4-69:ふたつめの黒い扉
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なんなら精神世界に行ったっていいんだぞ、という気持ちで胸を押さえて数秒、面倒そうに伸びをする気配を感じた。ツカサの全身がふわりと輝きを放ち、その粒子が向かい側へ集まるとセルクスが姿を現した。本当に眠そうで、目元はしょぼしょぼとそれ特有のしわが浮かび、一度は座ったもののゆっくりと体を倒してごろりと寝転がった。
『あぁ、神使いの荒いヒトの子だ……』
掠れた声、眠くてたまらん、と言わんばかりの姿に、問い詰めようとしていた気持ちが萎えていく。時の死神・セルクスの顕現にはさすがにラングとアルも立ち上がり身構えていたので、説明も含め、改めて皆で焚火を囲むことにした。
セルクスは移動も面倒らしく、最終的にアルに担がれて運ばれ、焚火の輪に合流した。背もたれになったのはこのところ仕事ができることをアピールしてくる牡鹿だ。慣れた様子で颯爽と座り、体を支えていた。そういえば、ツカサが黒いスライムボディだった時、牡鹿はいつもそうして時の死神の背もたれになっていた。あれもそう遠くない過去だというのに懐かしい。そうした懐かしい記憶がどんどん増えていく。
ツカサは少しばかり記憶の反芻に目を細め、アルに声を掛けられて戻ってきた。それから、すぐにでも眠ってしまいそうな時の死神に癒しの泉エリアの水を与え、心ばかりの治癒魔法をかけ、起きていてもらうことを頼んだ。仕方なくといった様子で時の死神はぼそぼそと尋ねてきた。
「記憶降ろしといい、定着といい、私はかなり疲れているのだが、何用だね」
回りくどく尋ねるのも時間が掛かるのでざっくりと話した。新しい命の女神を新生させることが、ツカサにとっての不利にならないかをシュンが心配してくれていること。それを時の死神に問い質すために呼びつけたこと。ふむ、とひとつ思案の音を置いてから時の死神は欠伸をした。
「安心したまえ、ヒトの子が神の親になどなれるわけがない。イーグリステリアを忘れたかね、あれが神を産み落とすことができたのは、半神とはいえ神であったからだ。その半神の力さえも注ぎ込んだからなのだ。そして、迷宮という揺り籠が利用できたからこそだ。そこまで成っていなければ、条件が揃っていなければ、あのような力技もできなかった」
しかし、できてしまったのだ。時の死神は再び欠伸をして涙を拭った。アルが珍しく手を叩いた。
「そうか、今の状況ってイーグリステリアの時とちょっと似てるんだな? 神の魂がある分、あの時よりも条件はいいけど、神になれるものがいて、血があって、それを生みだせる場所がある」
「そのとおり、珍しくひらめいたではないか」
わざわざ言わなくてもいいだろうに時の死神は気のない拍手を送り、アルはドヤ顔で胸を張った。
確かに、時の死神とアルの言うとおりだろう。四分割されてはいても神の魂があり、迷宮という揺り籠でそれを再構築。その身にファイアドラゴンの血を与えることで【今の命の女神】とは違う構成になるはずだ。
「強いて訂正をするのならば、生みだすのではなく、元々あったものを戻すだけだ。だからこそ親にはならない」
「それはよかった。たださ、それを、じゃあ、どうやって元に戻す、新生させるのかがわからないんだよね」
ジグソーパズルのように欠片をはめ込み、次にファイアドラゴンの血を注ぎ、などと手順があるわけではない。ツカサにしてみれば失敗の許されない錬金術のようなものに思えていた。そういう話をすれば、時の死神はふぅむと考え込み、じっと目を瞑っていた。そのまま眠るのではないかと思い、ツカサがその肩を揺らせば、起きてる、と返ってきた。
「少なくとも迷宮、ダンジョン内でなければ手を貸してやることもできないのだ。ここはまだ、見つかる可能性があるのでね」
「やっぱり、理の女神の部屋に行った方がいい? それって底じゃない? 大丈夫?」
ツカサが心配そうにシュンを振り返れば、何かに耳を傾けているシュンの姿があった。ショウリが内側にいるポソミタキと会話しているかのような姿に見えて、少しだけ息を吸って、ツカサは自分を収めた。シュンは傾けていた顔を上げ、理の女神の声を伝えた。
「体を置いてある世界の蓋と、自分の部屋は近いけど場所が違うってよ」
「では、まずは理の女神の部屋を目指しなさい。辿り着いたら起こしなさい。ではな」
時の死神は端的に言い、ふあ、と欠伸をして光の粒子になると再びツカサの胸へと吸い込まれていった。一方的に会話を切り上げられ、ラング以外で苦笑を零した。
「話すのも大変な状態みたい」
「みたいだな」
「じゃあ、とりあえず、あれが落ち着くまで待機?」
シュンが親指で指した先でなりそこなった巨人たちが泡になり還っていく。その姿にツカサは頷き、皆で同意を示した。それが落ち着くまで三日間滞在することになったのは予想外だったが、その分会話に時間を使うことができた。
ツカサが魔法で風呂を創り出し、体を拭うだけではない裸の付き合いだってした。温泉や銭湯に慣れていないシュンは最初は気まずそうだったが、アルとはしゃぐのは楽しそうだった。ラングが一人で入っていることに揶揄いはしても見には行かないでいたあたり、見に行けばどうなるかよくわかっているらしかった。触らぬ神に祟りなし、などと日本語で言っていたので対応としては正しいとツカサは笑った。
