4-71:記憶が辿りつかせる
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「お、俺の意思じゃないぞ。俺は何も悪いことは考えてないっ」
スライムボディになってしまっていることに困惑はあれど、シュンは冷静に糸くずの腕でバツを作った。その腕がぐいっと戻されてツカサへ伸ばされた。そっと拾い上げる間もシュンは俺じゃない、と言い続けていた。
「わかってるよ、理の女神だよね。シュン、ちょっと静かにしててもらえる? シュンが喋ってると、たぶん理の女神が話せない」
何か文句を言おうと口を開いた気配はあったが、シュンはそのまま唇を閉じてくれた。ぷるん、と黒いスライムが震え、主導権が理の女神へ移ったのがわかった。牡鹿が素早く近寄り、黒いスライムを持つツカサの腰へ体をすり寄せた。ツカサがスライムを寄せてやれば糸くずの腕が角のないところを撫で、牡鹿は嬉しそうに部屋中を飛び回った。それを眺めながら理の女神は呟いた。
「あんまり、詳しくは話せないの」
「制約に触れるんだね。話せることだけでいいよ」
ぽよん、と頷き、理の女神は声を出した。
曰く、命の女神に口の中へ様々なものを注ぎ込まれた際、そこに命の女神の欠片もあったため、その軌跡も少しだけ見たらしい。それがあの天井画だという。世界ひとつを描いたものではなく、予想通り世界たちを覗き込んだ女神の視点だった。
「たくさんの世界があって、たくさんの世界に命が満ちて輝いて、でも、人の想いや感情で狂っていく、それはもう、時の死神様から聞いたでしょ? あれは、その先の、今の命の女神」
「描いたのはそこまで、なんだよね」
「そう。真っ黒に染めて、そこから先は描けなかった」
聖域を創りあげ、声を上げ、力が足りなかったのか腕を上げ続けられなかったのか、もしくは絵の描き方を知らず、とにかく見えたものを描いたがために、色を重ねられなかったか。何かしらの理由があったのだろう。理の女神はじっと沈黙し、床に降ろすことを求めてきた。
ツカサが女神を床に降ろせば、ぽんとコミカルな音を立ててシュンに戻った。シュンは自身の手のひらを確認し、それからまた頭を傾け、声を聞いているようだった。顔を上げたシュンの表情は、あの戦いの終盤、覚悟を決めた時と同じ顔だった。
「座ろうぜ、俺が話す」
全員が席に着き、ツカサは水か何かを用意するか尋ねた。シュンはそれに頷き、癒しの泉エリアの水が配られるのを待った。皆が少しだけ喉を潤してからシュンが口を開いた。
「俺の口からだったら、制約を受けないって言うからよ、というか、ちょっと疲れてるみてぇだし、代わりに話すわ」
時の死神がその体にヴァンの記憶を降ろした理由と同じだ。ツカサは相槌の代わりに頷きを返した。
「ツカサはパンドラの箱って知ってるよな?」
「えっと、確か、悪いものとか辛いものとか、そういうものが全部収まってる箱で、最後に残ったのは希望とか、そういう話の」
「そう、で、そのパンドラの箱に残った希望が、あの花なんだと」
どういうことだ。ツカサが首を傾げる以上に、たとえ話がわからないアルが深く首を傾げていた。ラングはじっと腕を組み沈黙していた。
「アルとそいつにわかりやすいように説明するとさ、パンドラの箱っつーのは俺らの故郷の神話のひとつで、この世のあらゆる災厄とか不幸を箱に詰めて、封じて、女に渡してあったんだ。絶対に開くなって言われてた女が、好奇心で開いて、世界に不幸が蔓延しました、でも最後に希望が残っていました、って話」
「管理人の選定がまずかったんじゃないか?」
「知らねぇよ、単純に、この世界にどうして不幸があるのか、ってことの、ストーリー仕立ての理由じゃねぇの? そこはいいんだよ、でだ、何が言いたいかってーと、そのパンドラの箱が命の女神そのものだったってこと」
アルは逆側に首を傾げた。ラングがまとめた。
『つまり、新しい命の女神の欠片は、その実、今の命の女神に残っていた希望、ひとかけらの良心だった、ということか?』
「お、物分かりいいじゃん」
これには時の死神も驚いていた。全ての理の神や命の女神の生まれを知らないのだから、その仕組みも知らなかったのだろう。時の死神がやや食い気味にテーブルに腕をついた。
「どういうことだ。その話では、あの花を新しい命の女神として顕現させたところで、生まれるのは同じ神ではないのか……!」
「それは、俺も知らねぇけど」
『なるほど、それならば私には辻褄が合う』
