4-51:終わりはどこにもなく
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床に転がって盛大に泣いて笑ってユキヒョウをもふれば少しは気も晴れる。そうしていればツカサは内側でぐぅっと伸びをする気配を感じて身を起こした。
ふわ、と白い布が胸元から舞い出て、ソファにすとんと腰掛けた。水色の髪、藍色の瞳をゆっくりと覗かせて、セルクスがその身を現した。形を保っていたものがぐんにゃりと脱力していくように、セルクスはソファにだらしなく溶けた。
「あぁ、まったく、無茶なことなどするものではないな」
あの戦いの中で幾度となく同じことを考えたツカサとアルとキスクが苦笑を浮かべた。ぐったりとした【時の死神】はツカサに癒しの泉エリアの水を求め、コップ一杯飲み干してから一同を見渡した。
「あの戦でよくぞ皆生き残ったものだ。正直、ひとり、ふたり、欠けてもおかしくはない戦いだった」
「【時の死神】が力を貸してくれたのも大きかったよ、ありがとう」
「よいのだ。外に出て戦うには私はあまりに弱い。【ラング】を記憶降ろししたことも、シェイも、よい機転だった、ツカサ」
お互いに笑い合った。あの時、ほんのわずかな時間でよくやったと思う。
シュンがキスクを殺しに向かった時、ツカサは突破口が欲しいと胸中で叫んだ。その声に目を覚ました【時の死神】は何を求めるのか、とツカサに問うた。そこへ駆けつけてくれたラングの手を握り返し、ツカサは言ったのだ。
『ラング、この状況をひっくり返す手がある、協力してくれる?』
それに対し、ラングは何をどうするのかなど一切聞かずに頷いてくれた。さすがだと思いながら、ツカサは内側で問う【時の死神】に自身の記憶を拾ってもらったのだ。それは帰る寸前の【ラング】。ツカサの知るもっとも最強な兄の姿。握り締めた手から質のいいグローブに変わり、一段と引き締まった腕に変わり、そしてくすんだ緑のマントは深緑のマントへ、宝玉は二つ、最高の装備を身につけた兄が現れた。
すぅ、と息を吸った【ラング】は目の前のツカサの状態に目を見開いていたようだったが、間髪入れずにツカサは懇願した。
『なんで、どうしてはあとで! アルを、あの人をシュンから助けて! お願い、ラング!』
ツカサが指差した方、倒れ伏すアルと、あの人で指を差された獣に引きずられる青年、その前に立つシュンを見て【ラング】は瞬時に状況を判断、地面を蹴ったのだ。そこから少しだけ意識が戻ったり消えたりしていて、ツカサは全容を知らない。次に目を覚ました時には口の中に変な味が広がっていて、いつの間にか隣にいたアルは悪態を吐いていた。
そうして、状況は一転、皆が攻勢に移ったのだった。
ラングはあの時のことを覚えていないのだという。ツカサがシェイを見たのとはやはり違うというので、その身に持った神の片鱗の差なのだろう。
【時の死神】はあの時、力の受け渡しと記憶の固定にかなりの力を使ったらしく、そのせいで今まで身動きが取れなかったと言った。
「今もまだ十全ではない。いい加減、君たちに押し付けているものを回収したい気持ちもあるのだが」
「激戦だったからね、仕方ないと思う。すごく力を使うことをやってもらった、ってわかるし」
ツカサが素直に労えば、【時の死神】は滲むように微笑んだ。それからゆっくりとその笑みを消した。
「命を歩む旅人よ、これからすべきことはわかるかね」
恐らく、この問いかけをするために【時の死神】は姿を現したのだろう。ツカサはラングとアルを振り返り、頷き合った。
「地下に行くよ。迷宮だった場所に行って、正しく迷宮を取り戻す」
「そうして、どうする?」
「【理の女神】の部屋にいるはずの【成り代わった神】と対峙する」
「よろしい。覚悟は」
「できてる。けど、きちんと友達に別れを告げてから、かな」
ツカサはキスクを振り返り、お互いに泣いたあとの赤い目で笑い合った。【時の死神】はゆっくりと頷くと手を差し出してツカサに掴ませた。そして、日本語で言った。
『ヒトはなぜ、神が手を出さないのかと思うであろう』
それは常々思っている文句だ。アルははっきりと、だから神が嫌いだと言って憚らない。苦笑をもってしてそれに答えれば、【時の死神】はツカサの手を強く握り締めた。
『なぜならば、この事態に陥っているのもまた、ヒトのせいだからだ。今更話す必要もないだろうが、各々、世界の様々な浄化機構を壊したのはヒトなのだ』
『竜を狩って、殺して、失わせた』
『そのとおり。それがなければ、【命の女神】がこうまでも狂うことはなかった。順繰り、権能は移り替わり、命は美しいままだっただろう。けれど、権能を手放せば私もまた寿命を持つヒトのひとつであるからこそ思うのだ』
