【第8章】第3話「去年と同じ星」
山道を抜けた先。
木々に囲まれるように、その合宿所は建っていた。
古い木造旅館。
少し色褪せた看板。
広い縁側。
長い廊下。
歩くたびに床がみしりと軋む。
「うわぁ……懐かしい」
透真が目を輝かせる。
「去年もここだったんですか?」
隣で琉衣が聞いた。
「うん!」
透真は勢いよく頷く。
「めちゃくちゃ星綺麗なんだよ!」
「そんなにですか?」
「ほんとに!」
身振りまでつけながら話す透真を見て、
琉衣が少し笑った。
夏休みに入って少しだけ明るくなった髪が、
夕暮れの光を柔らかく反射する。
派手すぎない茶色。
でも確かに、
以前より空気が軽くなっていた。
透真はふと琉衣を見て、
ぱちぱちと瞬きをする。
「……あ」
「はい?」
「やっぱりその髪、
めっちゃ似合うね」
琉衣が一瞬だけ目を見開く。
「……ありがとうございます」
「夏っぽい!」
透真は本当に楽しそうだった。
何の迷いもなく、
思ったことをそのまま口にする。
だから強い。
「透真先輩、
そういうの普通に言いますよね」
「え?」
「なんでもないです」
琉衣は少しだけ笑った。
☆
荷物を部屋へ運び終える頃には、
空がゆっくり夕暮れ色へ沈み始めていた。
遠くでひぐらしが鳴いている。
窓の外の山並みは、
少しずつ夜へ近づいていた。
「透真先輩」
「ん?」
「去年の合宿、
そんなに楽しかったんですか」
「え、めちゃくちゃ楽しかった!」
即答だった。
「夜中さ、
ほんとに星すごかったんだよ!」
「ふふ」
「笑った!?」
「だって、
もう楽しそうなので」
透真は少しだけ照れたように笑う。
「だって楽しみだし!」
「知ってます」
その返事は、
少しだけ甘かった。
去年。
自分はまだ、
この場所にいなかった。
でも今年は。
透真の“楽しい”の中に、
自分もいる。
それだけで、
十分嬉しかった。
☆
夜。
観測準備のために屋上へ上がる。
扉を開けた瞬間、
ひんやりした風が吹き抜けた。
夏の夜の匂い。
静かな山の空気。
見上げれば、
去年と同じ夜空が広がっている。
透真は思わず立ち止まった。
「……あ」
覚えている。
去年。
初めてここへ来た時。
この空を見た瞬間、
胸がいっぱいになった。
望遠鏡。
風。
夜の匂い。
全部同じだった。
☆
『木星見える!?』
『落ち着けって』
『え、ほんとに縞見える!?』
去年の自分の声が、
頭の奥で蘇る。
先輩たちの後ろを追いかけながら、
夢中で空を見上げていた。
あの時の自分は、
“教えてもらう側”だった。
でも今年は。
「琉衣くん!」
「はい」
透真が望遠鏡の横から手を振る。
「こっち覗いてみて!」
琉衣が自然にその隣へ向かう。
「今めっちゃ綺麗に見えてるから」
「透真先輩、
ほんと楽しそうですね」
「だって綺麗だし!」
透真は笑いながら位置を譲った。
「ほら、
ここ」
その距離が近い。
でも透真は気付いていない。
琉衣は少しだけ目を細めて、
望遠鏡を覗き込んだ。
数秒後。
「……わ」
小さく息を呑む。
「でしょ!?」
透真が嬉しそうに笑う。
「すごいですよね、
こういう顔」
「え?」
「星見てる時の透真先輩」
「どういうこと!?」
「秘密です」
琉衣が笑う。
完全に分かってやっている顔だった。
☆
少し離れた場所。
昴は静かにその光景を見ていた。
去年。
望遠鏡の前で目を輝かせていた透真が。
今年は後輩へ、
同じ景色を見せている。
「……去年と逆だな」
小さく呟く。
その声は夜風に溶けた。
☆
「昴先輩、
そこピント合ってます?」
透真が振り返る。
「合ってる」
「見せてください!」
結局いつもの透真だった。
楽しそうに望遠鏡を覗き込む。
その姿を見ながら、
琉衣は少しだけ笑う。
去年の透真は知らない。
でも。
今年の透真を、
一番近くで見ていたいと思った。
☆
神代先生は、
屋上の端に立っていた。
騒がしい生徒たち。
笑い声。
望遠鏡を囲む姿。
去年と同じ場所。
でも。
空気は確かに変わっている。
その中心にいるのは、
間違いなく透真だった。
神代先生は何も言わない。
ただ小さく目を細める。
夜空には、
去年と変わらない星が広がっていた。
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