第二話:ねぐらを出た古竜の出会い
イリアはねぐらを出ると、切り立った断崖絶壁を一息に飛び降りた。
風を受けたローブがバサバサとはためく。
岩から岩へと飛び移り、木々の枝を足場に跳躍する。
魔力の体の出来は上々。人の子の軽業師にも、同じような真似は出来まい。
イリアは調子を良くして、その日のうちに下山した。
雲を頂く深山から、またたく間に下界へ。香ってくるのは緑と土の匂い。
古竜がねぐらとする深山――ルペンハイル山脈の麓に広がるのは、鬱蒼とした大森林である。
「わしの本体なら一息に飛んでいけるだろうが、人間の体は、相変わらずちっこいのう」
そう独りごちるイリアは、空の人となっていた。
己の体に魔法をかけ、大森林の上空を飛行していたのである。
大森林は、徒歩で渡るには難く、怪物も多く潜んでいる。
どれもとるに足らない小物ばかりで、古竜にかかれば、ものの数瞬で蹴散らせるだろう。
しかし、いたずらに乱暴を働くのは無粋じゃ。時を損なうのも面白くない。
――そうじゃ、あやつには、挨拶くらいしていってもいいじゃろう。
そう思い立ち、古竜は大森林のとある場所を訪れる。
着いたときには、日もすっかり暮れ、夜の帷が降りた頃合いだった。
月が照らす大森林の奥深く、突き出した大岩の洞穴。
そこだけがほんのりと光を帯びており、洞穴の奥に大森林の主が横たわっている。
今年で300歳になる森の主、雷蹄の白角鹿だった。
白い体毛に金の角、角は帯電するように、雷をまとっている。
『おるかー?』
古竜の訪問に、雷蹄の白角鹿は体を起こして出迎えた。
『なんと、貴女でしたか。気配の消し方がお上手で』
『それほどでものう』
言われて、まんざらでもないイリアである。
『して、此度はいかなるご用向きにて?』
『なに、ちと人界へ行くことにした。近くを通るから挨拶でもとのう』
イリアが要件を伝えると、雷蹄の白角鹿は目を細めた。
『左様でしたか。では、お気をつけて』
『うむ、そなたも達者でのう』
挨拶を終え、雷蹄の白角鹿に別れを告げると、イリアはまた大森林の上空に出た。
ゆったり飛ぶこと一晩。日の出の時刻となり、イリアは正面にご来光を臨んだ。
――なんと美しい。我が門出に相応しい日の出よのう。
イリアは風流な気分に浸りながら、そろそろ人界が近いと、大森林の中に降り立った。
ここからは徒歩だ。空を飛んでいるところを人に見られては、要らぬ騒ぎにもなろう。
大森林の浅い層は、木々の間隔も空き、徒歩で抜けられる。柔らかな腐葉土、くねって張り出す木の根。歩きづらさは折り紙付きだが、イリアはそこを軽々と疾走する。
体を動かすのは実に楽しい。魔力の体は、どこまでも人間に忠実な外見だが、その内実は古竜の余りある魔力を器に込めた特別なものだ。
おおよその人間では考えられない能力を秘めている。
それを思う存分発揮したい欲を満たしながら、イリアが進むこと半刻。
ふと人の気配を察知し、イリアは人の並の足にまで歩調を緩めた。
――久々の人の子じゃ。
イリアは久しぶりに人の子と出会えることに、形容しがたい喜びを感じていた。
尻尾があったら、ぶんぶんと振っていただろう。
しかし――。
「うむう……この感じ、ちと物騒じゃのう」
鋼と革の匂いがした。気配は一人。こんなところで何をしておるのかのう。
少しばかり顔を見にいこうと、イリアはその気配の元へ向かった。運が良ければ、人界に入るための大事な手がかりとなる出会いかもしれない。
こういうのは第一印象が大事だ。どれ、うら若き乙女の本領を発揮しようぞ。
そう思いながら、イリアが少女の歩幅でてくてく歩いていくと、大木を背に預ける一人の青年の姿が目に入った。
歳の頃は二十歳前後だろうか。
くしゃっとした栗色のくせ毛、革鎧に身を包み、剣を抱くように寝入っている。
その姿は無防備で、それでいて油断がなかった。
イリアが小枝を踏んで音を鳴らすと、青年はすぐさま目を醒まし、剣を意識しながらあたりを見回した。
そして、木々の間から現れたイリアを目に止め、わずかに驚きを見せる。
立ち止まったイリアと、しばらく見つめ合う青年。
朝日が差し、木々の梢を風が鳴らした。
ぐっど雰囲気。
よしよし、さっそく人の子との出会い達成じゃ。さて、何を話そうか。
イリアが内心そんなことを考えていると、青年は木に預けた背をちょっと浮かし、体を起こす。
「ここは危ないぞ、一人で何をしているんだ?」
静かな森に声が響く。声をかけたのは青年の方からだった。
「どこから来たんだ、こんな森の奥まで?」
さっそく心配してくれている。いい人間かもしれない。
イリアは青年に好印象を抱き、話しかけるために歩き出す。
「イリアという。そなたは?」
「僕は冒険者のユークスだ。君、どうやってこんな森の奥まで?」
「魔法が使えるからのう」
「魔法だって?!」
ユークスはあからさまに驚いていた。
魔法が使える人の子は稀有だが、いないこともないことを、古竜は知っている。
「いやあ、それにしても、君みたいな女の子が入るには危ないよ。怪物だっているんだ」
ユークスは徐に立ち上がった。律儀に心配してくれる青年に、イリアは好ましさを募らせる。
「それはなんとも、ありがたい話じゃが……」
イリアが言い切る前に、ユークスはイリアに歩み寄る。持っていた剣の鞘を腰の剣帯に差すと、イリアの両肩に手を置いた。
「ここは危険だ、聞き分けてくれ。僕が送っていくから、すぐ森を出よう」
イリアはフードの奥で、少し思案を巡らせた。
彼についていけば、すんなりと人界に溶け込めるかもしれない。
ちょっと思い込みが激しいが、気の悪い男でもなさそうだ。
そう思いながら、イリアはユークスの言葉にこくりと頷いて見せる。
こうして古竜の少女は冒険者に連れられ、森の出口に向かって歩き出した。