ツカサはラングの声に、シュンと議論を続けようとした時の死神を手で制した。こういう時のラングの【辻褄が合う】とか【筋が通る】は、アルの【俺にはよくわからないけど】で始まる言葉とか【そもそもこうじゃないのか?】と同様に、重要だ。続けて、とツカサが小さく首を傾げて促せば、ラングは腕を解いた。
『現女神が後任を砕いたと聞いた時、違和感があった』
『死ぬのが嫌だから、砕いたのだろう。何が違和感なのかね?』
『思い返し、やはりそれを利用しようとしたと聞いた。ならばなぜ最初からそうしなかったのかと思ったんだ』
だから、と話そうとした時の死神の口をツカサがパシリと押さえた。後で考えれば随分不敬だったが、その時は考えていられなかった。時の死神はその手を振り払いはしたが、黙ってくれた。雑音は要らない。ツカサはラングの言葉が聞きたかった。
『自身の中に残った最後のきれいな部分だったから、直視できなかったのだろうな』
すとん、とツカサの中で何かが落ちてきて、パズルがはまっていく。
ラングは言った、神のことはわからないと。だが、それが人の想いに触れて人に近しい感情を持ったのならば、ラングの分析の土俵に落ちてくるのだ。
命の女神・スフィアキリスは、自身から零れ落ちたものがとても美しく、眩く、穢れがなく、その光で自身の穢れに気づいてしまったのかもしれない。何か耐えようのない恥のようなものを感じたのかもしれないし、自身と対極にあった存在を目にして怒りを抱いたのかもしれない。そうして、思わず、その手で砕いた。
『だが、そのあとに、それを使えばまた元の自分に戻れると思い直して探すのならば、私にはわかりやすい理由になる』
「なるほど、既に人と同じ領域に感情が深く落ちていればこそ、か」
時の死神も納得した様子で頷き、次はツカサが腕を組んだ。
「じゃあ、あの花がその、命の女神の一部だったとして、それを元に戻して大丈夫なのかな。やり方もわからないままだよ」
これは話がどう進もうと不安には変わらないところだ。じっとラングから視線を注がれていた。
『お前、あの【変換】という力、どの程度使えるものなんだ』
『どの程度って、説明が難しいんだよね。何をすればいいって考えてるの?』
『あの花を、現女神とは別の存在に変えてしまうのはどうだ』
まったく新しい存在に【変換】するのはどうだ、ということか。ツカサは程度がわからずベッドに近づき、そうっと花を手に取ってみた。不思議だ、ツカサの中にあった時には大きな力だったというのに、今は握り潰せばそれだけで終わる、ただの花のように思えた。
ツカサはそこに、人の選択に任せる、という覚悟のようなものを感じた。これを握り潰せば、命の女神・スフィアキリスは自身をもとの穢れなき姿に戻すことはできず、狂い、朽ちて、命を道連れにするだろう。滅亡を知らぬ者たちは、最期までそれを知らず、ただ死に、滅んでいく。
多くの人々の顔がツカサの脳裏に浮かんだ。そうはしたくない。だが、自身が人を捨てることもしたくはない。そうした天秤においても、今のこの花の状態ならば。
「できる、かも」
「おい、ツカサ、やめとけよ? 神の欠片を変えるなんて人間のできることじゃないんだぞ!」
「いや、説明が難しいんだけど、これ、ただの花くらいの負担しかないと思う。たとえば、白い花を赤い花に変えるとか、その程度の負担」
アルは上げていた腰を下ろし、だからって、と拳を握り締めた。ツカサは手の中で花をくるりと回した。エリクシルの花のように指先で摘まんでいても茎が潰れる気配もなく、いつまでも瑞々しい。けれど、だからこそ静かな眼差しに見据えられているような、そんな気配がした。
「この花、意思はあるんだ」
ザッと皆から視線を受け、次いで全員が駆け寄ってきた。それぞれの手を渡り、再びツカサの手に戻って来た時、全員から心配そうな視線を注がれていた。黒いシールドは傾げられてそれが示された。時の死神がハッと息を吸った。
「そうか、ツカサ、君は全ての理の神の眼を持つからこそ、少しだけ理の奥深くに居て、さらにヒトの理の外なのだったな!」
「人間だよ! というかやっぱり、これそうなの? ヴァンの言うとおりなんだ……」
「ははは、彼はアレを殴ったことがあるからなぁ。いやいや、なるほど、私が君の精神世界で体を休めたように、その花もまた、君から全ての理の神の気配を感じるからこそ、何かの意思を伝えようとするのだろう。そして、ラングの言うとおり、【変える】ことで現女神との繋がりを断ってほしいのかもしれん。……自身が今の状況を起こしたとわかっているのだからな」
