第十六話:北の山の調査
「風よ」
イリアが魔力に囁くと、風が刃の象をとって飛んでいく。
狙い違わず魔物の首に命中し、その魔物――白斑大蜘蛛を絶命させた。
クライスルの街、北の森。
イリアはその森を分け進み、時折現れる魔物を一撃で葬っていた。
魔物は、魔力が歪んでいて、どこかおかしな生き物だ。会話など通じない。
思念も歪んでいて、迂闊に言葉を聞くと反吐が出る思いがする。
そういうところから、イリアは魔物は見つけたら倒すものと心得ていた。
白斑大蜘蛛で3体目だ。他には、赤毛牙猿と黒色一ツ目狼を退治している。
森でこれなのだから、北の山の魔物とはいかほどのものだろう。
森は道程の半ばを過ぎ、そろそろ山の岩肌が見えてくる頃合いと思われた。
(魔力の歪みは、あっちの方か)
魔力の波を読んで、イリアは方向を確かめる。
さらに進むと、一際大きな岩壁に突き当たった。
そこで日が暮れたので、イリアは野営をする。
(さて、一息に飛び越えてもいいのじゃが――)
イリアは水筒から水を一口飲みながら、思案した。
イリアの背にする岩壁は、高さ5mはあろうかという巨石だ。
飛翔魔法で一気に飛び越えてもいいが、冒険者も訪れる岩山だ。どこかに登り口があるに違いない。
見れば、岩壁に向かって左側の方が、傾斜が緩いようだ。一眠りしたら、そちらから回り込んでみようと思った。
翌朝、左側から回り込むと、案の定、歩いて登れる東向きの傾斜があった。
イリアは持ち物の位置を直し、杖を手に登っていく。
高台へ出た。多少の広場となっていて、森を一望できる。
見上げれば、剥き出しの岩肌がそびえていて、西に向かってツヅラになっている。
(荷物を持っての登山は、足腰に来るわい)
年寄り臭いことを思いながら、イリアはツヅラを登っていく。
暫く進むと、魔物の気配があった。森の魔物と比べて桁違いに大きく、魔力の歪みも一際強い。
街で感じた歪み方とは違った。あの歪み方は、生き物が放つものというより、地場そのものが歪んでいるような感じだ。
(あれか)
姿が見えた。トロルだ。崖の向こうの岩場、山が窪んで日差しを遮る場所に、トロルが陣取って寝ている。
数は2体。ギルドで聞いた話では、北の山はオルクルという魔物の住処になっているはずだった。トロルの話はあっただろうか。
どうもイリアの記憶にはなかったが、目の前には確かにトロルがいる。
(どこからか移ってきたか……これが人里に出たら事じゃのう)
イリアは身を潜めながら、杖を持つ右手に意識を集中した。
狩っても良かった。
しかし、あくまで仕事は調査依頼。イリアはトロルの位置を頭に入れた上で、そっとその場を離れることにした。
さらに岩山を登っていくと、魔力の歪みの強いところに近づいた。大勢の生き物の気配がする。
(なるほど、この地場の歪んだところに、オルクルが住み着いているわけか)
近づくと、酷い臭いがし始める。オルクルの臭いだろう。食べ物が腐ったような異臭もある。
イリアは鼻を抑えながら、臭いの元に近づいていった。岩の影からこっそり様子を窺う。
――いた、オルクルだ。
(ひい、ふう、みい……10体以上おるのう)
10~20体の群れだった。まだいるかもしれない。
オルクルは人型の魔物で、猿なのか豚なのかネズミなのか、よく分からない醜悪な容姿をしている。
褐色の肌、粗末な腰布、乱雑な黒褐色の頭髪、ギョロッとした目、尖った角、小ぶりな牙、尖って縮れた耳。
よく、人里ではオルクルの巣に攫われるという逸話がある。子どもには、悪いことをしたらオルクルに攫われるぞ、と脅しつける風習をもつ地方もあった。
それにしても、人の住む街から一日ほどの距離に、オルクルの巣があるとは。
街の方にまで出ることはめったに無いそうだが、時折人里を襲うことがあるから質が悪いらしい。
しばらく、その様子を観察する。
オルクルは思い思いに過ごしており、時折仲間と威嚇し合ったりしている。
武器を持っていた。棍棒だ。森に降りて得たのだろう。石を別の石に打ち付けている姿もある。あれも武器かもしれない。
そこまで見たところで、一際大きな気配が動いたのに気づいた。
