4-27:騙し合い、奪い合い、殺し合い
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幸せな夢を見ていた。温かくて、嬉しくて、辛いこともあったけれどすべての帳尻が合うような、そんな記憶の断片。
剣で追い払われ、牢屋に入り。そこで出会った銀髪の誰かが牢から出してくれて、他の人たちとも話をした。皆真剣に聞いてくれた。言葉をじっくりと聞いてくれた。そうして、受け入れてくれた。話を聞いてもらえて素直に嬉しかった。
撫でてくれた手のひらが温かくて、優しくて。口に突っ込まれた食事の美味さに思わず泣いて、嗚咽を零し、訴えた。その時も背中に当てられた手のひらが温かくて、縋りつきたくなった。けれど、縋りつかなかった。体がそうは動かなかったからだ。
休ませてもくれた。食事にも誘ってくれた。輪に入れてくれて、他愛もない話をして、片付けて、そして血まみれの男が落ちてきて――
――少しの間記憶がなかった。いつの間にか変な仮面の男と合流していて、それが兄であり、ラングというのだと学んだ。
いい奴だった。つんけんしていて態度が悪い癖になんだかんだ優しくて、なんだか辛い時、隣に座って肩を組んでくれるような男だった。礼を言うことを忘れなくて、食事ひとつひとつにも感謝を示して、機転の利く、頼れる男だった。
ある日、吟遊詩人が旅の同行者になった。いろいろと言っていたし、歌っていて、邪魔だな、と思ったのは正直なところだ。食材も減っていく、容赦なく飯を食う、なんて遠慮のない奴なんだ、と苛立ちも覚えた。そいつが案内した酒場では乱闘騒ぎもあって、疫病神だと思った。
パラディンなんて奴らと関わり合いになって面倒な話も聞いた。でも、パラディン、という言葉に聞き覚えがあるような、ないような、変な感じがした。
ラングが倒れ、助けなくてはと思った。雪の中を無我夢中で走った。見つけた特効薬で助けてあげられると思ったのに、ラングが消えていて、絶望した。俺は現実から目を逸らすように目を閉じた。
暫くして、気づけばラングは無事だった。きっと、無我夢中で探して、見つけて、特効薬が間に合ったんだと思った。よかった、と胸を撫で下ろした。南と、西、方角の話が出て、南にアルがいるとわかった。仲間だ、俺の仲間がいる。
南へ行った。なんだかすごく寂れた場所だった。少しだけ懐かしく思うのはなぜだろう。見たことがあるような、そんな不思議な既視感があった。ラングとやった謎解きが不謹慎だけど楽しかった。眩しいところに行ったあたりで耐えきれず、目を閉じてしまった。
気づけば大ムカデに追われていた。なんだよこれ、アドベンチャーゲームか? 家の屋上を飛び降り、飛び降り、逃げていく。機転を利かせろよ、風には炎だろ! 叫びが届いたのかゲームのコマンドを入力するように炎魔法を使い、大ムカデが爆発した。これは想定外だ。
放り出され、ラングが助けてくれた。自分も一歩間違えれば死ぬ状況で庇われて、なんでそこまで、って困惑と嬉しさがあった次の瞬間、投げ出され、大ムカデがラングへ落ちていった。嫌だ、と心が叫んだ。それは仲間に届いて、助けてくれた。どちらの手も温かかった。安心してしまい、俺はまた意識を失った。
石造りの部屋にいた。暖炉の炎、ぼんやりと両手を眺めていて、もう少しだな、と思ったことを覚えている。その後からぷっつりと意識が切れるようになって、もどかしい思いをした。目を覚まそうとすると何かにぎゅうっと押し潰されるような感覚があって、苦しくて振り払って暴れたが、疲れて眠りに落ちた。それを何度か繰り返し、毎回睡魔が勝った。
――突然頭がすっきりした。パチッと目を開いて、色が鮮明に脳を刺激して、困惑した。ずっと、テレビの中のさらにテレビに映る光景を見ていたような気持ちだった。それが突然なくなり、しっかりと触れられるようになった。何を言っているのだろう、元からこうだったのに。
「ツカサ」
俺の名が呼ばれる。
大丈夫か、と心から心配してくれる。
大丈夫だ、と心から支えてくれる。
そばにいてくれる温もり、その腕の確かさ、大事にされているのがわかり、胸の中に気持ちよさが滲んだ。そうだ、これが欲しかったんだ。おかしい、元から持っていたのに、どうしてこんなことを思うのだろう。それは心の中、ずっしりと重いしこりとなって残った。
ドルワフロへ戻った。皆が皆心配し、心を配り、気を遣ってくれる。申し訳ないと思うよりも嬉しくて、素直に甘えてしまった。だけど、胸の奥でぐずぐずとした気持ちが残っていた。
――どうしてこいつはこんな温かい想いを向けてもらえるのだろう、
――どうしてこいつは皆に笑顔を向けられるのだろう。
――どうしてこいつばかりいい思いをしているのだろう。
どうして、どうして、どうしてどうしてどうして。
俺はツカサだ。この温もりを享受すべきだ。
俺がツカサだ。この居場所は俺のものだ。
俺は……誰なんだ?