空間収納から食材を取り出して料理を作ったり、クッキーなどの甘いものを紅茶とともに楽しむ贅沢をしたり、アルが久々に手合わせに付き合ってくれて槍で叩きのめされたり、シュンと魔法の使い方について取り留めもなく話したり、貴重な時間だった。
その時間でもラングは一歩引いたところで三人を眺めており、その隣に牡鹿が控えていた。大虎と中央部を回ったこと、先の見えない崖を駆け下りたこと、それらの時間があってこそ牡鹿に背を預けられるようになったようだった。牡鹿とラングは尊大な態度でこちらを見ていて、アルがそれを揶揄い、矢を向けられたりのハプニングはあった。それでも、概ね楽しい時間を過ごせたように思う。
四日目、ついに氷の刃の風魔法は泡をつくりださなくなった。つまり、通れるようになった。
食事をしっかりと取り、小休憩。柔軟体操をしてこれから動くぞと体に教えながら準備をした。シュンへ魔力を渡し、ツカサはオルワートのダンジョンで手に入れて、空間収納の底にしまいこんでいた水の杖を取り出し、シュンに差し出した。
「俺、素手派なんだけど」
「素手でいいよ。この杖には魔力を込めておくから、俺が間に合わない時とか、必要なら使って」
ロナに渡した癒しの杖のように、水の杖にも魔力を込めておく。この杖は【鑑定眼】で見てみると水を出すだけらしいので、背後から水刃を撃たれることもないだろうという予想があってのことだ。少なくともアルがいて、シュンの時間をツカサが握り、その行動を理の女神が制御できる今、それは余計な心配かもしれない。とはいえ、念には念をだ。
シュンは持ち慣れない杖に眉を顰めながら、そこにある魔力に納得し、ちょうどいい枝を拾った子供のように少しの間振り回していた。
ギュッと革を引き締める音で皆がラングを振り返った。
『底の方には落ちたからな、ここからはそう掛からないだろう。案内を頼む』
シュンが頷き、あの横穴、とひとつを指差した。陣形は元通り、ラング、ツカサ、シュン、アルの順でダンジョンへ戻った。
ラングの予想は正しく、四時間ほど道案内に従って歩いた先で初めて扉が現れた。これは双子の守っていた扉と同じコングマ鉱石特別製、非常に重い、魔法耐性あり、と表記されていた。
「ここが理の女神の部屋?」
「らしい」
「この扉、どうやって開くよ?」
アルの苦虫を嚙み潰したような顔にツカサはきょとんとしてしまった。
「オルファネウルさんでひらけないの?」
「……ツカサが残った時に向こう側から試したんだけどな。たぶん、今の俺じゃこれはひらけない」
しんと沈黙が下りた。何かあれば道をひらけるその神器の在り様は、いざとなれば頼れる存在になっていた。オルファネウルを使いこなしているアルのことだ、まさかひらけないものがあるとは思わなかった。シィィ、と何か話しているようだったが、マール・ネルのいないツカサにはわからない。アルは少し悔しそうな顔をしてキュッと唇を結び、何一つ言葉にはしなかった。何か話しにくいことだったのだろうか。助力を得られないことだけは理解し、ツカサは黒い扉を振り返った。
「どうしよう、ここまで来たけど、上り直して双子を連れてくるしかない?」
「まぁ待てって」
シュンが自信満々に一歩前に出た。にやりと口元が笑っているのが不穏でツカサが眉を顰めれば、水の杖を手にしたまま肩を竦め、シュンが扉に手を置いた。
「俺に体を貸してる奴が誰かって話で」
『おい』
「扉を開け……なんだよ?」
『その扉が開かなかった間、そこにあったものはどうなっていたのか、忘れたのか』
え、と困惑したシュンの声は、重い扉が開いていく錆びた音で掻き消された。ツカサは魔法障壁を展開し通路全体に蓋を、アルがシュンの腕を掴んで隊列に引き戻したと同時、ラングが前に出て魔法障壁の外へ双剣を突き出した。
ゾンビ映画で見たことのある展開だった。理の女神がそこで強い命になりますように、と禁忌を冒した結果が詰まっていた。あの赤子だって冒涜的であったが、飛び出してきたものも恐怖でしかなかった。ぐっちゃりとしたひき肉のようなぶよぶよしたのものが、にゅるん、ぶるん、と扉から溢れてきたのだ。鉄さびの臭い、赤と白と黒と時々混じる金の糸、髪だろうか。ぽこん、ぽこん、と泡のように浮かび上がる青い眼玉。言い知れない不快感が首筋から耳の後ろまで走る粘着音、ツカサはラングの隣で風魔法を放った。
「おぇ、えっ」
人の体すらつくりあげられていないグロテスクななりそこないにシュンが吐いた。アルと二人で戦っていた時は必死でそれどころではなかったが、今、ツカサとラングが前に出て守られている時にそれをまじまじと見てしまい、ダメだったらしい。
その背中をアルが摩り、いい、いい、吐け、といつだったか自分がエフェールム邸で【ラング】に声を掛けられたようにしていた。ツカサだって吐き気を催しそうになり薄目で見ている光景だ、魔法で片づけたり、そもそも炎魔法で焼いたりしていれば見慣れないだろう、そうもなる。移動前に食べていたものはすっかり消化されていたのか、胃液を吐くだけで済んだようだが、その方が体には辛い。ツカサは氷の刃の風魔法を設置するとはちみつミントの瓶を取り出し、コップに注いだ。そこに癒しの泉エリアの水を入れて混ぜて差し出せば、シュンは涙目で顔を上げた。
「口直し。特別な時用なんだけど、何か入れて吐いた方がいいよ」
「は、吐かせんな、……がと」
シュンは少しだけはちみつミントを口に含み、その甘さとミントの清涼感に少し息が落ち着いた。
黒い扉の奥に入れたのは、それから二時間後だった。




