4-70:ひらめきを掻き集めて
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開いた黒い扉の奥、そこは綺麗な部屋だった。
押し込められていたなりそこなった巨人の素が全て泡になり、何も出てこなくなってからトーチを放り込んだ先では淡い水色のキラキラした材質の壁が部屋の四方を囲んでおり、椅子やテーブルが端の方へ追いやられていた。あの肉塊をもってしても壊れていないのだからそれもまた特殊なものなのだろう。
「ベッドまであんのかよ……」
シュンの声に振り返ればこちらもひっくり返ったベッドがあった。それも天蓋付きだ。アルは頬を掻いて苦笑を浮かべた。
「本当に部屋だったってわけか」
リィン、とツカサの持つ迷宮の加護と理の女神が共鳴し、ゴトゴトと椅子やテーブル、ベッドが巻き戻しされる映像のように戻っていった。最後に、パッと花びらが舞い、いい香りが満ちた。女子の部屋、という感じだ。
ツカサはふわりとモニカを、初夏祭りの柔らかな笑顔を思い出した。握った手の柔らかさ、温もり、人混みの中で抱き寄せた肩。そっと撫でた丸みを帯びた腹部の形を、ツカサは無意識のうちに手のひらで思い出していた。
取り戻さなくては。モニカだけではない、【ラング】がエレナに残したものも、エレナが守ろうとしたものも、アーシェティアが盾になって守ろうとしたものも。ツカサにとっての正しい歴史では生きていた、大事な友人たちも。
『ツカサ』
ラングに名を呼ばれて顔を上げた。その黒いシールドに自分の情けない顔が映っていて、それを見て思わず笑ってしまった。その顔もまた情けないものだった。
『大丈夫。守りたいものを思い出してただけ』
『もうすぐだ、そうだろう?』
『うん、そうであってほしい』
それはラングとの別れも指すのだが、お互いにそこには触れなかった。
元々、ツカサは家族を、ラングを守りたいと言ってここまで来ている。ラングとの別れはあっても、その先に【ラング】との再会があると知っていればこそ、迷うことはない。ツカサはひとつ深呼吸をしてから頷いた。大丈夫だ。
「なぁ、理の女神がどうぞ座って、だとよ」
なんとなく空気を読んでからシュンが言い、部屋の中央を見遣った。椅子が人数分に増えていて無事に全員腰掛けられそうだ。部屋の主は居るのだが不在というおかしな状況で一先ず腰掛けた。ホムロルルはテーブルに、牡鹿はシュンの横に座り込んだ。ツカサはそれを少し寂しく思った。
背もたれが丸みを帯びた形をしていて洒落たカフェの椅子のようだ。ふかっとしたクッションにここ数日、床座りだった尻が落ち着かない。テーブルもまたガラス張りの洒落たデザインだ。
とりあえず座ったはいいものの、何をすれば、何を話せばいいのかがわからず顔を見合わせた。
『時の死神を呼べ』
『あ、そういえば、辿り着いたら起こしなさいって言われたっけ』
ツカサは思い出したかのように胸に手を当てて内側で眠る人に声を掛けた。少しの間を置いて面倒そうに寝返りを打つ気配を感じた。椅子が増え、そこに光の粒子が集まり、時の死神は相変わらず眠そうな顔で顕現した。座って早々、深い溜息を経てから時の死神は言った。
「思ったより早かったではないか」
「道案内があったからね」
ツカサの視線を受けてシュンは目を泳がせた。辿り着いて早々、扉を開けてのことを思い出しているのだろう。それをそっとしておいて、改めて視線を戻すと時の死神は目を瞑りじっとしていたので、眠っているのかとその肩を叩こうとした。ゆっくりと時の死神は手でそれを制し、聞き取れない音を口から発した。神の言葉だと思った。
ツカサでもシュンでもないところから鈴の音が聞こえ、これにはアルが驚き、【時失いの石】を取り出した。透明だったものが虹色にきらめいて不思議な音を発している。
「よろしい、始めよう」
「おい、これはどういうことだ?」
「わが友、刻の神に助力を得た。彼女は今、この世界だけを動かしている。止めた世界を順繰り動かし直し、時を刻ませ、命の女神の気を改めて引いてくれるそうだ。今のうちに新しい命の女神を復活させねばならない」