「――うわぁぁぁ!」
アルが男に殴られた。背後を追いかけてくる足音が怖い。ちらりと見たらラングだった。夢じゃない、嘘じゃない。ザクザク地面を蹴って踏んで距離を詰めてくる。
『なんで! ラング! やめて!』
草を掻き分け木を避けとにかく走った。兄に命を狙われるなどと思うわけがない。何か、何か操られているのかもしれない。いっそ動きを止めた方がいいのか。
『やめてよ! 剣をしまって! 来るなあぁぁ!』
腕を振り回して風魔法を撃つ。もはや怪我をさせたら、などと考えていられなかった。ツカサが振った腕とは逆の方に移動して避け、そちらへ氷を魔法を撃てば剣で斬り払われる。
『アル! アル! 誰か!』
助けを求めても誰も来ない。おかしい、だって、あいつが求めた時はみんな来たじゃないか!
心の中で大声で叫び、それが声に出た。
『なんでだよ! どうして誰も来てくれないんだよ! 俺が助けてって言ってるのに! あいつが、あいつのところには来たじゃん!』
泣きそうになってからふと冷静になった。
『あいつって、誰だ』
ズキリと頭が痛んだ。そうだ、ずっと誰かと比べていた。どうして俺はあいつより恵まれていないんだ、とか、どうして俺の持っていないものをあいつは全部持っているんだ、とか、羨望と憎悪の対象がそこにあった。足が縺れて転んだ。手のひらを擦りむいて痛い。ざりざりとした砂が入り込み、赤く滲んで血が混ざる。どうにか体を起こした時には背後にラングが立っていた。
『嫌だ、どうして……』
ずり、と後ずさった。黒いシールドは表情を読み取らせないが、こちらを見ていることだけはわかる。その辺の石ころでも眺めるような、そんな興味を一切持っていない視線を感じ、悔しくて唇が震えた。
『なんでだよ、どうしてだよ! 俺は弟なんじゃねぇのかよ! っんでそんな、剣なんか向けて、追いかけられなきゃなんねぇんだよ!』
感情が高ぶり、叫んだ。口端に溜まる唾液が泡になるのを感じながら、拭う余裕はなかった。
『おかしいだろ! こんな目に遭うような役回りじゃねぇはずだろ!? 強くて、恵まれてて、仲間と熱い冒険してさぁ! それで幸せになんだろうがよ!』
ラングは微動だにしなかった。ぜぃぜぃと息を切らせ、ツカサは叫び続けた。
『頼むよ、冗談ならもういいから、やめろって、俺、俺、死にたくない! 死にたくない! 幸せになりたい、ただそれだけじゃねぇかよ! なのに、なのにどうしてこうなるんだよ!』
目の前の男が剣を振りかぶり、パキン、と甲高い音がした。首がすぱりと斬られる感触がして、バッと熱くなった。それが傷口の痛みなのか自身の血液なのかわからないが、死んだ、と思った。
――嫌だ、死にたく ない まだ しあわせになって な い
噴きこぼれた血の中で蠢く黒いものが、目の前の温かい肉を求めて縋りついた。温かい内側を求めて、防ごうとしたそいつの手のひらをびちゃびちゃと濡らして通り過ぎ、その口の中にずろりと入り込む。喉を詰まらせるような音がした。ゴボッ、と水に溺れるような音を聞きながら、構ってられるか、と腕を使って体の中へ潜り込もうとした。おかしい、入れない。いつもなら入れるのに。
何かに掴まれた。そして引きずり出された。いやだ、外は死んでしまう、肉体がなければ俺は俺でなくなってしまう。指を引っ掛けて踏ん張ろうとしたが、どこにも指を掛けられず引きずり出されていく。そして、あぁ、外に出てしまった。
「――やれやれ、何を言っているのかわかりませんでしたよ」
