1-7:誰も知らない話
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スカイの空は高くて澄んでいる。そこを飛んだことは数回あるけれど、それでも慣れはしなかった。誰かに担がれるような感覚があったり、腕を引っ張られたり、足を掴まれたり、玩具のように運ばれた気がする。ヴァンは随分優雅に飛んでいるのに、ずるいと思った。
エフェールム邸の正面玄関にふわりと降り立ったツカサは、最後、揶揄うように背中を風に押され、よろよろと数歩たたらを踏んでから恐る恐る顔を上げた。エフェールム邸の家令であるカイラスを始め、世話になったメルファスからメイドをまとめる立場のモリーン、騎士のフォルテまで勢ぞろいでお出迎えされていた。そこにシグレだけがいなかった。カイラスはそっと視線を横にやり、ツカサの着地は見ないでくれたらしい。ヴァンはツカサの肩を叩いて慰め、カイラスを振り返った。
「急な連絡にも関わらず場所の提供をいただき感謝を。統治者殿に直接伝えるつもりだったけれど、御不在なのかい?」
「申し訳ございません、当主様はご気分が優れず……」
「それは心配だ、どうぞお大事に、と」
「恐れ入ります。私が責任を持ってご案内させていただきます。どうぞこちらへ。皆様お揃いでございます」
もういい加減ツカサにもわかる。これは場所の提供を受けただけでシグレは何も知らないぞ、というパフォーマンスであり、代わりに、総出で出迎えることで敬意を失しないというわけだ。カイラスがヴァンの名前をはっきりと呼ばないのもそのためだろう。そういうことがわかるようになったことが少し嬉しかった。
久々に入ったエフェールム邸の空気は相変わらず息がしやすかった。肩肘張った豪奢なものが並んでいるわけではなく、品のよいものが丁寧に飾られ、手入れも行き届いている。夏だからか絨毯やカーテンの色合いは淡い緑や水色で整えられ、涼しさを覚えた。
正面の大階段を上り、少し廊下を進んでさらに階段を上る。最上階の貴賓室だ。どこか応接室でも借りるのだろうと思っていたので少し驚いた。
「セルクスがまだ動けないのかな」
「それもあるけど、一番はシグレ殿との鉢合わせを避けるためさ」
ひそりとヴァンから答えを貰い、その答えがなぜなのかを考えた。なんとなく察した。
「シグレさんの体調不良、嘘だから、何かあった時に応接室を使う? 一室だけじゃないけど、念には念を?」
「うーん、惜しい。ツカサ、昨日は誰と話したんだい?」
「もしかして、フィルもいるの?」
ヴァンがにこりと微笑んだ。最上階の最高級品の絨毯にふかふかと足音を奪われながら、ツカサはヴァンへ顔を寄せた。
「同席はしないんだ?」
「何かあった時に無関係を装うためにね。今は商人との会合として時間を取っているはずだ。エフェールム家はシェフィール商会のお得意様なんだよ」
「シグレさん、さっき体調不良って宣言あったのに」
「あれは体裁だからね。歓迎できない来客を追い払う手法でもある」
ほう、つまりヴァン達は歓迎されない来客として扱われたというわけだ。いったいその意図とはなんなのか。興味深く頷くツカサにヴァンは目を細めた。
「君も随分、僕らと同じ立場になりつつあるねぇ」
「なんかやだな、それ」
「あはは! そもそも僕に目を付けられている時点で諦めた方がいい」
「自分で言う?」
笑いながら背中を叩かれ、そうしていればカイラスが足を止めた。場所は違えどラングが借りていたのと同じ重そうな扉の部屋だ。同行していたフォルテが扉をノックし、中から返事を待ってからそれを開いた。中からバサバサと翼の音がし顔面に迫ってきたものに咄嗟に魔法障壁を展開した。それは魔法障壁に硬い音を立ててぶつかり、よろよろと羽ばたき直した。
「ピェー! 何しやがる!」
「ホムロルル!? どこ行ってたの!?」
「はいはい、とりあえず中に入って。カイラス、どうもありがとう」
「いえ、それでは」
強制的に部屋へ入れられ背後で扉が閉じ、鍵が掛けられた。改めてホムロルルを肩に乗せ、文句を言われながらツカサは部屋を見回した。【快晴の蒼】の全員がいるかと思いきやそうではない。シェイとヴァンだけ、ソファにゆったりと腰掛けているのは目を覚ましたセルクスだ。にんまりとした笑みにツカサは笑顔を向けた。
「やぁツカサ、世話をかけたな」
「セルクス! よかった、体は? 怪我は?」
「君のおかげで傷自体は塞がっている。ただ、私も存在としては理側なのでね、馴染むのに時間を要しているのだ。自力で歩くのはまだ少し、難しいな」
