【2】
鍵の壊れたドアを、そっと開ける。
外に出ると、あたりはすっかり、漆黒の闇におおわれていた。
草や土、空気から、夜独特のにおいがする。
まだ魔物がいると決まったわけではないが、万が一にも居場所を知られないよう、炎は使えなかった。
コートの胸元をぎゅっと掴み、なるべく足音を消して歩く。
(とりあえず、おかしな気配は感じないけど……)
気配を消している可能性もある。
今だって、すぐ近くに潜んでいるかもしれない。取りこし苦労ならよいが――。
薪小屋を探すが、暗くて、あたりの様子がわかりづらかった。
(ああ、そうか……)
どうにも暗いと思ったら、今夜は新月なのだ。
星さえ見えないのは、空自体が曇っているのだろうか。
「………」
ネイは、ふいに足を止める。
かすかに、土を踏む音が聞こえたような気がしたのだ。
(――ラウルさん?)
じっと耳をこらす。
たしかに、なにかが歩いている。でも、これは……。
(人の足音、じゃない)
同時に聞こえる、獣のような息づかい。
背中に緊張が走る。
(どこ……)
ネイは出所を探るように、首をめぐらせた。
―――いた。
ほんの少し先、闇の中に赤い光が二つ、ぼんやりと浮かびあがっている。
それが、ゆっくりとこちらを向いた。
気づかれた、と思った瞬間には、もう目の前に接近されていた。
「ッ!」
ほとんど反射的に、ネイは腕を振る。
ゴオッと燃え上がった炎の一撃が、魔物に叩きつけられた。
完全にふいをつかれたのだろう。相手はもんどりうって倒れた。
(やっぱりあのときの――!)
岩肌の上にいた、ヒゲのあるヒヒのような魔物だった。
近くで見ると、思った以上に大きい。
少しでも距離をとるため、ネイはすぐに駆け出した。
おそらく、正面からまともにぶつかって敵う相手ではない。
とりあえず、物影に身をひそめる。
ウオアアアアア―――!
地をとどろかすような咆哮が響き渡った。続いて、動き回る足音。
「わたしを探してるんだ……」
おそらくさっきの攻撃も、たいしたダメージは与えられていないだろう。
「どうしよう……」
こちらはほとんど視界がきかないのに対し、相手はある程度、夜目がきくはず。
しかも、今は魔物が活性化する夜――状況としては、かなり不利だ。
(ラウルさんは……)
無事だろうか。どこか安全なところに隠れてくれているとよいのだが。
(きっと、だいじょうぶ)
最悪のことは考えたくない。
タン、タン、と屋根を伝うような音がした。
(っ、上から探してるんだ……!)
ここでは、見つかるのも時間の問題だ。
(移動しなきゃ)
できれば建物の中がいい。だが、民家の戸には鍵がかかっている。
ラウルが鍵を壊したあの家は、暗闇の中に沈んでしまい、位置がわからなかった。
(こっちに来てる……)
考えているひまはない。とにかく、気配から遠ざかるように、じりじりと移動する。
「っ!」
ダメだ、気づかれた。
二対の赤い光がみるみるうちに、こちらへ向かってくる。なんという身体能力か。
炎で応戦しようとし、寸前でハッと思いとどまった。無闇に炎を使うと、民家に燃え移ってしまう可能性がある。
先ほどのように、よほど至近距離からの攻撃なら別だが、あれができたのは、向こうに油断があったからだ。
ただの子供だと思っていたのだろうが、さすがに今は警戒しているはず。
証拠に、少し離れた場所で、赤い光が右から左、左から右、というように、ゆらゆらと移動していた。
間合いをうかがっているのだ。
ネイは唇をかむ。最も得手な、炎の術が使えないのは痛い。
(それでも、なんとかしないと)
なにもしなければ、殺されてしまう。
ほんの少し後ずさると、ザリ、と地面が音をたてた。
――イチかバチか。
ネイは足元から、風の渦を巻きおこした。家の窓や建てつけの悪い板壁などが、ガタガタ揺れる。
竜巻は乾いた砂を巻き上げながら、勢いよく魔物へ向かっていき、あっという間にその身体をとりまいた。
明るさを絞った炎を手にともし、ネイは駆け出す。
(はやく……はやく隠れなきゃ)
あの竜巻も、きっと少しの時間かせぎにしかならない。
(ない、ない、ない……!)
どこもすぐに見つかってしまいそうだ。
焦れば焦るほど、よい場所が見つからなかった。
「!」
目に入ったのは、高床式の倉庫。
穀物などを貯蔵しておくためのもので、風通しをよくするために、床下の部分がかなり高くなっている。
――迷っている余裕はなかった。
ネイは背を曲げ、急いで床下にもぐりこむ。
昼間なら丸見えだが、幸い、今は真っ暗だ。ここなら、上からでも見つけられないだろう。
のぞきこまれたりしない限りは――。
相手の鼻がきかないことを願うばかりだ。