ラングの口から出た言葉。地面に放られ、即座に剣が振るわれた。体が真っ二つになった。それでも、少しでもどこか生者の肉体があれば! 黒いうねうねしたものが弾け、再度黒いシールドを着けた男を襲った。再び口に入ろうとしたものをがぶりと噛んで、男は噛み千切った。口端から滴るものを拭うこともせず、ただ奥歯で最期の遺志を噛み砕き、吐き出した。口からでろりと流れ落ちたそれはもう、動くことはなかった。
ーーがさりと凍った草を押し退けて進んできた足音。場所は少しだけ開けた場所だ。鈍い朝の光が差し込み、靄掛かった空気の中、青年だったものを見下ろして待っていた。
「ラング、ツカサ! ……うっ」
駆けつけた槍使いは四肢を投げ出して横たわる青年の姿に喉を詰まらせた。涙を湛えた虚ろな瞳を宙へ向けたまま瞬きもせず、赤く濡れた首を晒し、大地へ倒れている。こぷりと口元から零れた血はだらしのない唾液のようにゆっくりと垂れていく。信じないというかのように小さく首を振り、槍使いは叫んだ。
「ラング! 何を、何をしたんだよ! 助け、助けなくちゃ、手当て……!」
駆け寄ろうとしている足が動かないのだろう。衝撃を受けているらしく体が震えている。視界がぐるぐると回って冷静さを失い、槍使いは青年の虚ろな瞳を呆然と眺めていた。声が出ないらしい。
やれやれ、と振り返った男の口元には、ねっとりとした黒い液体が滴っていて、それを拭うこともなく、とりあえず、笑ってやった。槍使いは失礼なことにバケモノを見たような顔をして息を吸い、叫んだ。
「お、まえ、誰だ!?」
槍使いが槍を構えた。倒れて血を零す青年にちらちらと視線をやりながら、目の前の不審な様子の相棒にも警戒を続ける姿はさすがではある。黒いシールドを着けた男は、ゆっくりと口元を手の甲で拭い、黒い残滓をびちゃりと地面に投げ捨てた。
『落ち着け』
長身の男に気配もなく背後に立たれ、槍使いは息を乱して振り返った。その男の顔を見て目を見開き、確かめるように呼んだ。
「ヴァーレクス……!? なんで……!」
『ツカサを戻さなければ』
「え!? なん!? ラングの世界の言葉か!? どうして!」
「急ぎなのですがねぇ」
黒いシールドの男の方からはリガーヴァルの言葉が聞こえ、槍使いは混乱したらしくふらついた。長身の男がごそりと服の中から手のひら大の黒いスライムを取り出して倒れたままのツカサの体にそれを乗せた。スライムはするすると溶けていき、跡形もなくなった。思わず見守ってしまっていた槍使いが我に返り何度目か叫んだ。
「おい、何して!」
「時間がないそうなので、大人しく見ているといいでしょう」
「いや、ちょっと待てよ、お前もしかして」
槍使いが眉間を押さえたところで、青年がぷはっと息を吹き返し、口の中のものをぺっぺっと吐き出した。赤かったそれはじわりと色を黒く変え、そしてしゅわしゅわと泡になって消えていった。息を乱し、青年が自分の頬を、体を撫で、両手を見てから叫んだ。
「うわぁ! ヴァーレクス! 手加減してって言ったじゃん! やれって言ったのは俺だけどさ!」
「言われた通りにしたまでだ」
「身代わりの指輪が割れてる! これ貴重品なのに! アル、ごめん、びっくりさせたよね。ラングが思いきり殴ってごめんね、あの」
「待て」
血まみれだった青年は、血まみれではなくなっていく。赤いそれが黒く変わりしゅわしゅわと消えていくのを見て血ではなかったと理解した槍使いは、その場にいる者どもを何度か見渡した。それから槍使いは深呼吸をしてから、怒鳴った。
「説明しろ! 全部、わかるように! 最初から全部!」
「するする! 説明するから! その前に、ちょっと休憩していい? 結構限界の人多くて……」
がさ、ごそ、しゅるり。牡鹿と少年と蛇が出てきて、気まずそうに肩へ戻ってきたホムロルルの表情に、槍使いは顔を覆い、天を仰ぎ、叫んだ。
「あぁー! こんちくしょうがぁ!」




