第32話:維持する者
王都は、静かに崩れかけていた。
目に見える形ではない。
街並みは整っている。
人も、普段通りに動いている。
だが。
流れが、乱れている。
風が、わずかに止まり。
水が、わずかに遅れる。
それは。
日常に紛れる程度の異常。
だが。
確実に。
積み重なっている。
「……まだ、抑えられています」
静かな声が、室内に響く。
白を基調とした広間。
中央に立つのは、一人の女性。
淡い光を纏う、長い金髪。
透き通るような瞳。
その存在自体が。
“安定”を象徴していた。
セレナ・ルミエール。
現聖女。
「ですが、限界が近いかと」
傍らの神官が、緊張した声で言う。
セレナは、ゆっくりと目を閉じる。
感じる。
この国全体の流れを。
歪みを。
崩れかけた均衡を。
「……分かっています」
小さく、答える。
そして。
手を、ゆっくりと上げる。
その瞬間。
空気が、変わる。
見えない力が。
王都全体を、包み込む。
流れが。
止まる。
そして。
“固定”される。
「……これで、あと数刻は持つでしょう」
神官が、安堵の息を漏らす。
だが。
セレナの表情は、変わらない。
むしろ。
わずかに、険しい。
「……違う」
小さく、呟く。
「これは、維持ではありません」
その声は、静かだった。
だが。
はっきりとした、否定。
「……押さえつけているだけ」
それが、現実。
本来の流れではない。
ただ。
崩れないように。
力で、止めているだけ。
「……ですが、それしか」
「ええ」
セレナは頷く。
それしかない。
今は。
それ以外の方法が、存在しない。
「……だからこそ」
ゆっくりと、目を開く。
その瞳は。
冷静で。
そして。
強い意志を宿していた。
「崩すわけにはいかないのです」
それが。
彼女の役割。
聖女としての。
使命。
流れを、維持する。
均衡を、守る。
それが。
この国を守る唯一の方法。
そのとき。
「……報告です」
別の神官が、慌てて入ってくる。
「辺境にて、異常な流れの変化が確認されました」
セレナの視線が、向く。
「……詳細を」
「はい。ヴァレント領にて、流れが“繋がっている”とのことです」
その言葉に。
空気が、わずかに変わる。
「……繋がっている?」
「はい。本来なら崩壊しているはずの領域が、独自に安定を取り戻しています」
沈黙。
セレナは、ゆっくりと考える。
そして。
「……ありえない」
小さく、呟く。
この状況で。
流れを安定させる方法は。
ひとつしかない。
それは。
“固定”。
だが。
報告は違う。
“繋がっている”。
それは。
「……分散型」
対極の方法。
そして。
この国では。
本来、存在しないはずの構造。
「……誰が」
その問いに。
神官が、少しだけ躊躇い。
そして、答える。
「……リシェル・アークライト様が関与している可能性が高いと」
その名前に。
セレナの瞳が、わずかに揺れる。
「……あの方が」
静かな声。
だが。
その中には。
確かな理解があった。
「……なるほど」
すべてが、繋がる。
あの異常な流れ。
あの違和感。
それは。
自然ではない。
“別の構造”が入り込んでいる。
「……危険ですね」
神官が、緊張した声で言う。
「このままでは、均衡が崩れる可能性が」
「ええ」
セレナは、静かに頷く。
それは、事実。
分散型の流れは。
柔軟だが。
同時に。
制御が効かない。
「……放置はできません」
その声には、迷いはなかった。
「干渉を強めます」
神官が、息を呑む。
「それでは、負荷が……」
「構いません」
即答。
「今、崩れるよりはいい」
それが。
彼女の判断。
そして。
責任。
「……あの方を、止めるのですか」
その問いに。
セレナは、一瞬だけ沈黙する。
そして。
静かに、答える。
「……違います」
視線を、遠くへ向ける。
まるで。
見えない相手を、見つめるように。
「守るのです」
その言葉は。
優しく。
そして。
残酷だった。
「この国を」
そのためなら。
どんな手段でも、取る。
それが。
聖女としての。
選択だった。
第32話まで読んでいただきありがとうございます。
ここでついに、
敵サイド(聖女)が登場しました。
ポイントは、
「敵も正しい」という構造です。
・主人公は“繋ぐ”
・聖女は“維持する”
どちらも間違っていないからこそ、
対立が生まれます。
ここから物語は、
「思想のぶつかり合い」に入っていきます。
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