元が同じであれば、同じ道を行きやすい。それはツカサにも想像ができることだ。変えてもらえるように敢えてただの花として存在しているのならば、次代の命の女神は随分と今世で学びを得たのかもしれない。
しかし、繋がりを断つとは、どうすれば。どうやって違う神として変えればいいのだろう。セシリーという神の娘から力を奪った時は、その力を息などに変えて失わせた。花に対して今の命の女神と違うものに変われ、と【変換】を使って、じゃあそれをどう花から神に変えるのかというイメージが上手く湧かなかった。
ふと兄の声が聞こえた。
――三峰司。
ツカサはゆっくりと顔を上げた。
――汝へ新生の名を与える。
ザァッと風が流れたような気がした。草にくすぐられるブーツ。あの日、ともに迎えた朝陽。じわじわと太陽が顔を出すにつれ、空に広がる色が変わっていく光景。山々を染める赤はなく、あまりの明るさに尾根が黒く染まっていた。水平に白と黄色の光が走り空にも黄色味がかかって。再び、ザァッと風が吹いてマントがはためいたあの音も。
正面に立っていた人の凛然とした立ち姿。照らされてオレンジに染まる冠雪がまるで王冠のように見えた姿。今も瞼にそれを描くことができる。
名だ。名前だ。
そう、自分でやったじゃないか。冠雪の見える草原で【ラング】から与えられた名前。その名へと自分の名を【変換】した時、確かに新しい人生を得た。三峰司に別れを告げ、ツカサ・アルブランドーとして一歩を踏み出し、この世界で父であった人とは違う道を行くことを決めた。あれは確かに決別であった。
ツカサはゆっくりとラングを見た。
『名前だ、名前を変えよう。今の命の女神の名前じゃなくて、違う名前で新生するんだ』
肯定するようにツカサの手の中で花がゆらりと揺れた。ツカサの名前が変わったことを草原の帰り、エフェールム邸で聞いたアルは、ぴんときたのか特に否定は出なかった。シュンはシュンで、そこに意味があるのだろうと柔軟に受け入れ、けれど首を傾げた。
「じゃあ、なんて名前にすんだよ?」
「それは……ネーミングセンスのいい人に……」
セリーリャの名づけ親であるラングへ視線をやれば、マール・ネルから通訳をしっかりと受けて、ラングは口元を歪ませていた。なぜこちらを見るのだ、とシールドの奥から睨み返された。時の死神をちらりと見れば目を逸らしていた。
「神様、仕事して?」
「名づけは私の仕事ではない。それに、よい手段だとは思うが誰でもできるものではないぞ? 元通りにすることとはまったく意味合いが違う。名づけは、主や、それこそ親になることだ。制約のある私では逆に、担えない」
シュンの懸念していた事態だ。確かに、先ほどラングがセリーリャにとってそうであると考えたとおり、名づけ親というのは大きな存在だろう。ツカサはアルと顔を見合わせた。苦笑を滲ませた精悍な顔の槍使いが胸を叩いた。
「やり方を教えてくれれば、名づけの宣言は俺がやる。ツカサやラングにこれは背負わせられないだろ」
「でも」
「おい、だったら俺でいいだろ。どうせ記憶なんだし、消えるだけだからよ」
シュンが横から口を出した。確かに今のシュンは記憶だ。そこに魂があるわけではない。名付けて、親だなんだと言われてもタイムリミットがくれば泡となって消える、泡沫のひととき。申し訳ないが任せるしかないように思えた。
「でも、シュンってネーミングセンスはないよね。【レッド・スコーピオン】」
「やめろって! でもかっけぇだろ!? なんでその名前にしたのかも思い出せねぇけど!」
「ツカサもラングに散々却下されたって聞いたけどな?」
「やめてやめて、わかった! 不毛な議論はよそう!」
「始めたのはお前だろ!」
くだらないことを叫んで少しだけ気がまぎれた。真面目に名前を考えよう。
命の女神・スフィアキリスの名前から取るのはありだろう。しかし、その片鱗を残していいのかという不安もある。名前を呼ぶわけにはいかないのでテーブルに紙と花を置き、それぞれにペンを持たせた。時の死神は参加せず、テーブルを覗き込むように立ち上がった。まるで試験監督官のようにゆっくりと回られるので気が散り、離れたところに椅子を置いて座らせておいた。なんたる扱いだ、と文句を言っていたが、翼を撫でていいぜ、トルトンテのおなかに寄り掛かりますか、とホムロルルと牡鹿が接待を引き受けてくれた。
多くの名前が書き連ねられていった。命、という意味合いからミコト、ライフ、プシュケーなどの言葉。知っている神話に少し捻りを加えて、アルがさらにそれを捻って、など、出せることは出せるが、収まりのいいものがない。