なるほど、それに必要な時間が一年、ということか。怪我の大きさに比例し、属性によっては馴染むのに時間が掛かる。刻の神の言っていたことがようやく現実味を帯びてきた。とにかくホッと一安心、息をついて改めて部屋を見回し、ベランダの方にいる誰かに眉を顰めた。問いを投げかける前にヴァンに促された。
「ツカサ、紅茶を淹れよう、おやつも軽食もたっぷり出してもらったからね。でも刻限はある、明日には君を返すと伝えているのは知っているだろ?」
時間が決まっている、ツカサは素直にソファへ座った。テーブルの上にはサンドイッチ、おにぎり、生肉、クッキーにケーキ、スコーン、ワッヘルなど山盛りの食べ物と保冷魔道具に乗った果実水などもあった。そして開かれた小箱、見たことのある【通信の小箱】だった。この部屋にいない面子はシグレとともに応接室で聞いているのだろう。紅茶などの温かいものはヴァンが淹れに行ったテーブルの方だ。ホムロルルはテーブルに降り立つと早速肉を啄んだ。紅茶が届くまでにひとつだけ聞こうと思った。
「ホムロルルはどこ行ってたの? まさかいると思わなくてびっくりしたよ」
「ツカサがあんまりにも可哀想なツラしてたからよ、オレ様がひと羽散らしてやったのよ。味方は多い方がいいだろ?」
「じゃあ、あれって」
「ああやって真正面から立たれるの、正直困るんだけどね」
紅茶を置きながらヴァンが苦虫を嚙み潰したような顔で言い、シェイが金の目を開いた。
「ツカサ、あいつを呼んでこい」
座ったのに、と思ったことは置いておいて、師匠の言いつけなのでツカサは大人しく立ち上がり、ベランダの扉に手を掛けた。そっと開けばスカイの夏風が吹き込んできた。独特の民族衣装から黒くて、スタイルが出るすらりとした衣服に戻し、た紫鳶色の髪をぴっしりと撫でつけて、長身の男が素晴らしい中庭を眺めていた。その背には相変わらずタルワールがあった。
「ヴァーレクスもどこに居たの?」
「家だよぉ」
ぬるん、と蛇が首元から顔を出した。ヴァーレクスはその鱗の感触には相変わらず口元を歪めているものの、諦めがついたのか面倒そうに蛇の後頭部を睨んでいた。会話は蛇とした方がいいだろう、とりあえず中へ促したがヴァーレクスは動く気配がなかった。なのであの時と同じように服を掴んで強く引っ張った。ベルトで押さえられていた服がたるみ、イラっとした顔をされたが無視をする。蛇の楽しそうな声も後押しとなってようやくヴァーレクスは渋々中へ入り、一人掛けのソファにどすりと腰掛けた。ツカサが座り直すとシェイはソファから背を起こし、ヴァンはホムロルルの翼を撫でた。蛇がテーブルの上のご馳走に目を輝かせた。
「わぁー、美味しそうなものがたくさんだねぇ!」
「軽く自己紹介は受けているけど、別の世界の精霊だって?」
挨拶もそこそこ、紹介もさせてもらえずにさくりと本題を切り出され、ツカサはいつもならその役目を担うアッシュがいない不便を感じた。いや、時間が限られているからだと思いたいが、しかし。
「ごめん、どこまで自己紹介できてるの?」
結局いちから聞くことにした。
円滑な会議のためにアッシュが呼び出された。こういうときばっかり、と文句を言っていたが頼りにされたことは嬉しいらしく顔がにやけていた。ツカサにとっては存在感のある人なのだが、如何にアッシュが他のメンバーに隠れてしまっているのかが察せられ、生温かく見遣ってしまった。やめろその視線、とツカサの座っている隣へ勢いよくアッシュが座り、その振動で笑った。アルとは違うが、【快晴の蒼】で空気の抜き方が上手いのはアッシュだ。
さて、改めて自己紹介を行った。
ホムロルルは精霊であったこと、制約が科せられ故郷を追い出されたこと、鷹として生きるがよいと言われ、今はツカサに預けられていること。
蛇は正しく精霊であるが、この世界に来たのは移住のようなもので、だが、他の精霊と喧嘩をする気はないこと。できれば放っておいてほしいこと。
今は外の気温が故郷より暖かいせいでヴァーレクスの体温が思ったより熱く、居心地が悪く困っていること。
ツカサは蛇の相談には苦笑を浮かべ、ヴァーレクスに尋ねた。
「そもそもなんでヴァーレクスはここに?」
「ぼくが来るならペリエヴァッテも来るよねぇ、ぼくの足だしぃ。ホムロルルがねぇ、ツカサが捕まっちゃうかもしれないーって慌ててさぁ、ぼくを呼びに来たんだよぉ」
「エンケポル! 余計なこと言うんじゃねぇよ!」
「きゃー! やめてホムロルル! 鱗が傷ついちゃう! ペリエヴァッテェ、助けてぇ!」
