4-52:あたたかい食事
いつもご覧いただきありがとうございます。
じわり、じわりと誰もが心の傷を癒し、そのために時間を費やしながら、今日を、明日を迎えていた。
刻一刻と近づく終わり。世界の終焉。それを知らぬ人々は新しい場所で、もしかしたら懐かしい故郷で、明日に希望を抱いて新生活を始めていた。
テルマは本格的に療養に入り、布団から出ない日もあるらしい。テルタやニテロが毎日代わる代わる顔を出し、そっと横に居続けた。仕方ないのである、とユキヒョウがその毛皮を貸しに行けばもふもふには癒されるらしくしっかりと捕まえられた、とキスクにぼやいてブラッシングを強請っていた。キスクは練習がてらの魔法を見せて気分転換になればいいと時々顔を出し、布団という闇の中から覗く双眸に少し怖かったと言った。
そうして柔らかい気遣いを受けてテルマが部屋を出てきたのは十日後のことだった。ぼさぼさの髪、腫れた目元、べたべたの肌、結果肌荒れをして誰にも見られたくない、とテルタに言い、苦笑を伴ってそれがテルタから皆に伝えられた。ここは同性のルシリュが豪快に笑いながら引き受けてくれた。
「クィースク、お風呂を作れたよねェ、ちょっと用意してやってくれないかィ?」
キスクは風呂だけを作り上げて魔力が切れてしまったので、囲いはツカサが作った。石鹸も提供した。見張りは守護騎士と大虎、魔力切れでバテたキスクを支えるユキヒョウが担ってくれ、テルマはルシリュに担ぎ上げられて風呂に連行された。
風呂上がりに美味しいものでも、とツカサが野営よろしく焚火を起こして食事を作っていれば、ルシリュとテルマの会話が言葉の意味はわからずとも、ひそひそと流れていった。それは少しずつ元気な色に変わっていき、最後は少し笑い声も聞こえてきて、ツカサはホッとした。やはり女性は笑っている方がいい。
さっぱりとしたルシリュと憔悴し、やや瘦せたテルマは湯上りのホカホカで暑そうだった。ツカサが魔法障壁を置いているとはいえ湯冷めして風邪を引いては困る。一応許可を得た上で風魔法で髪を乾かせば、便利だと感心されてしまった。
そこに、おなか空いてない? と声を掛ければほぼ食事もとらずにいたテルマのおなかが寂しそうな音を立てた。岩に毛皮を敷いた椅子に促し、ツカサが鍋の中をよそい、その場にいる全員に差し出した。いただくわけには、と一度固辞したグルディオとは違い、素早く手を出して受け取ったフィエルタという対比がとてもらしかった。
「いいにおい……」
テルマの声は少しだけ掠れていた。泣いて、泣いて、誰かと言葉を交わすこともなく過ごした十日間は喋るということを不慣れにしていたらしい。そこへルシリュと語らったことで掠れてしまったようだった。ツカサはポットを焚火に埋めてお湯を用意し、ハーブティーを淹れることにした。魔法でパッとできることでもあるのだが、こういう時、こうした時間も大事なのだとツカサはもう知っている。
テルマは木の器の中の温かいものを暫く眺め、それからスプーンを差し込み、小さく息を吹きかけて食べた。豊穣の剣から出てきた穀物、大麦や米などを選んで鍋に入れ、鶏肉を入れ、塩とミルクで味を調えたミルク粥だ。
とろりとしたものを口に入れると、甘いミルクの香りとしょっぱい塩味、プチプチとした食感と舌先で柔らかく溶けていく穀物の味。じわりと唾液が溢れ、こくりと呑み込めば喉の奥を温めていく。テルマにとっては食べなれない味ではあるが、とてもやさしい食事だった。
「美味しい……」
「よかった、おかわりまだあるからね」
「いやぁ、ツカサ殿は料理上手なのだなァ」
「神子っち、これは美味いぜ」
うむ、とグルディオも人心地がついた様子で頷いていた。テルマはゆっくりと味わっていたものを、徐々に慌てて掻きこむようにして食べ始めた。はぐ、はふ、うぅ、と泣きながら、ず、と鼻を啜りながら。ツカサは沸いた湯をコップに入れ、ハーブティーに氷を入れて火傷をしないようにしてからテルマに差し出した。テルマは少しの間を置いて、膝に器を置き、そっと手を伸ばしてきた。
「こうさ、何か食べてると、生きてるって気がするよね」
ぐす、とテルマはコップを受け取り、逆の手で顔を拭った。
「悲しくても辛くても、おなかだけは空くんだなぁって俺も思ったことがあるんだ。その時にさ、こうして差し出されたご飯がたまらなく美味しくて、あったかくて、救われたことがあるんだよ」
