 固定を乱すな。


 文面はいつも同じだった。


 けれど、最後に届いた一通だけは、違った。


 たった一行。


 『一度、会えませんか』


 私は、まだ、返事を書いていない。


 いつか、会う。


 そう決めてはいた。


 だが、「いつか」は、まだ遠いはずだった。


 ――そのはずだった。


「リシェル様」


 戸口でミリアの声。


 その声がいつもと違う。


 硬い。


「王都から、早馬が」


 私は顔を上げた。


 こんな時刻に。


 辺境まで。


 早馬を飛ばすほどの何か。


「……誰から」


 ミリアは、一通の書状を差し出す。


 その手が、わずかに震えていた。


 封蝋は、聖女のものではなかった。


 王家の、紋章。


 私はそれを開く。


 短い文面。


 だが、その一文が、部屋の空気を、変えた。


 『聖女セレナ、倒れる。王都、限界に近し。――至急、戻られたし。アルトリウス』


 私はその紙を、二度読んだ。


 三度、読んだ。


 倒れた。


 固定を続けすぎて。


 命を削りすぎて。


 ――際限なく綻ぶ王都を、たった一人で、押さえ続けて。


「……間に合わないかもしれない」


 思わず、呟く。


 窓の外を見る。


 辺境の夜空。


 雲が流れている。


 そのはるか向こう。


 固定された王都の空は、いまも、動かないままなのだろうか。


 それとも、もう。


 押さえる者を失って、崩れ始めているのだろうか。


 私は書状を握りしめる。


 隣の領へ行くはずだった。


 一歩ずつ広げるはずだった。


 だが。


 いちばん大きな「欠落」は。


 いちばん最初に、私が切り離された場所は。


 ――王都だ。


 すべての、中心。


「……ミリア」


 私は立ち上がる。


「行き先を、変えるわ」

第44話まで読んでいただき、ありがとうございます。


第二部は、「一つの土地を作り直した私が、その先へ踏み出す」ところから始まります。


・分散は、私一人がいれば回るものではない(トマスを育てる)

・面倒で壊れにくいやり方を、外へ広げる(エスタ領)

・そして、いちばん大きな「欠落」=王都が、限界を迎える


一度は正面からぶつかった聖女セレナが、命を削って王都を押さえ続けた末に倒れました。

固定には、固定の限界がある。

それを、私はずっと言ってきました。

けれど、それが証明されるということは――誰かが、その代償を払うということでもあります。


次話、リシェルは王都へ向かいます。

外した側が、外された者を呼び戻す。

けれどこれは、復縁の物語ではありません。

「繋ぐ者」と「固定する者」が、今度こそ言葉で交わるための、再会です。


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