そうして一時間も喧々諤々していれば、ここまで沈黙を守っていたラングが唇を開いた。
『名づけというのは、どういう人物であってほしいか、どう生きてほしいか、という願いも込めてつけられるものだろう。音の良さだけで考えるものじゃない』
ペンを持って書き込んで意見を言っていた三人は、名づけの定義というものを提示した男に眉を顰めた。今まで一言も口を出さなかったくせに、意見だけはするのか、という視線だ。ラングは深い溜息をついてペンを持った。
『命の女神がどういう神であるか、正しくはわからない。だが、もし、そこにひとかけらの願いを入れられるのならば、私はこう名づけると思う』
ラングの故郷の文字で書かれたその文字に、ツカサは微笑を浮かべた。
『ラングは命のことをそうやって考えるんだね』
『一案だ』
『すごくいいと思う。ラングらしいというか、なんだろう、うん、すごくいい』
「どういう意味なんだ? それ」
アルに問われ、ツカサはリガーヴァルの文字で書き直した。
命を見守る心強き者。
聞けば、ラングの故郷の古語で読むらしい。命の女神・スフィアキリスがヒトの想いゆえに狂い、愛しさゆえに手を出して、原因がどちらにあったとしても結局全てがおかしくなってしまっている今、ラングが女神に求めるひとつの願いは、ただ【見守ること】だけなのだ。
ただひとつの願いを込めてつけるのだとすれば、このメンバーの中で出されたものの中で、最高の名前ではないだろうか。記憶にある名前を少し変えて、そこから持ってきて、と考えていたツカサも、シュンも、そもそもアイデアが出なかったアルも少しだけ己を恥じて各々頬を、項を掻いた。時の死神は決まった名前に頷いた。
「よい名だ。フレン・シェ・ルタルニア。加えて、これは素晴らしいことに造語だな。単語を入れ替えてこそ読めるように、などと小技がきいている。そうそう同じ言葉を口にする者もおるまい」
「そうなの? さすがラング」
ツカサは自分のことのように胸を張り、強く頷いた。花もリンと音を立ててその名がよいと強請ったように見えた。
さて、では名づけとファイアドラゴンの血を利用した再構築の問題だ。シュンにはツカサが名を変えた時の文言をメモした紙を渡した。読み上げればいいと言ったが、こういうのは格好をつけたい、と今は暗記のためにぶつぶつ言っている。
花にどうすればいいかを一応尋ねてみたが返事はなく、アルが焦れてファイアドラゴンの血の入った革袋に突っ込めと言った。成人男性の両手で持つほどのたっぷりとした革袋、口の紐を開ければむわりと熱っぽい血の臭いが溢れ、息が詰まった。ドロップしてから一度も検分していなかったので知らなかったが、ファイアドラゴンの血というくらいだ、どうも熱を持っていたらしい。それを時間停止機能のある空間収納に入れておいたのでドロップしたて、ファイアドラゴンの血は新鮮なままなのだ。花が嫌がる気配を感じ、鮮度を落とさないために空間収納へ戻した。
「いっそさ、ドラゴンシリーズ全部置いてみる?」
ツカサはアイスドラゴン、ファイアドラゴン、お裾分けで貰ったサンダードラゴンの鱗も持っている。血を与えるのならば素材もと、やけっぱちの考えだった。アルも考え疲れ、いいんじゃね、と投げてきた。時の死神は人のやることに口は出さないと逃げた。いや、その立ち位置からすれば口を出せないのはそうであろうが、正直ずるいと思った。
とにかく、それとなく祭壇めいたものを作った。命の女神の希望である花を中心に、ファイアドラゴンの血の入った革袋、鱗が三種類、皿に載せてテーブルに置いた。
名づけをするシュンにはサンダードラゴンの鱗から作ったレターオープナーを渡した。【ラング】がツカサにやったように、双剣を肩に置いての名づけは少々怖い。しかし、水の杖でやるには格好がつかないだろうと差し出せば、シュンはその綺麗なレターオープナーに目を輝かせていた。
「神子だった時にいろいろ見てきたけど、これはすげぇな」
「でしょ、キスクたちが作ってくれたんだ。貸してあげる」
「そりゃ、どうも」
シュンは皮肉めいた苦笑を浮かべ、それを手にテーブルに向き直った。
「じゃ、始めるぜ」
皆で頷く。朝陽はない。空もない。時間すら中途半端なダンジョンの中、命の女神の新生が始まろうとしていた。
少々リアルが立て込んでおり、更新ペースがのんびりになっていて申し訳ございません。
ゆっくりとお待ちいただけますように……!