テルマの視線は空っぽになった器に落ちた。それをツカサがそっと引き抜いておかわりをよそい、手に持たせた。
「食べよう、テルマ。ショウリとポソミタキが最期まで君たちのことを守りたいと願いながら、生きて、戦って、得た未来だよ。この糧だってあの二人が手に入れたものなんだ。食べて、眠って、起きて、精一杯、生きなきゃ」
「……うん」
テルマは大きく顔をぬぐい、ばくりとミルク粥を食べた。空腹に三杯もミルク粥を入れたテルマはその夜、腹痛で寝込むことになったが、翌日にはようやく皆の前に顔を出し、警吏を作り上げたいと言い、ルシリュと行動を共にすることになった。
政はロトリリィーノを参謀にキスクが立ち、テルタとニテロが協力する。そうしたことに自分は疎いから、と倒すべきものを失った仲間たちへ存在意義を与えるために、テルマはその道を選んだ。守護騎士たちもたった三人では手が回らずにいたので助かる、とテルマとその部下たちと手を取り合うことを喜んでいた。
ニテロはテルマを心配していたが、もう大丈夫だから、と思春期の妹に手を振り払われていた。
少しずつ世界は生きる者たちの手によって整えられていく。大なり小なり問題は抱えながら、どうにか人々は日常を作り、取り戻していく。
中には絶望の中から立ち上がれない者たちもいて、自ら命を絶つ者も当然、いた。生き残ったというのに、やはり捨てきれない理想と現実のギャップに苦しみ、死を選ぶ者はいた。
キスクの歌った誘いの歌は人心を慰め、命を送るものとして人々の間で広まっていった。そうすると不思議なことに黒い命は人を襲うことなく、じっとそこで迎えを待ってくれていた。それをキスクとともにツカサが迎えに行くこともあった。ユキヒョウが回収するふりをして、ツカサが回収する形ではあったが、神獣という存在もまた人々の救いに繋がったようだった。
やがて死しても誘われると知った人々が死後に安堵を覚え、自死も減少し、ツカサは胸を撫でおろした。
『本来、宗教というのは人々の救いであるべきものだろう』
ツカサとキスクの護衛に、何よりも誘いの剣として、大虎とともについてきてくれていたラングが呟いた。
暗闇の中、星明りを受けて、焚火の明かりが影を伸ばす。そんないつもの野営。キスクにハーブティーを手渡したところだった。通訳を入れようとしたが、キスクがツカサの手に手を重ねて留めた。キスクは受け取ったハーブティーを置いてラングを真っ直ぐに見た。
『誰かが何かの思惑を入れていけば、徐々にその様相を変えていく。時代や情勢を乗り越えられるように、敵をつくり戦うこともあれば、排除することで守ろうとすることもある』
ツカサはごくりと喉を鳴らした。
『上手く使え』
ラングの言葉にツカサは苦笑を浮かべた。そうだ、きれいごとだけで終わらせないのがラングなのだ。ツカサはキスクに通じたかどうかを問おうとして、目が合った。
「大丈夫、覚えた。音だけだけど」
キスクは見事にラングの言葉を繰り返してみせた。その内容について通訳を必要かと問えば、首を振られた。
「あぁ、うん、たぶん、本当は意味を知るべきなんだろうけど、なんだろうな、そのままでいいと思うんだ。俺はほら、歌を歌うだろ? 案外、意味を知らなくても、音にすれば通じる時もあるんだ」
それにさ、とキスクはラングに向かって笑いかけた。
「ラングが俺にそうやって何か伝えようと声をかけてくれることが、うん、うれしいよ、ありがとう」
殺すって言われてたし、とキスクの顔に影が落ち、いったいいつ言われたのかとツカサは首を傾げた。
「とはいえ、ちょっと意味は分かっておいたほうがいいと思う内容だったけどね」
「……俺、何言われたんだ? やっぱり聞いていいか?」
そうまで言われれば気になるらしく、ツカサはキスクに内容を通訳した。それを受けてキスクは笑い、聞いておいてよかった、と言った。なんだかんだ、シュンとの戦いから一か月が経った夜のことだった。
――【9】の守護騎士が双子を伴ってツカサの前に膝をついたのは、そんな夜を過ごして議会場のある建物に戻った時だった。議会場がある程度形になったので、倉庫兼住居を建てる場所を教えてほしい、とポーツィリフに声を掛けられていたツカサの下へやってきたのだ。
麻袋を外した双子は殴られ、痛めつけられて腫れ、歪んでしまった場所もあったが薄っすらとつぶらな瞳が見えていたりと素朴な素顔をしていた。髪色が金髪であったことには少し驚いた。ヒールをかけてやればもう少しだけましになり、痛くないかと問えば大丈夫、とどもった話し方でくすぐったそうに、二人は不器用に笑った。