状況を正しく知るために詳細を尋ね、説明を受けた。ツカサの故郷とラングの故郷は時間が止まっている。それ以外の世界もまた、順に手放され時が止まっていっている。命の女神は止まっていく世界を順に回り【新しい命の女神】の欠片を探しているらしい。
「あれ? でも前に、破壊と歪みを産ませないために全ての世界を手放したって」
「世界を手放しても、止まるには時間が掛かる。彼女が全ての世界を手放してから、順に、ゆっくり、ひとつずつ時を失っていくのだ。一気に止まることはない」
つまり、今もまだ数多の世界がひとつずつ消灯していっているような、そういうことなのだろう。
「そうして順に手放すからこそ、命の女神の目をそちらへ向けることができているのだ」
「どうして?」
「ツカサ、リガーヴァルが時を失ったときのことを思い出したまえ。どういう世界だった?」
えっと、と記憶を遡る。空が割れて血まみれの時の死神が落ちてくる前、世界は突然音を失い、時を失った。その中でツカサだけが動いていた。自身のマントが灰色であまり意識していなかったが、そうか、色褪せていたように思う。
「灰色の世界」
「そのとおり。その中で【新しい命の女神】の欠片があれば?」
「もしかして、光輝いて見える?」
「そうだ。だからこそ、あの女は止まっていく世界に目を付けている。灰色の世界の中に、自身が砕いた自身の次の欠片を探している」
なるほど、それもあり、時の止まった世界を命の女神は覗きに行っているのだ。そうして時間稼ぎをしているのが今の状況というわけか。理の女神から相談を受けた刻の神がこの世界の時を止めなかった理由もわかった。ツカサはふと気づいた。
「ねぇ、待って。じゃあ、この世界もいずれ止まるの?」
「いや、ここには戻さなくてはならない者もいれば、次代の命の女神の欠片もある。もはや止めるわけにはいかぬ。一度、目を掻い潜ったこともあり、よもやここにツカサやラングがいるとは、欠片があるとは考えていないはずだ」
ここは命の女神が理の女神から奪い取った世界だ。自分の手元にいるとは思わないだろうと裏をかいているのか。それはそうとしてひとつ聞いておきたかった。
「もしかして、これも、そんなに時間、ない?」
「ない。命の女神がこの世界へ視線を向ける前に、なさねばならぬ。新しい命の女神が生まれる前に見つかった場合は、全面戦争を覚悟しなくてはならない。以前にも言ったが、死なばもろとも。この世界は最後の砦だ」
「おい、そういうの早く言えって誰も言わなかったのかよ?」
シュンがげんなりした顔で言い、ツカサはそっと目を逸らした。世界の時の話など初めて知った事実なのだ、言うも何もなかった。しかしシュンの言葉はもっともだ、早く知りたい事実だった。そうした視線を向ければ時の死神は少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。
「冒険を急かすような真似はしたくなかった」
ツカサがシュンと冒険がしたいと言ったことを最大限考慮したということか。責任を負わされたのかとツカサが表情を曇らせれば、時の死神は慌てた声で違う、と言った。
「すまない、言い方が悪かったようだな。さすがに、時間に余裕がなくなれば言うつもりであった。今は切迫した状況ではない、そこは安心しなさい。ただ、人の選んだ道を、見ていたかった、私の我儘だ」
何かあれば力を貸す気でいるさ、と時の死神は続け、ツカサはホッと息をついた。
「それで、時の死神様、どうすればよろしいので?」
理の女神を取り戻したい牡鹿の容赦のない切り出しにホムロルルが翼を鳴らした。
「トルトンテ、お前なぁ、ちったぁ空気読んどけ。この世界のためにいろいろやってくれてんだぞ?」
「トルトンテはお嬢様にお会いしたいのです」
ふん、と牡鹿の尊大な鼻息に小さく笑った。ラングはシールドを揺らして言った。
