第五話:古竜の旅路、少女の買い物
人知れず村を出たイリアは、街道筋を東に歩いていた。
人界に降りて、初めて出会った青年ユークス。
彼とは行き先を告げずに別れてきてしまった。
しかし、イリアの心は軽かった。
机に置いておいた贈り物の数々に、青年がどんな顔をするのか、想像して楽しみでならなかったのだ。
トレントの枝は高く売れるだろう。
木彫りの護符は、きっと大森林の探索で彼を守ってくれるに違いない。
エメラルドの宝石は、思い出の証。
そこに添えた花輪は、ちょっとした心付けだ。可愛い自信がある。
ユークスの驚く顔、喜ぶ顔、少女がいなくなって寂しがる顔――。
いろんな顔を想像して、古竜は心を弾ませた。
一晩経ち、もう村も見えなくなった頃。
その日の太陽が昇り、街道を照らしていた。
そこへ一台の馬車が、ゆったりと進んでくる。
あの村の方角に向かっているようだ。
――お、これは。
もしかすると、ユークスが話していた、時々村に立ち寄るという行商の馬車かもしれない。
(積荷はなんじゃろうな。食い物でもないかのう)
そう言えば、イリアは食い物の調達のことを勘定に入れていなかったことを思い出した。
なにせ、魔力の体だ。食事を多くは必要としていなかったが、やはり気分で人の食べ物を色々味わってみたかった。
「やあ」
「これはお嬢さん、こんなところで奇遇ですな」
すれ違いざま、イリアは行商らしき馬車の御者に声をかけた。
「行商とお見受けする」
「いかにも、こちらしがない行商でございます。なにか入用ですかな?」
人の良さそうな笑みを浮かべながら、行商人は馬車を停めた。
「ちょいと旅の道すがらでのう。食べ物があったら売ってほしいんじゃが」
「ええ、ございますとも。塩漬け肉に干し魚、パンにチーズ、にんじん、キャベツなどありますよ」
肉か……肉はいい。
「そうじゃのう。塩漬け肉にパンを貰おうかのう」
「塩漬け肉にパンですね。いかほど?」
行商人はそう言いながら御者台を降り、荷台の覆いを剥がして商品を見せる。
様々な品が並んでいたが、肉は一抱え、パンも一抱えほどあった。
「そうじゃのう、では、一つずつたのむ」
イリアは御者台を覗き込みながら、塩漬け肉を一塊、パンも一斤貰うことにした。
「布で包みますか? 代金は頂きますが……」
「うむ、頼む」
手際よく布で包んでもらい、イリアは代金を支払うことにする。
「代金は銀でいいか?」
「ええ、銀で大丈夫です。しめて3トールですが――これは骨董品ですか」
イリアが出して見せたのは、山から持ってきた、古くて大ぶりの貨幣だ。
その大銀貨を一枚渡すと、行商人はしげしげと眺める。
秤を取り出し、何やら重さを計り始めた。
「古い銀貨ですな……大きくて純度が高い。となると――お釣りはこのくらいで」
行商人は懐から財布を取り出し、お釣りに銀貨を10枚ほど渡してくれた。
イリアもまた、貰ったお釣りの銀貨をしげしげと見る。
なんとなく勘定が合わない気がしたのだ。
よく見れば1枚だけ違うものも混じっている。
「大きいのが12トールのソルド銀貨。小さいのが1トール銀貨ですよ」
――そういうことか!
ソルド銀貨とやらが1枚に、トール銀貨が9枚で21トール。
わしの銀は24トール分だったということか。
今世の貨幣はこういうものかと、イリアはなんとなく理解した。
「いい買い物じゃった。また何処かで会ったらのう」
「どうぞご贔屓に。あなたに旅の神の加護がありますように」
肉とパンで両手が塞がってしまったが、イリアは行商人に笑みを浮かべ、別れを告げた。
さてさて、この包みをどうするかのう。
包みを二つ、杖も手に、イリアは歩きながら考えた。
あいにく、腰に下げている魔法の鞄に入るサイズではない。なにより、山から持ってきた品々が入っているのだ。
このまま徒歩で旅路をゆく上でなんだが、しばらくの食事には困らぬだろう。
そんなことを思いながら、イリアは街道筋を歩いていった。
日が暮れると、イリアは街道の脇で野宿をした。
座り込むと、手に持った包みをそっと開け、夕日に照らされる塩漬け肉を拝む。
――うむ、いい出来じゃ。
分かった風なことを思いながら、イリアはさっそく肉に齧り付く。
「いただきますじゃ」
もぐもぐもぐ。
――塩が効いとるのー!
パンに乗せて食ったほうがいいか。そうしよう。
イリアは肉をひとかじりすると、思った以上の塩気に、パンになじませて食べることを考えた。
魔法でさっと肉を切り、パンも同じくらい切る。
パンと一緒に一口。もぐもぐもぐ。
これはなんとも、パンが硬いのう。なかなか歯ごたえがある。
少女にしてはえらく大口で、思いっきり齧り付いては、頬を膨らませて咀嚼する。
口の中がパサつく。水が欲しいのう。
少し涙目になりつつ、イリアは咳き込みながら夕餉を平らげた。
肉とパンの包みを戻して小脇に置くと、そのまま地面にごろんとなる。
草の柔らかさ、緑の香り。
天然のベッドに横たわって、古竜の少女は空を見上げた。
沈みゆく日、昇る月、星影が瞬き、古の英雄の星座が姿を現す。
クレトス、エイヤーヘイル、アーキレルにヘルアノス。
古に伝わり、星となった英雄たちよ、何故わしのところへ遊びに来てくれなんだ。
かの英雄たちが活躍した時代、古竜は寝ていた。それはもう盛大に。
久々に人の身に化身して、人界の様子でも見に行くかと思った時だ。
かの英雄たちと星の物語が、吟遊詩人によって語られていたのだった。
それはそれは苦い思い出である。
なぜわしの知らん間に、愛しい英雄たちが星になってしまったんじゃ。
その物語に魅せられ、聞き入り、涙した。
英雄がますます恋しくなった。
なぜ英雄譚の傍らに、猛き竜の話が伝わるのに、そこにわしは出てこんのじゃろう。
竜は人々の記憶に、その勇姿と、力と、叡智を記憶される存在。
しかし今の世、古竜を記憶する人間は何処にもいない。
――まあ、わしの本体が、多くを記憶しとるがな。
記憶といえばユークスが、この化身の人格であるイリアを記憶する、最初の人間の男だ。
元気にしているだろうか。
さて、寝るとするかのう。
睡眠はいい。寝る必要は無いが、夢を見ることが出来る。
夢は、肉体の煩わしさを離れ、精神だけの異界で過ごす記憶。
そう思い儚んで、古竜の少女はまどろみの中に沈んでいった。




