【第7章】第6話「知らない一年」
初めて透真を見た時のことを、
琉衣は今でも覚えている。
☆
文化祭の日。
夕暮れの渡り廊下。
人の多さに酔って、
友達とはぐれた。
知らない高校。
知らない景色。
少しだけ、
心細かった。
☆
その時。
「大丈夫?」
声を掛けてくれた人がいた。
☆
振り返った先。
夕焼けの光の中で、
その人は立っていた。
黒髪。
柔らかい目。
どこか、
空気が穏やかな人。
☆
「……友達と、
はぐれて」
琉衣が小さく言う。
「そっか」
その返事が、
驚くほど自然だった。
変に笑わない。
子ども扱いもしない。
ただ普通に受け止めてくれる。
それだけで、
少し安心した。
☆
「行きたかった場所とかある?」
「……天文部」
言った瞬間。
男子生徒の顔が、
ぱっと明るくなった。
「ほんと?」
「……はい」
「じゃあ案内する!」
その笑顔が眩しくて、
琉衣は少しだけ目を見開いた。
☆
歩きながら。
透真は楽しそうに話していた。
「今、
プラネタリウムやってるんだ」
「あと今日、
星すごく綺麗でさ」
「夜、
晴れそうなんだよね」
星の話をする時の声が、
本当に楽しそうだった。
☆
その横顔が、
忘れられなかった。
☆
透真はきっと、
覚えていない。
文化祭の日、
迷子の中学生を助けたことなんて。
でも。
琉衣にとっては違った。
☆
受験期。
塾帰り。
疲れた夕方。
偶然また会えた日。
「……琉衣くん?」
名前を呼ばれて。
ちゃんと覚えていてくれて。
琉衣は、
本当に嬉しかった。
☆
「絶対、
この高校行きます」
勇気を出して言った時。
透真は笑った。
「待ってる」
☆
その一言だけで。
また頑張れた。
机に向かいながら。
苦しくなる度、
思い出していた。
「頑張ってるの知ってるから」
あの日。
透真が言ってくれた言葉。
☆
“大丈夫”じゃなくて。
“頑張ってるの知ってる”
だった。
それが、
どうしようもなく嬉しかった。
☆
だから。
入学できた時。
天文部の部活紹介で、
ステージに立つ透真を見た時。
胸が苦しくなるくらい、
嬉しかった。
☆
でも。
入ってみて、
気付いた。
☆
自分の知らない透真が、
たくさんいる。
☆
「ねーねー和希先輩!」
甘えるみたいに笑う顔。
「薫、
ノート貸して!」
遠慮のない距離感。
「昴先輩、
その写真!」
星を話す時の目。
「伊織、
その本面白そう!」
静かな声。
「裕翔、
試合いつ!?」
楽しそうな顔。
☆
みんな。
自然に透真の隣にいる。
当たり前みたいに笑っている。
☆
琉衣は、
それを知らない。
☆
文化祭で見た透真。
受験期に支えになった透真。
それしか知らない。
☆
一年分。
いや。
もっと長い時間。
みんなは、
透真と一緒に過ごしてきた。
☆
部室の窓から、
夕焼けが差し込む。
透真が笑っていた。
「琉衣くん?」
「……はい」
「今日元気ない?」
「そんなことないです」
☆
透真は、
少しだけ不思議そうな顔をする。
それから。
「そっか」
いつも通り笑った。
☆
その笑顔を見ると。
やっぱり好きだと思う。
憧れる。
もっと近付きたい。
☆
知らない時間がある。
知らない一年がある。
それでも。
☆
「透真先輩」
琉衣は小さく呼ぶ。
「ん?」
「今日、
一緒に帰っていいですか」
透真は、
迷いなく頷いた。
「いいよ!」
その返事だけで。
少しだけ、
胸が軽くなる。
☆
まだ知らない時間があるなら。
これから、
増やしていけばいい。
春の風が吹く。
夕焼けの帰り道を。
琉衣は、
透真の少し隣で歩いていた。
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