『今は余裕があっても状況は刻一刻と変わる。早々に対応すべきなのは同意だ』
「そうだね、ええと、じゃあ、どうすれば?」
皆から視線を受けた時の死神はそっとテーブルの上に手を差し出した。真っ白な光が時の死神を包み、そしてそれは花びらへと変わり、時の死神の手の中に舞い降りた。百合のような白い花びらが一枚だけだ。
「私が持っていた命の女神の欠片だ。ツカサ、こちらへ」
「はい」
ラングが持っていたもの、ショウリが持っていたもの、トルクィーロが持っていたものをツカサは自身のうちに抱えている。時の死神の手招きに応じて立ち上がり、その前に立った。胸板へ置かれた時の死神の手が輝き、ツカサは自身の中にあった何かが引っ張られる感覚を覚えた。ゆっくりと離れていく手のひらには部屋中を照らすほどの光が集まっており、思わず顔を背け、目を閉じた。
僅かな時間、瞼の向こうが真っ赤だった。手で遮っても眩しくてたまらない、そんな光が静かに消えていき、ツカサは目を開いた。
「ようやく、集まった」
時の死神はそこにあるものを丁重に扱っていた。真っ白に輝く純真無垢な花弁が四枚の一輪の花。理の女神の部屋の中も淡く輝く壁のおかげで明るいが、そこだけまるで違う空間のように光が包んでいた。
「で、この、花をどう?」
ソワソワとした様子でシュンが問い、時の死神はゆっくりと立ち上がると天蓋付きのベッドへと近寄り、そっとそれを置いた。固唾を呑んで見守る。変化はない。ツカサはそっと覗き込むようにしながら尋ねた。
「時の死神、どうしたの?」
「すまないが私もこの先を知らないのだ」
「え!? あんなに知ってます感出してたのにかよ!?」
「欠片を集める方法はわかるだけだ。それをこうしてひとつにすることもできる。だが、どうすれば神が生まれるのかなど、わかるはずもない。私の権能の外だ」
困惑して顔を見合せ、各々がどうにかしなくてはという気持ちだけで声を出した。
「ファイアドラゴンの血につけてみる? かけてみる?」
「というかこれ花だろ、神ならお前みたいに肉体が必要なんじゃないのか?」
「あんだけ偉そうなこと言っといてこれかよ! 笑えねぇよ!」
「シュン、責める暇があれば考えて」
なんだよ、そうでしょ、そんなこと言ってたって解決にはならないし、偉そうに言うな、いいからやめろ、そんなことしてる場合じゃない。最終的にアルが間に入って二人を引き剥がし、青年二人は睨み合った。ホムロルルと牡鹿は大きな力だからか、本能的に何かを感じるのか、テーブルから動かなかった。
『なぜ花になった?』
喧々諤々しているところにラングの素朴な疑問を呈する声が差し込まれた。ツカサたちの喧騒に耳を押さえていた時の死神は首を振った。
「わからない。こうするのだ、という本能的なものでひとつにしたら、花となったのだ」
『命の女神は花なのか?』
「いや、私のような人型だ。今の命の女神は、と付け加えるがね」
ふむ、とラングは腕を組み、顎を撫でた。それから、ツカサを振り返った。
『崖の街で得た天井画を』
理由を問う前にツカサは手記を取り出し、開いた。それを皆から覗き込まれ、ツカサはぎゅうっと狭く感じた。ラングはツカサの書き写した天井画の大きな人の目元を指差した。
『涙の先が見えない』
ツカサは天井画そのものを思い出した。女神の目元から零れた白い涙は、その雫が中央へ向かって一筋落ちていて、黒く塗りつぶされていた。
『これが気になるんだね?』
『壁画というものは並べない限り、描ききれないことがある。あの天井画は一連の物語を重ねていっていた』
ツカサの脳裏にはエジプトの壁画が浮かんだ。テレビで見たくらいだが、あれは横に縦に、ファラオの棺の周りに壁一面を使って描かれていたように思う。ラングは考えごとをしながら言った。
『もしあの天井画が最後を描けていないのならば、ひとつ解釈がある』
『どんな解釈? 聞かせて』
ツカサはごくりと喉を鳴らし、尋ねた。ラングはシールドをツカサへ向けた。
『ツカサ、あの天井画は創世神話だと言っていたな。ドルワフロでお前が夢うつつに話していたのも、これだったと理解している』
