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ありのままおじさん 〜恋愛小説のヒロインに転生したら、婚約者と男の友情が芽生えた〜  作者: 上園 千紗


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第4話 権田武の消失(前編)

 この世界に来て、一週間が過ぎた。


「おはようございます。こちらお着替えです」

「おう、おはよう、メリッサ」


 ここでの生活にも少しずつ慣れてきた。

 寝巻きを脱ぎ捨てて、メイドことメリッサから受け取ったワンピースに着替える。


 本当はジャージで過ごしたいが、そんなものはない。

 現代日本に比べれば、飯もまずいし質素な暮らしだ。


 しかし、寺生まれが幸いした。

 精進料理だと思えばなんてことはない。


「メリッサ。後ろ、頼む」

「はい」


 メリッサに声をかけて、背中のリボンを結んでもらった。


「リゼットさま、朝食もご用意ができています」

「食堂はもう一人で行ける。あと、俺は権田だ。いや、グォンダァか?」

「かしこまりました、リゼットさま」


 ちょっと発音よく言ってみたが、そもそもこいつらは日本語がペラペラだった。


 メリッサに無視されながらも、俺は気にせず食堂へ向かった。


 食堂と玄関と風呂とトイレだけは場所を覚えた。


「おはよう、リゼット」

「おはよう、母ちゃん」


 食堂では、先に母が朝飯を食べていた。

 一週間前の乱心ぶりが嘘のように、ケロッとした顔をしている。


 席について、ナイフとフォークを握る。

 段々この食べ方も板についてきた。


 食べ始めると、母がうるさく話しかけてきた。


「リゼット、あなたの好きなコーン入りのパンよ」

「ああほら、お口にスープがついてるわよ」

「こら、ナイフで切るときに音を立てないの」


 ここ一週間、母はずっとこんな調子だった。


 キレて暴れられるよりマシかもしれないが、リゼットがいなくなった現実を受け入れられないのだろう。


 俺だって受け入れたわけじゃない。

 どうにかして帰りたいが、きっとすぐには難しい。


「ああ、そういえば、今日はアベルが来るのでしょう?」


 しゃべり続けていた母が、不意に嬉しそうに手を叩いて言った。


「またか?」

「いいじゃない、それだけリゼットのことを大事に思っているのよ」


 二日に一回は来て、少し話して帰っていく。

 仕事は家の手伝いをしているようで、合間を縫って来てくれているようだった。


「ちゃんと仕事してんのか、あいつ」


 なかなか飲み込めないパンを噛みながら言った。

 顎がどんどん強くなっている気がした。


「ごちそうさま」

「ああ、リゼット。食後の紅茶はいいの? いつも飲むでしょう?」

「いらねえ。何回も言ってるが俺はコーヒー派だ」


 そう言って食堂を出た。

 ブラックコーヒーをリクエストしているのに、どうやっても紅茶が出てくる。


 ため息をつきながら部屋に戻ると、メリッサが掃除をしていた。


「なあ、メリッサ。アベルはいつ来るんだ?」

「夕方ごろとおっしゃっていました」

「そうか」


 しばらく暇だ。

 リゼットは普段、マナーや家計管理の授業を受けていたらしいが、それも中止されている。

 対外的には病気療養中ということになっているらしい。


「なあ。時間ある時でいいから、文字を教えてくれないか」

「変な冗談をおっしゃいますね、リゼットさま」

「あ、待ってくれよ!」


 メリッサはクスリと笑って、出て行ってしまった。

 いつもこんな調子で、メイドや執事には逃げられてしまう。


 部屋が急に静かになって、俺は二度目のため息をついた。


「俺はリゼットじゃねえんだって……」


 ここに来てから、一人の時間が嫌いになった。

 否応なしに思考が沈むからだ。


「本でも読むか……」


 誰も教えてくれないなら、読解でもしてみよう。

 幸い、ノートとペンは部屋にある。


 リゼットが書き写した本を数冊取り出して、俺は机に向かった。


*    *    *


 どれぐらい時間が経っただろうか。

 やかましく扉を叩く音とアベルの声で、俺は我に返った。


 手元には、みみず文字が大量に並んだノートがあった。

 あれから夢中で書き続けていた。


「リゼット、大丈夫か? 入るぞ?」

「いいぞ」


 そう答えると、遠慮がちに扉が開いた。

 扉の隙間から、アベルが心配そうな顔を覗かせた。


「一体どうしたんだ? 昼食も食べずに部屋に籠っているとお母さんが心配していたぞ」

「今何時だ?」

「四時だよ」


 一体何時間、書いていたのだろう。

 ずっと座っていたせいで、ケツも痛いことに気づいた。


 立ち上がって思いっきり伸びをすると、アベルが部屋に入ってきた。

 机の上のノートを手にすると、パラパラとページをめくった。


「これは……文字を書いていたのか?」

「誰も教えてくれねえから、一人で練習してた」

「言ってくれれば、私が教えたのに」


 その言葉に、俺は何も答えられなかった。

 ノートを見ながら、アベルは話を続けた。


「あなたの字は潔いな。迷いがない」

「そうか? 真似して書いたが、さっぱり分からねえ」


 書道家の母の影響で、昔から字は褒められてきた。

 しかしこのみみず文字では、俺の止め・跳ね・払いは本領発揮できなかった。


「まずは五十音から覚えるといい」

「五十音!? あいうえおか?」

「知っていたのか」


 やっぱりこの世界は小説の世界だ。

 どれだけ時代を遡ろうと、五十音が使われているドイツはないだろう。


 余計に帰還が絶望的になってきたが、一つどうしても聞いておきたいことがあった。


「五十音ってことは、お前、新学期で絶対に一番前の席だっただろ?」

「私は家庭教師がついていたから、学校は行ってないんだ」

「かーっ! これだからボンボンは!」


 ちなみに俺は、カ行の折り返しで一番前の席になる確率が高めだった。

 小一の春、隣の席になった出席番号一番の青谷とは今でも親友だ。


「元気かなあ、あいつ」

「急にどうしたんだ?」

「いや、ちょっと友だちのことを思い出したんだ」

「友だち……」


 アベルはノートを閉じると、近くのソファーに腰を下ろした。


「あなたの友だちや家族は、ニホンにいるのか?」

「そうだ」

「会いたいか?」

「そりゃあ会いたいさ」


 俺はアベルの向かいに座って、ふんと鼻を鳴らして笑った。


「でも多分、もう一生会えない」

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