岩場の影からのっそりと現れた巨体。オルクルの背丈を4倍もすれば、ちょうどあれくらいかも知れない。
(モルグルか……オルクルの統率者かのう)
イリアの胸くらいの背丈であろうオルクルに比べ、モルグルはイリアの優に2倍はあろうかという巨躯を誇っていた。
棍棒を手に、臍のあたりをぼろぼりと掻いている。腰布を付けておらず、汚くて大きなイチモツをぶらつかせていた。
(オルクルの群れにモルグル。これも情報にはなかったのう)
イリアは、ギルドで聞いた話と目の間の光景の齟齬を頭の中で埋めながら、身動ぎせずに群れを監視した。
いっそのこと、ここで叩いてやろうかとも思ったが、我慢する。
それよりも地場の乱れだった。
(ちと苦しいのう。呼吸が上手くできん)
イリアの体は魔法の体。魔力を取り込み、体の調子を整えている。
こうした地場の魔力が乱れた場所は、イリアにとっていささか息苦しい場所だった。
イリアは地場の乱れを直してしまおうかと思案した。
魔力の波を読み、地場を直したら山がどうなるかを脳裏で勘定する。
(うむ、やろう)
イリアは決心した。そのためには、群れが邪魔だった。
杖を手に岩場に登って、その上に仁王立ちする。
「眠れ」
開口一番に昏倒の魔法をかける。
オルクルたちはたちまち意識が混濁し、ある者は錐揉しながら倒れ伏せていった。
モルグルがしぶとかった。一撃では昏倒せず、イリアの姿を見つけて猛り立つ。
その姿を一瞥すると、イリアはさらに強い昏倒魔法をかける。
モルグルは一歩、二歩と、執念深そうにイリアに迫ったが、ついに軽い地響きを立てて倒れてしまった。
群れを片付けると、イリアはオルクルの棲家に降り立った。ひどい匂いがしたが、なんとか堪えて広場の中心に立つ。
すると徐に杖をトンと突いて、魔力の波紋を起こした。人には聞こえないほどの、甲高く澄んだ音が辺りを包む。
二度三度と波を起こすと、辺りに清浄な気配が立ち始め、地場の乱れは鎮まっていた。
「これでよし」
イリアは一言残すと、オルクルの巣を立ち去った。
直にオルクルたちも目を覚ますだろう。
イリアは安全な場所を探した。岩山で一夜明かすつもりである。
オルクルの巣と、トロルのねぐら。そのどちらからも離れた風下が良かった。
探すと、ちょうど岩肌の抉れた空洞があったので、そこに身を潜める。
あたりの音を聞くと、鳥と虫の音と風と木々のざわめきばかり。
安全と判断し、イリアは明るいうちに食事に入った。
水筒から水を一口。背負った麻の袋を体の前に回して、口を開ける。パンをその口からのぞかせて、ナイフを抜いて一片切る。
パンに齧り付くと、食べ物に宿った気と魔力が、イリアの体に暖かく浸透した。
食べ物をそれほど多くは必要としないイリアの体だったが、気と魔力を補給するとほっとする。
パンで口がぱさついたので、また水を一口。
あっという間に平らげて、イリアは人心地ついた。
翌日。イリアは窪みを出ると、昨日オルクルの巣を見つけた場所から離れ、東の方へ向かう。
さらに岩山を登ると、頂きを回り込むように、山の東側に抜ける道に出た。
細道だ。片側は切り立っていて、足場が狭い。
そこを進んで抜けると、また魔物の気配。
岩壁で影になっているところに、オルクルがいた。数は8体だった。
(山がオルクルの住処というのは、確かなようじゃな)
縄張りを持つ魔物だから、場所と数の情報が大切なのだろう。
戦う必要はない。イリアは依頼を優先した。
それからさらに山を見て回って、オルクルの群れの他に邪王鳥を見つけた。
魔物というより、怪鳥である。ずる賢い性格の怪物で、人里から家畜や人間の子どもを攫い、巣に持ち帰ることがある。
――こんなところか。
イリアはそろそろ頃合いかと、山の調査を切り上げることにした。
昨日ねぐらにした岩壁の窪みまで戻ったところで、日が暮れる。
イリアはまた同じようにパンを齧り、水を飲んだ。
魔力の体だが、人間を模したものだ。人の体の造りと似た所も多い。
その身に秘められた力を存分に発揮したい欲求を抑えつつ、イリアは就寝した。
岩場で過ごす3日目の晩。イリアは翌朝下山しようと思った。




