幕間:2026/10/3 エレナ誕生日記念SS
エレナ、お誕生日おめでとうございます。
頭でっかちのいい子のエレナ、今日も口うるさくってたまらない。
オーリレアの街で生まれた少女は、そんなことを言われながら育った。各家それぞれ花壇を持ったり、アパルトメントであればプランターであったり、小さな鉢植えであったり、花を育てる文化のある街だ。それを面倒だと思う者は自然と離れていく。この文化は実のところ、小さなことを長く続けられるかどうかを篩にかけるためのものなのだ。
花に水をやる、枯れれば次の種を植える。案外と面倒なこの作業は続けられる性質の者が限られていく。花の世話が好きだとして、いくら手を掛けても枯らす人もいる。本当に苦手な人もいるが、それでも続けられる人は街に残る。
オーリレアは小麦の街だ。春に、秋に、畑をぐるぐると変えながら変わらない生活が送られている都市。だからこそ、変化しないことに耐えられる人であることが求められ、いつからか始められたのがこの花の世話だった。同時に、これは天気予報でもあるのだ。人が感じ取るより、空を見るより、花の咲き具合、蕾の眠り具合、葉の備え具合から天気を読み取り、小麦に生かされる。そうして、オーリレアは長く続いてきた街なのだ。
スカイ王国はあらゆる分野で秀でており、あらゆる面で恵まれている。
物心ついた時からエレナは水道が普通であったし、風呂は湯が出た。街中の清掃もしっかりと行われており、疫病が流行ることもない。水を煮沸して飲む必要もなく、食事に飢えたこともない。皆が当たり前に享受している生活が、なぜなのか、とエレナが考えたことは奇跡だったに違いない。
だからいろいろ知りたかった。どうして風呂は湯が出るのか。どうして街中が綺麗なのか。どうして勉強をするのか。どうして。
こどものなんでどうしてはしつこかったのだろう。両親は苦笑いを浮かべながらエレナをオーリレアの学園に入れ、質問の矛先を変えた。次女でありエレナの妹であるマリナは物事をすんなりと受け入れられる子だったので随分可愛がられていた。
寂しい。なんで? マリナがおかあさんとおとうさんに可愛がられているから?
わたしはどうして可愛がられないの? たくさん知りたいからいっぱい聞いたから?
けれど、知りたいことをやめることはできなかった。学園の特別授業で魔導士が来てから、エレナの興味はそちらにも流れた。体の中にある何かを知ってはいても、言葉にも形にもできなかったものが、魔導士という事例を前にしてようやく姿を手に入れた。エレナは魔導士の才能があり、それを発露できるのだと知った。
学園では魔法を使う授業がなかったので、数日滞在していた魔導士がコツを教えてくれた。魔法は扱いを間違えてはならない、簡単に人を殺せる力だから、と優しく手を取ってくれた人を、よく覚えている。
土魔法が得意で、火魔法も得意。魔導士としての力を生かすのであれば、冒険者か街の修繕士も選べる。もちろん、魔導士として生きなくても未来は自由だと付け加えてくれた人に、少女であったエレナは目を輝かせた。
知りたいことが増えていく。やりたいことが増えていく。エレナは家での寂しさを埋めるように知識を求めた。その結果、どうして私にはできることがみんなにはできない、わからないのだろう、と首を傾げる少女に育った。
冒頭の言葉はエレナの学生時代、ずっと言われていた。
サボるのが悪いのよ。知ろうとしないことが悪いのよ。負け惜しみはやめてもらいたいわね。
エレナはいつもそう考えていた。両親のいいところを持って生まれることのできたエレナは、オーリレアではスカイ美人と呼ばれ、大人になるにつれて冒険者からも声を掛けられるようになった。大人びていた少女の年齢を聞き、慌てて逃げ出す冒険者も居れば、悪いことを考える奴もいた。エレナは自分で自分の身を守り、そうして攻撃魔法を覚えていった。
オーリレアでは、エレナは美人だが口達者で愛嬌がない、などと言われていた。それでも声を掛けてきてくれた少年もいたし、恋人になった青年もいた。やがてエレナに気後れして去っていくか、もっと素直だと思っていたと捨て台詞を吐く人もいた。中にはエレナと付き合うことをステータスと考えてあることないことを吹聴するような奴もいた。
年頃を迎える頃には男というものはくだらないものだと達観していた。
ある日、オーリレア近郊の森で魔法の練習をしていたら誰かの声がした。その先で出会ったのがヨウイチだった。
もの知らずなヨウイチにこの場所のことを教えるのは不謹慎ながら楽しかった。ヨウイチは少しずつ質問をするようになり、エレナも答え、そしてヨウイチの状況が何であるのかを調べ、それがよく耳にする【渡り人】なのではないかと気づき、そこからは早かった。