羽ばたく素振りを見せたホムロルルに、蛇は楽しそうな声でするするとヴァーレクスの服の中に潜り、顔だけを覗かせた。それをヴァーレクスはむんずと掴んでようやく服から引きずり出し、ツカサへ向かって放り投げた。ツカサは慌てて受け止めて膝に乗せた。そうした茶番をヴァンは笑ったが、シェイは笑わなかった。
「さて、異世界の精霊についてはわかった。実のところ、この世界に来た瞬間、リガーヴァルの精霊たちがざわついて、ウィゴールから報告を受けている」
「知ってたんだ。じゃあ、今の自己紹介は必要だった?」
「自認がどうであるかを知るためだよ」
ヴァンは膝に肘を置いてホムロルルと蛇をじぃっと眺めた。理の属性、その申し子であるヴァンの方がよく視えるのだろう。ツカサは肩にいる鷹と膝に居る蛇を見えやすくした。
「鷹の方、ホムロルルといったね。君は鷹であると言ったけれど、その実、元とあまり変わっていないように思う。僕からしたら君も正しく精霊だ」
「どういうことだってんだ」
ヴァンの言葉にホムロルルは首を傾げ、ツカサのこめかみにコツリとぶつかった。詳しく答えはなく、ヴァンは瞬きを入れながら鷹と蛇を見据え続けた。
「うん、不思議だ。大いなる加護を感じる。そしてこの加護の匂いを僕は知らない。リガーヴァルでもなく、全ての理の神でもない……」
「命の女神だな。だが、知ってる命の女神じゃねぇ。元々ツカサについてた【沈黙の誓い】とは違うニオイだ」
いったい何がついていたというのだろう。ツカサは自分の体をスンと嗅いだ。隣のアッシュが同じように嗅いできて頷いていた。
「大丈夫だ、臭くない」
「いや、やめて?」
「なんだよ! 庇ってやったんじゃないか!」
「はいそこまで、話を続けるよ」
ヴァンが手を叩いてツカサとアッシュを黙らせ、次に進んだ。
「結論、命の女神に何かしたのかい?」
「ええと、新生を少々……?」
「新生? ツカサ、君、右目の金色が強くなっているように思っていたのだけど、まさか【変換】を?」
「その点においては違うと言わせてもらおう。いや、ある意味で正しいが、ツカサは功労者だ。責めを負うべきは我々であって、ツカサではない」
楽しそうにやり取りを眺めていたセルクスがクッションに体を預けながら言った。
そもそも、セルクスが起きているのであればそちらから聞いてもらえればいいだろうに、どうもそうした形跡はなかった。ツカサが眉を顰めたことでそうした疑問を感じとったヴァンが、
「ツカサ、問いかけ方がお兄さんに似てきているよ。それは真似ない方がいい」
という苦言のあとに教えてくれた。
曰く、今のセルクスは神に関わることを話せないらしい。以前はある程度話すことができたのだが、今回は怪我を治すために正式に全権能を譲渡しているため、神の話題を話せないのだという。だから命の女神の新生などという話もすることができず、セルクスはツカサに聞いてほしいと言ったそうだ。ただし、その真偽について答えることはできるそうで、先ほどのフォローになったわけだ。
なるほど、これはいちから説明する必要があるのだなとツカサは理解した。ちらりと時計を見た。昼を回り、午後二時過ぎ。ツカサは深呼吸をしながら視線をヴァンへ戻した。
「結論から言うと、旧命の女神は穢れで狂っていて、新しい命の女神の代替わりを手伝った。【変換】はその時、名を変えるために使ったんだ。旧命の女神は巡る命も、消えるはずの命も抱え込んで、ある世界を死へ向かわせてた。生まれる命も黒く溶けて、新しい命が生まれない。海や川、水も腐って、大地は崩れ落ちて、火はやがて温もりを失い、風が止まる、ただ死を待つだけの世界。ホムロルルとエンケポルはその世界での最後の精霊として、命を、世界を守ってたんだ」
ツカサはレターオープナーを取り出してテーブルに置いた。
「これはその世界で友達になった、キスクっていう青年が贈ってくれたものなんだ。ヴァンにも贈るつもりで作ってもらった」
「とても美しい意匠だ。それに、使いやすそうだね」
「うん、すごく。どうぞ」
「ありがとう」
ヴァンはレターオープナーを手に取り、光にかざしてその美しさに目を細めた。それから、瞬きに合わせて腕を下ろし、ツカサを見遣った。真っ直ぐにその目を見つめ返し、ツカサは言った。
「長い話になるよ。覚悟してね」
ツカサはにっこりと微笑んだ。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
ね、ねむい。毎度なぜか「眠くなると更新しなくちゃ」と思いこの体たらく。
面白いあとがきを……書けていない……!
このラノ2027は……投票されましたか……。何か触れるものがあれば、1作として、パニ譚をぜひ……。