何を、と小さく首を傾げて問えば、セルクスは微笑んだ。
『ヒトは失ってこそ、大事なものに気づく。未知に惹かれるからこそ暗闇にランタンの明かりを差し込む。怖いからこそ、知ろうともすれば、壊そうともするのだ』
『自分を守る、浄化機構さえ? ……罪深いね』
『ふふ、私は竜狩りなどしたことがなく、その時代を生きたわけではないのでね、想像だ』
握っていた手から力が抜けていく。これはまた眠るだろうな、とツカサはその手を握り続け、微睡む藍色の目を覗き込んだ。優しく微笑まれ、ふぅ、と息をついて【時の死神】は再び光の粒になり、ツカサの胸へと眠りを求めて戻っていった。キラキラとした輝きが消えた後、ツカサは自分の足がそこにあるかどうか、確かめるように立ち上がった。
神がなぜ対処しないのか、なぜヒトにここまで任せるのか。それもまたヒトが起こした事態だからだ、と言われたところで、過去のヒトの所業を今のヒトが背負うというのも重すぎる。
『だから、神様は少しだけ力を貸そうとしたり、中立だって言い張りながらも力を渡してくる、のか』
ツカサの内側に居る者。アルが受け取ってきたもの。そして、ラングというキーパーソン。
神は正しい時間を取り戻したい。なぜなら、既に一度失われた命をそこに存在させること自体が歪みだからだ。
そうした歪みが積み重なっていけば不安定なジェンガのようにぐらぐら揺れ、少しつつけば全てが崩れ去るだろう。そういうのを丁寧に積み上げて見守ってきたのが彼らなのだ。
いっそ、一度全てを終わらせて創りなおそう、と言われていないことが奇跡のように思え、ツカサは自身の胸元を強く掴んだ。その動きがまるで祈りのように思えたのだろう、キスクはゆっくりと膝をついて感謝をと囁いた。
トン、とラングに肩を叩かれ、ツカサは目を開いた。ゆるりとシールドが揺らされ、言外に大丈夫かと問われ、こちらも頷いて返した。ラングの故郷の言語でツカサは言った。
『【時の死神】はもう少し療養が必要みたい。やっぱり、記憶降ろしはかなり厳しい力だったって』
『今日明日にも出発をしよう、という話ではない。キスクの【記憶の家】のことや、倉庫、穀物の配布ややり取りの方法など、決めなければならないことは多い。それに、キスクから聞きたい歌もある、数日あることは幸運だと思えばいい』
ラングとツカサから視線を受けてキスクはおずおずと立ち上がった。
『今後のことをしっかりと決めさせなければ、救った意味がない』
生き残る者がいなければ、守ったところで何も残らない。勝利の先を見据えて動かねば、本当の意味での勝利には繋がらない。
それだって到達すべき終わりではなく、始まりに過ぎない。ひとつ終われば次の課題が、ツカサは少しだけ遠い目をした。
『いつになったらゆっくりできるんだろう……、俺はたっぷりのお湯で体を伸ばしたいよ』
その言いざまがまるでどこかの軍師のようで、ツカサは眉間を揉んだ。
「その言い方、ヴァンみたいだな」
「ちょっと、やめてよ!」
言わないでいいことをアルに言われ、ツカサはそちらを睨みつけた。アルは反省の色もなく笑い、言葉はわからなくとも楽しそうな雰囲気にキスクも笑った。ラングは改めて腕を組み、呆れたように息をついた。
『そのヴァンという男にも、いずれ会ってみたいものだ』
その呟きを実現するためにも、やるべきことをひとつずつやっていこうとツカサは思った。
仮設され、今も改修工事が行われている議会場には今後の主要メンバーが揃っている。最後までショウリとともにいたテルタはグッと前を向いていた。常に覚悟を決めていた商会長のニテロも時々寂しそうな顔をするものの、弟妹の存在に支えられ顔を上げていた。戦うための部隊を率いていたテルマだけが、最後にショウリやポソミタキと過ごす時間が少なく、いまもどこかで隠れているのではないか、という期待を抱いているようだった。
ショウリをその手で誘ったツカサはテルマと目を合わせるのも気まずく、ポソミタキに最期を任せた後ろめたさもあって、同室に居ることを避けたい気持ちがあった。いや、あれはショウリも望んでいたことで、ポソミタキもそうしたくてしたことで、だからシュンが救われたのであって、とツカサは頭の中で様々なことが駆け巡った。
もうショウリはいないんだよ、ポソミタキはいないんだよ、と声を掛けられる者は一人もいなかった。そう、ラングを除いては。
「受け入れろ、ショウリ、ポソミタキ、もういない」
議会場となっている一室に皆が揃っていた時、会話の僅かな隙をついてラングがはっきりと言った。この世界の今後のことを会話している時、ラングはいつも腕を組んで壁際に控え、進んで発言をしない。この国に生きる者たちが決めることだというスタンスを崩すことはなく、発言を求められた時にだけ声を発するようにしていた男が言った突然の言葉に、場は凍り付いた。