オーリレアにだって【渡り人】はいた。ただ、国や年代が違うと思うと言われてから少々頓挫、ヨウイチは世界を見て歩きたいと言った。
狭いオーリレアで生きてきたエレナにとって、それは素敵な提案だった。魔導士であるからこそ、不躾な冒険者を防いできたからこそ、ある程度戦う術も持っていて、ヨウイチがもし戦えなくても問題ないと思えた。
結末から言えば、ヨウイチは剣と盾を選びエレナを守り、死んだ。
けれど、そこまでの旅路は紆余曲折ありながらもエレナの心を支えたものだった。その支えを失ってからの十年は改めて告げる必要はないだろう。
――夫がここで死んだのだろう。置いていく必要はない。
パッと目の前が開け、風が通るような気持ちだった。薄いカーテンを何重にも掛けられた鳥かごを覗き込むように、そこに出口があるのだと示されたような感覚があった。照れの滲む少年の手と、泰然自若な男のゆっくりとした余裕のある無骨な手が、優しく差し伸べられたような。
エレナはその手をしっかりと握り締め、鎖を振りほどき、鳥かごを脱した。
旅は大変だが楽しかった。少年はこうするといい、と教えたことを素直に受け止めて改善し、かつ、伝えたかったことを先回りして気づける子だった。少年らしい甘えもあれば、まだ若い子だからこその弱さもあり、いろいろと教えてあげたくもなった。けれど、昔言われたあれこれが口を噤ませた。この子には嫌われたくないと思った。
だからなのか、矛先は男の方へ向いた。口出しをしていいかと問えば、気になることがあるのか、と問い返された。責めるような口調ではなく、何に対してなのかを問いたいのだとわかった。気が弱すぎるかな、と答えれば、否定はしないと返ってきた。
そうだろう。冒険者であればこそ、エレナもそうだが弱みを見せるわけにはいかない。弱みにつけこんでくる悪い奴らだっているのだから。少年はこの男がそれを防ぐために気を配っていることを気づいてもいないだろう。気づかれないようにしているのだから仕方のないことだった。
二人だけで言葉を交わしてみれば、なんとも居心地のいい男だった。
頭から否定することはしない。進言されたことをじっくりと咀嚼して、今後、どこかで組み込めるかどうかを検討する姿勢をみせる。それだけでも信頼するに値する。
ジュマのダンジョンでファイアドラゴンを狩って戻ってきた時にも、衣服はぼろぼろ、火傷を負って危険な状態になってまで少年を守った心意気は見直すものもあった。疲れ果てて眠ってしまったらしい少年を背負って戻り、それを寝かしつけた後、ぐらりと揺れた体。思わず支えた肩と体の重さに、この人だって大変な思いをしたのだと改めて気づいた。
「お疲れ様、よく無事だったわね」
自然と出た言葉を口から零せば、男はゆっくりと黒いシールドをこちらへ向け、形のいい薄い唇を開いた。
「いい言葉だ」
お疲れ様、なのか、よく無事だった、なのか。エレナにはわからなかった。問いかける前に一人で立ち直した男は伸ばした指をエレナの頬に触れる前に止め、下ろした。
「すまなかった、もう大丈夫だ。私も風呂に入って休むとしよう」
「そう、石鹸はまだある?」
「ある、問題ない。ありがとう」
そう、じゃあ、おやすみなさい。なぜだかすぐに出て行った方がいいような気がして、エレナはその部屋を辞した。頬に触れようとした男の手から感じた微かな体温が、エレナの肌に残っていた。
好奇心旺盛な少年に負けず劣らず好奇心旺盛な男は、時折エレナにあれはなんだ、これはなんだと聞いてきた。
とくに、少年が【真夜中の梟】とともにダンジョンに籠っている間は、正直に言えば楽しかった。エレナの石鹸を売りに行く際のあれこれもあったりはしたが、間に少年を挟んでいた関係性から、エレナとラングである関係性になることもできたように思えた。ひとつ質問され、ひとつ答えれば、その先をさらに考えようとする男の思慮深さには尊敬も抱いた。尊敬に留めておこうと心のどこかで思ったことを覚えている。
守ること以外に、決して、自分からこちらに触れようとはしない男だった。
手を差し出すだけ。腕を差し出すだけ。道を示すだけ。捉えようによっては卑怯な男だ。そこに責任を必ず負うという覚悟があればこそ、信頼に変わる。
だから、次はこちらから手を差し出したのだ。腕を広げて抱き寄せたのだ。
戦女神ミヴィスト教徒であるのは確かだ。戦場へ向かう戦士に対し、想いを遂げる憂い払い。勝利を願う女神の抱擁。なんとでも言い訳は立つが、そんな言葉に隠したくはなかった。
先を見据えようとする貴方の横顔が。
皆の心の支えであろうと凛然と立つ貴方の姿が。
時折見せてくれる特別な表情が。
尊敬を越えて、今、
――続きは、いつの日か。




