4-26:霧の深い朝のこと
いつもご覧いただきありがとうございます。
――ツカサ、アル
少々厄介なことになった。
力を借りたい、この手紙を受け取り次第、早急にこちらへ来てくれ。
ロトリリィーノにも手紙を書く。
首都・レワーシェ側で待っている。
――ラング
余裕のない手紙。詳細を書き連ねるだけの時間も惜しかったのか、とにかく来てほしいとだけ書かれた手紙。ツカサはアルと顔を見合わせた。ポーツィリフともう一人の鍛冶師は必死にトロッコを走らせたらしく、かなり憔悴していた。このままでは首都・レワーシェ側へは戻れないと不安が過ぎったところで、別の鍛冶師が二人、胸を叩いた。その二人がトロッコを動かす役として、出発の準備は既にできていた。深夜帯、いつもなら寝ている時間だが、ホムロルルがトロッコを引き上げ、下り坂で減速しないよう鍛冶師たちがトロッコのレバーを操作してくれるのならば目を瞑り休むことはできる。
ロトリリィーノへも記載通りラングからの短い手紙が入っており、そこには『キスク、トルクィーロ、無事』とも書かれていたらしい。ロトリリィーノはそこに詳細を求めず、それならいい、鍛冶師たちに伝える、とツカサに微笑んだ。
「ラングが急いでるならそこに理由があるんだな、トロッコも準備ができてるみたいだし、行くぞ」
「うん」
迷いはなかった。兄が、仲間が助力を求めている。自分だってあの大穴から助けてもらった。次はこちらが助ける番だ。ロトリリィーノに挨拶をしてトロッコに乗り、早速ホムロルルがはばたき、レバーがぎっこんばったん押され、動き出した。ここから先、減速の許されないトロッコでの移動が始まった。
鍛冶師たちは昼夜通して火の番が必要で深夜に鍛冶場で働くこともあり、夜勤の二人は日中寝ていたから元気らしい。最速で首都・レワーシェ側へ到着させるんでェ、休んでてくだせェ、と言われ、アルと二人目を瞑った。しかし、トロッコは揺れる、響く、鍛冶師の掛け声がうるさい。ツカサはろくに眠ることができなかった。ちらりと窺えばアルはぐっすりと眠っていた。どうやって眠っているのだろう。周囲のうるささと振動とに苦しみながら、どうにか少しずつ意識を落として眠った。
ホムロルルの羽の音が止み、ゴーッと音を立てて下り始めたのがわかった。そうすると鍛冶師たちも小休憩を取るので掛け声がなくなり、振動もマシになってやっと眠れた。
時折、掛け声を聞きながらもどうにか休めた。本当に速度を落とさないでくれたらしく、最後のブレーキが一番大変そうだった。あわや脱線、というところで止まることができ、乗っているこちらも、終点で見守っていた人たちも変な汗が流れていた。トロッコの縁を掴んで外を見渡した。ラングはいない。
「あの、ラングは?」
「仮面の人なら外で待っています」
片言の言葉でやり取りをしたらしく、テルマの部下たちはあっち、と言いたげに出口を指し示した。ぐったりしている鍛冶師を休ませてほしいとお願いして、ツカサはアルとホムロルルとともに洞窟の出口へ向かって駆けだした。
トーチの明かりの下、走る音だけが響く。なんとなく沈黙が辛くなってツカサはぽつりと呟いた。
「ラング、どうしたんだろう」
「さぁな、ただでさえ今は言葉が不自由だから、俺にも何が何やら」
アルはこの世界の言葉もわからない。ラングの世界の言葉も中途半端。それでも槍がいるから困らずに済んでいる。アルは運がいいよな、とツカサはちらりと横を眺めた。強くて、懐が広くて、言葉が通じなくとも怖いものなどないというかのような姿に、なぜそう居られるのかを不思議に思った。
「なんだよ?」
「ううん、なんでもない」
誤魔化して濁せば必要以上に踏み込んでこないのも、有難いけれど少し寂しかった。こんなかまってちゃんだったっけ、とツカサは苦笑を浮かべた。
走り続けてようやく外に出た。ぱっと眩しい光に目を眇めた。上りのホムロルルの助力と下りの鍛冶師の加速で通常よりも早く辿り着いたらしい。少し陽は傾いているが、夕方ではない。ツカサの右手の金の腕輪がむずりとした。ラングのいる方向を指しているのだ。ここに迎えがいないということは、ラングはここに来られないということかもしれない。
「行くぞ」
アルの先導に頷いて金の腕輪がむずむずする方へ再び走り始めた。
洞窟を走り、洞窟を出て森の中を走り、ツカサは息を吸い、吐きながら不思議な感覚に陥っていた。こんなに走れるとは思わなかった。というかそもそも、こんなに走ったことがあっただろうか。前を行くアルも息を乱しておらず、大きな歩幅でざくざくと駆けていく。その速さについていける、まだ走れる、いける。ラングの手紙からして余裕はないはずなのになぜか楽しくなってきてしまった。まるで森の中のアスレチックを駆けているかのように木の根を飛び越え幹を避け、草を払う。主観カメラで走るゲームのように思えてしまった。さすがに不謹慎だと自身を叱りつけた。
「ラング!」
アルが名を呼びながらぐんと前に出た。慌ててそれを追い掛け、足を止めるとさすがに息が乱れた。
『来たか』
『どうしたの、何が、あった?』
膝に手を置いて尋ねればラングは小さくシールドを揺らしてもう少し森の奥へ促してきた。ホムロルルがピーヨと鳴きながら飛びあがり、葉の隙間を抜けて空へ出た。哨戒か何かだろうか。
『慌ただしくてすまない、話は明日の朝にしよう』
『あんな手紙を送ってきたのに?』