黒いシールドは真っ直ぐにテルマを向いていて、言われた先でテルマは唇を半開きにして呆然としていた。それからカッとなったのだろう、テーブルを踏んで越えて短剣を向けようとし、慌ててテルタとニテロが妹を取り押さえた。
「テルマ! だめだって!」
「落ち着きなさいテルマ!」
「離してよテルタ! 離してニテロ兄さん……!」
はぁ、と溜息をついてアルはラングとテルマの間に立ち、両手を前に出して落ち着け、と示した。ユキヒョウは尻尾をぶわっとさせてキスクの襟首を咥え、ドアの方を目指していた。
「シャムロテス、大丈夫だから……!」
「だめなのである! 奴ら暴れたらここだって壊れるのである! 我はキスクを守るのである!」
「大丈夫だって! なァ!? 先生!?」
「あぁ、うん、どう、かなぁ……」
ツカサの曖昧な答えにキスクは顔を青ざめさせ、ほら危ないのである、とユキヒョウがついにキスクを部屋の外へ連れ出すことに成功した。
ここにキスクは居ない方がいいだろう、とは思った。キスク自身も父を誘われたが、その最期には立ち会うことができた。最期に立ち会えるかどうかというのは大きな違いだろう。
テルマは父の言葉に従って戦闘人員を動員し、人々の誘導に奔走していた側だ。そうして皆で首都・レワーシェを脱し、テルタの言葉で父の喪失を知った。納得のいかなさがツカサにもわかるような気がした。キスクも言っていたが、もっといろいろ話しておけばよかった、とか、もっと一緒に時間を過ごしておけばよかった、とか。ツカサもまた、違う意味で父を見限り、失ったのだ。
アルに庇われて苛立ったらしいラングがアルを押し退けて前に出た。
「兄、いる。家族いる。ショウリ言ったこと、思い出せ」
「お、お前に何がわかる! 私だってもっと父さんたちと話したいことだってあった! もっとたくさん……!」
「弔う、止めない」
「何が言いたい!」
ラング、とツカサがマントを引き、通訳を引き受けようとした。しかし、ラングはそれに首を振って断った。改めてテルマへ向き直り、ラングは言った。
「立てない時、無理をするな。兄がいる、任せる、大事」
ハッとツカサが息を吸ってしまった。この世界に来て自身を奮い立たせるためにずっと抱えてきた言葉を、そうではない、と諭されたあの夜が思い出された。マントを掴む手に力が入り、それが一瞬ラングの視線を呼んだ。ちらりと見られた気はしたが、すぐにそれはテルマに戻った。
「気持ち、落ち着くまで、父をおもい、弔う。そうすべきだ。立てる者が立つ、それが休む時、次はお前が立てばいい」
皆が沈黙した。今後のことをどうにかしなくてはならないと思う気持ちばかりが先行し、誰が、弔うことに時間を割いていい、心を癒しなさい、と言えただろうか。テルタとニテロが取り押さえていたテルマの体をゆっくりと起こさせ、そして抱きしめた。
ぎゅうっと抱きしめてきた兄たちの体温にテルマの目からボロボロと涙がこぼれ、暫くしてしゃくり上げるような泣き声があふれた。あまりにも子供じみた泣き声に直視するのは憚られた。ツカサがそっと目を逸らそうとすれば、その腕をラングが掴んだ。
『目を逸らすな。……私たちの行動が出したひとつの結果だ。受け止めろ』
『……わかった』
わぁぁ、と大きな声で泣くテルマの姿は勝ち気で仲間を率いる部隊長などではなかった。大好きなものを失った子供そのもの、背伸びしていた少女が心のままに叫ぶ姿だった。支えるテルタも涙を零し、ニテロが二人を大きく包むように抱きしめ、最終的に二人を胸で泣かせていた。ニテロの胡散臭い笑みは柔らかい兄の笑みになっていて、ツカサはこういう時、最後まで己を立たせるべきだと知る大人の姿を見た。
別れはいつまでも付きまとう。失った時が終わりではなく、受け入れるまで、心が癒されるまで、人はその苦しみと向き合わねばならない。
あぁ、そうか。
命は生きればこそ必ず死ぬ。絶えず死を友として生きるのだ。さればこそ私は導くことができる。
あの言葉は、自分が死ぬ時だけではなく、近しい誰かを失った時にもまた、必要な言葉なのだとツカサは涙を流しながら考えていた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
ヴァーレクスの連載、早速のブクマ等々いただきありがとうございます。
さすがと言いますが、旅人諸君お早い……。
こちらの本編もしっかり進めてまいります。
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