「【9】の人、双子を守ってくれてたんだってね、ありがとう」
「ルシリュとともに行動しなかったことを、責めないのか」
「それがあなたの選んだ覚悟なんでしょ?」
ツカサが微笑みながら言えば、【9】はゆっくりと膝をついてツカサの手を取った。双子も同じようにたどたどしく膝をつき、うっとりとした顔でツカサを眺めてくる。背後からラングとアルに苦笑交じりに見守られている気配がしてツカサは少し目が泳いだ。対応を見られている気がして背筋が伸びた。
「神子様、あなたを、ご案内したい場所が、あります」
「うん? どこだろう」
「先の見えない崖へ」
地下の黒い扉だとか、そういう場所を指されるかと思っていたのでこれには驚いた。先の見えない崖という音はわかるラングも首を傾げ、アルはそれそのものを見たことはないが、そういう場所があると聞いているので眉をひそめていた。ツカサはそうした仲間たちの反応を見たうえで【9】を振り返った。
「何かあるんだね?」
「先の見えない崖をお見せすれば、あなた様なら」
ぎゅうっと縋るように握られた手がみしりと軋む。痛かったがそれを顔に出さないようにした。代わりにその手を握り返し、ツカサは息を吸った。
「行く手段はあるの? ないなら、土地神に頼まなくちゃ」
「崩れていなければ、上る、場所が」
「あるの? ……そっか」
ツカサはラングとアルを振り返り、そっと上目に尋ねた。アルはオルファネウルを肩越しに見遣り、通訳に難がないことを示してくれた。それなら、安心してこの世界の言葉で話せる。
「先の見えない崖、行ってみたいんだけど、いい?」
「かまわない」
「いいぜ、ツカサ気にしてたもんな」
「オレ様が乗せて運んでやってもいいぜ」
我も運んでやろうぞ、と大虎もまた頷いてくれ、無事に足は確保ができた。先の見えない崖から始まったこの世界の旅、周囲を確認することもそこそこに移動をした場所。いったい、あの上に何があるのか、何があったのか。ツカサはひとつこの世界の謎を知れる気持ちでいた。
「思い立ったが吉日とも言うし、早速行こうか」
「あぁ、うん、先生、こういう時、本当行動が早いよな」
キスクの苦笑交じりの声にその場にいた者たちが笑い、ツカサは頬を掻いて温かい笑いに苦笑を返した。行動方針としては、ポーツィリフたちに倉庫兼住居を建ててほしい場所を教え、その近辺の地盤を土魔法で確保してから先の見えない崖を目指すことになった。
地盤の確保は現場にたどり着けば早々に済んだ。ツカサが魔力を練り上げて、今ある地面から先を埋めながら土魔法を使う。そうすると魔力に補填された大地がメキメキと音を立ててそこにしっかりとした足場を創り出した。
かつてダンジョンの跡地を埋めた時はあまりにも底が深くてできなかった。これは底があるとわかっているからできることであり、ツカサの魔力総量がさらに増えたからできたことだった。ツカサの体に降ろしたシェイの記憶、それが魔力総量を一瞬大きく増やしたのだ。それはすべてがツカサのものにはならなかったが、一部、底上げに繋がった結果だった。
そうして頑丈な足場、家を建てる土台として申し分のない場所を用意した後、黒い命の気配を念入りに探り、ツカサの左頬、ラングの双剣が反応しないことを確認した。ここは安全だと伝え、鍛冶師たちとテルタ、ニテロを残し、早速先の見えない崖を目指した。
【9】と双子は大虎に、ツカサ、ラング、アル、子猫サイズになったユキヒョウを抱いたキスクはホムロルルの大きな背中に。
そこでいったい何を目にするのか、ツカサはラングと崖の街で謎解きをした時の高揚と緊張を覚えていた。ゴルドラル大陸の北側、始まりの洞窟の上。
駆けていく大虎の足が、飛んでいくホムロルルの翼が、残り少ない理の力を得てぐんぐんと進んでいく。世界を置いていくように土地神が駆けていく。いつの間にか夜を迎えて、星が流れて、ツカサはそこに記憶の欠片が流れていくような光景を見ていた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
3巻の書影が待ち遠しいですね。告知として扱える商材がまだ届いておらず、ドキドキしています。
1か月前にはなにか出せたらいいなと思います。
がんばります!