『あぁ、うん、あったね』
アルと再会し、キスクの聞いた声について話し、そしてツカサが自身の精神世界で時の死神から聞いた話だ。それをぶつぶつと口に出して情報共有できていたので、世界の成り立ちの話の際、ラングの機転で一度は見せた天井画だったことを思い出した。起こすためとはいえ思いきり叩かれて痛かったことも頬に思い起こされた。
『世界が狂うまでは描かれていて、その先が描かれていない』
『そこで終わりだからだと思ってた。ラングはどう考えてるの?』
『私には馴染みのない話だから思いつきだ。だが、偏屈な学者曰く、終わりがあるのならば、はじまり、新生の方法もどこかに描かれるものだそうだ』
ラングが自身のポシェットからごそりと本を取り出してツカサへ差し出してきた。【花の都、ファシェアモェル】、見たことのあるタイトルだ。あれは、そう、エフェールム邸でラダンに取り押さえられ、神託について話した後、僅かばかりの休息を過ごしていた際、【ラング】から見せてもらったものだったはずだ。【ラング】が古語を学んだ際、こうした旅記のような形式ではあるが、そこに古語と解釈が同時に書かれているので学びやすい、といった会話をした記憶がある。
『これ、見たことある。読んだことはないけど。【ラング】が持ってた』
『知り合いの学者が書いたものだ』
関係性について聞きたかったが、その前にラングが切り出した。
『そいつ曰く、人というのは終わりを描く際、はじまりも残すものらしい。はじまりがあればこそ終わりがあり、だからこそ、終わりがあればこそ、はじまりもある、と』
『あぁ、なるほど、だからラングは天井画に違和感があったんだね。最後、中央が全部真っ黒に染まってたから』
こくりと素直に頷く黒いシールドに微笑んでしまった。【花の都、ファシェアモェル】は再びラングのポシェットにしまわれたが、この歳の時から持っていたということは、偏屈な学者は相当古い友人なのかもしれない。余裕があれば聞こうと思った。
さて、では、はじまりが描かれなかった天井画だ。新生、再生、とツカサは口の中で呟いた。何か閃きそうになった。シュンとアルの声がうるさくて、ツカサはちょっと黙って、ときつめに声を掛けた。噛みつこうとするシュンの口をアルが押さえ、ツカサは今思いついたことを零さないように、丁寧に拾い上げた。
あの天井画、大きな人が流した涙、中央に向かって落ちたものが白から黒に塗りつぶされていたことが気になっていた。なぜ泣いたのだろう、とツカサは確かに口にもしたはずだ。シュンの手にあった手記を奪い返し、床に置く。メモをしたこと、全体像を見直し、ツカサは大きな人の部分を指差した。
『時の死神の話もあって、俺はこの人を、理の神だと思ってた。この腕の中がここみたいな世界だと思ってた。その世界の成り立ちなんだって、だから創世神話って言った』
続きを促すように黒いシールドが揺れた。
『その前提が間違えてたら? この人は世界を見ている理の神じゃなくて、もっと、遠く、全ての理の神が管轄する世界たちを見ている人なら? そういう立ち位置を示すなら?』
全員を見回して尋ねたツカサに、アルは律儀に首を傾げた。
「ええと、どういうことだ? いや、天井画そのものを見てきたのはツカサとラングだけだ、わかった、黙ってる」
ラングに睨まれてアルがきゅっと口を閉じた。
『命の女神が狂うまでの軌跡が描かれた天井画だとしたら、意味合いが変わるんじゃない? そうだよね?』
ツカサの視線は一点を見据えていた。その視線を追って皆が顔を向けた。
『あの聖域、次代の命の女神の欠片が降り注いで、必死に創りあげて、潰れるのを覚悟して声を届けたんだよね。ということは、あの天井画を描いたのは人じゃなくて、君だよね? ……理の女神』
ツカサの問いかけに対し、ぽよん、と黒いスライムボディが揺れていた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。