『だからこそだ。少し体を休めてから、万全を期して話がしたい』
『いいけど……』
ラングの態度はいつもと変わらないように思えた。手紙で感じ取れた緊迫感はなく、ゆっくりと動くことを心掛けているような、そんな感じだ。アルは眉を顰めていたが言葉がスムーズに通じないこともあって会話はツカサに任せている状態だった。休んで、朝に話したいって、とアルへ伝えると、変だな、と言いながらもそれを受け入れた。
ラングの案内で辿り着いたのは野営地だった。焚火のために石が組まれ、毛皮が敷いてあってそこに座っていたか、休んでいたか、ラングの休憩の跡が見えた。水は水筒で取ったというが、さすがに尽きて喉が渇いていると言われた。
『あの不思議な水がいい』
『不思議な水……、待ってね』
結局整理整頓ができていないままの空間収納から、水、という分類で探し、そこに癒しの泉エリアの水を見つけた。これだろう。しかし、よくこんなものを持っていたものだ。コップに入れようとすれば空になった水筒に入れたいと言われ、そのとおりにした。
ラングが座っていただろう毛皮にアルが座り、胡坐をかいた。
『ラング、手紙、なに? 本当に大丈夫?』
『大丈夫だ』
わかる言葉で知りたいことを尋ね、返事があればアルは首を摩り、それ以上の言葉は重ねなかった。ツカサは空間収納から同じように毛皮を取り出して地面に置いた。アルが横に置いてあった薪を火にくべたところでホムロルルがその肩に戻ってきた。
「黒い命はいねぇ」
「なら少しは休めそうだな」
アルはほっと息をついて笑った。ツカサもホッとした。黒い命に囲まれたら、どうすればいいのかわからない。ぼんやりとした記憶の中でラングがそれを斬っていたことだけは覚えている。ツカサは毛皮に座り、未だ立っているラングを見上げた。
『ラング、おなかすいてない? 食事だそうか』
『頼む。出している間、薪を拾ってくる』
『それなら俺が出すよ、空間収納にたくさんあったから』
『それはまだ必要になるはずだ。現地調達できる時は、するようにしたい』
言って、するりとくすんだ緑のマントを翻して森の奥へ消えていったラングに、ツカサはあるものを使えばいいのに、と思いながら今日の食事を取り出した。
暫くしてラングが戻ってきた。その腕には木の枝をたくさん抱えており、焚火のそばにそれが落とされた。
『結構落ちてるもんだね。冬だからかな』
『そうだな。濡れていないのも助かる』
『濡れてると燃えにくそうだしね』
ツカサの言葉に、あぁ、と短く返してラングも座り、食事を差し出した。サーモンのような切り身が挟まったパンだ。
「魚かぁ」
「アル、文句言わないで」
「はいはい、ありがとな。いただきます!」
「いただきます」
三人で同じ音で言い、ゆっくりと食事を済ませた。そこからまた無言だった。言語が通じにくい二人を前にツカサはそわそわしてしまい、何度も尻の位置を直した。明日話すと言ったラングは本題に入ろうとはせず、剣の手入れを始めてしまい、アルはホムロルルを脇に収めてうとうととしていた。二人ともあまりに自由過ぎやしないかとツカサは時間の経過が長く感じた。
ツカサはいつの間にか眠っていた。気づけば夜の闇すら越えて朝になっており、霧が辺りに立ち込めていた。目を擦りながら体を起こせばもったりとした空気が肺に重く、咳き込んでしまった。その音でアルが唸りながら目を覚ました。
「ううん……、どうした……?」
「起こしてごめん、なんか、空気が重くて」
「空気? 霧か……? あれ、ラング?」
「え?」
言われ、ラングが座っていた場所を見れば誰も居なかった。どこに行ったのだろう。
「小便か? それとも哨戒?」
「近くにはいるよね」
金色の腕輪が不思議な感覚で位置を知らせてくるのでそこは間違いない。そしてそれが近くなり、戻ってくることを感じ取らせた。よかった、無事だった。ツカサは、ぱき、がさり、と草の音がした方を安堵して見遣った。
「ツカサ、立て」
アルが立ち上がって槍を構えた。
「どうしたの、アル」
「足音がした、草の音もした」
それは、草に触れるのだからするだろう。何の冗談かわからず笑みを浮かべながら名を呼ぼうとしたら、アルは厳しい声で言った。
「立てよ!」
「わ、わかったよ!」
びくりと跳ねるようにして立ち上がった。アルの肩からホムロルルが飛んで空へ消えた。それに視線を取られていれば、がさり、がさり、と草を踏む音がして、ツカサは振り返った。双剣を抜いたラングがそこに居た。
『ラング、どうしたの』
じっと、答えはない。黒いシールドの奥の双眸がどこを見ているのかもわからない。ただ、重い沈黙だけがあった。すぅ、とラングが息を吸った瞬間、アルが叫んだ。
「逃げろ!」
びくんっ、と跳ねた。アルの声の険しさに思わず体が動いた。どうして、と聞きたい気持ちよりも、様子のおかしいラングに恐怖を覚えたからだ。
「おいやめろ、ラン……ッ」
ゴッ、と重い音がした。ツカサは一度足を止めて振り返った。ラングとツカサの間に入ろうとしたアルの頭を見たことのない長身の男が殴り、アルが地面に倒れ伏した。
「アル!」
手当てしなくちゃ、と足が戻りかけた。それは戻りかけただけで終わり、戻れなかった。ラングが焚火を蹴るようにして駆けだし、こちらへ向かってきたからだ。
「うわぁぁぁ!」
ツカサはなりふり構わず逃げ出した。




