仙人皇帝の妃候補 1
本日二回目の投稿です!
紅龍国に、桃の花が散っている。
後宮内は、西。
四人いる「美人」のひとりである黄翠花は、窓から差し込む朝日を浴び、うーんを大きく伸びをした。
後宮とは、皇后を頂点としたわかりやすい縦社会だ。
とはいえ、当代の皇帝冷麗孝には、皇后はおろか、その下の三妃もいない。
いるのは三妃の下である「美人」以下であり、翠花は冬の終わりに、他の美人たちとほぼ同時期にまとめて後宮に突っ込まれた。
皇帝麗孝は、どうやら女に興味がないらしい。
即位してから今日まで、彼が後宮に足を運んだ試しは一度もないという。
これまで後宮には才人以下の女官や下働きしか住んでいなかったが、焦れた重鎮たちにより、春前に四人の美人が選出された。翠花をはじめ、みな、高官の娘である。
一度に四人も入れられたのにはもちろん理由がある。
皇帝の妃――ひいては、次代の皇帝の母。もっと言えば、次代の皇帝の外祖父。この立場は、政治家であれば誰もが欲する地位である。
女に興味がないと言っても、いつ触手が動くかはわからない。何故なら皇帝は二十二歳。まだまだ若いからだ。
だからこそ、機会は平等に与えられるべき。
つまるところ、抜け駆け禁止。
よくわからない話し合いのもと、高官たちは最終的にくじ引きでどこの娘を後宮に入れるのかを決め、そして翠花をはじめとする四人が「同様の機会を与えられるべき」という本人の意思を無視した親兄弟の決め事によって、後宮の中に押し込まれた、というわけだ。
(ほんっと、めいわくっ!)
くじ運のいい翠花の父は、見事に四枠しかなかった美人に娘を押し込むことに成功し、小躍りして喜んでいたが、当の本人からすれば迷惑でしかない。何故なら翠花は、皇帝の妃になんてこれっぽっちもなりたくないからだ。
皇帝のお通りがなければ、数年が経てば任期満了で後宮から出られることもあるが、十七歳である翠花は、少なく見積もっても数年――せっかくの花の盛りを、こんな閉鎖された空間で暮らさなければならないのである。断じて許容できない!
(って言っても、もう押し込められた以上どうしようもないのよね)
抜け出そうとすれば罪になる。
後宮に入った時点で、自らの意志でここから出ることは叶わないのだ。
「あーイライラしてきた。こういう時は……おいっちにー!」
「翠花様、変な掛け声を上げながら腕を振り回すのはおやめください」
開け放った窓のそばで腕をぶんぶんと振り回していたら、白磁の茶器を手に現れた翠花の筆頭侍女、林杏があきれた声を出した。
林杏は翠花の三つ年上の二十歳。艶やかで長い黒髪に切れ長の双眸を持つ美人である。翠花の実家である黄家の親戚筋の娘だ。
後宮というのは、侍女や女官であっても皇帝の妃嬪になる可能性がある。
いつ誰が皇帝の心を射止めるかは定かではないので、妃と共に後宮入りする侍女たちも、見目麗しい者たちが選ばれる。一族の中から。
聞いた話によると、先代皇帝の時代に、三妃の一人である麗妃の侍女が皇帝に見初められ、麗妃の暮らす宮でとんでもない修羅場が起きたらしい。
詳しくは知らないが、麗妃は件の侍女をあの手この手で後宮から追い出したそうだ。
ちなみに、その麗妃は現皇帝の生母。のちに皇后の位を賜り、現在は皇太后でもある。
自分の侍女が先代皇帝に見初められ、その後騒ぎを起こしたことで、麗妃――皇太后は、しばらくの間、ショックを受けて臥せってしまったと聞いた。繊細な方なのかもしれない。
「林杏、腕を振り回しているんじゃなくて運動しているのよ」
「運動だろうが何だろうが、室内で暴れないでくださいませ」
「じゃあ、外ならいい?」
「いけません! 恥ずかしいっ!」
後宮では妃が運動するのもダメらしい。なんて窮屈なところだろう。
「後宮に入って一月ですよ? そろそろ慣れてくださいませ」
「そう言う林杏はだいぶ後宮に慣れた感じね」
「郷に入っては郷に従えといいますからね」
林杏は円卓の上に茶器を置くと、手慣れた所作でお茶を淹れた。爽やかな花の香りのする花茶である。茶器の中で、茶毬がふんわりとほころび花を咲かせた。
翠花は円卓に移動して、白磁の茶器を手に取った。
「わたしはまだ全然よ。妃なんて性に合わないわ。こんなことなら男装して武科挙を受けに行けばよかった」
「とんでもない! ばれたらどうするんですか! というか、すぐにばれるに決まっています! 翠花様は黙っていたらお綺麗なんですから! 大恥もいいところですよ!」
黙っていた綺麗というのは、果たして誉め言葉なのだろうか。
(つまり口を開けば不美人ってことね。ま、自覚はあるんだけど)
翠花も、外見だけはなかなかだ。母も祖母も美人で、その血をしっかりと受け継いだ翠花は、長くしっとりとした射干玉の髪に、黒曜石のような大きな瞳を持っている。
線は細く、華奢で、まるで国を滅ぼした傾国の仙女のようだと言われる。「国を滅ぼした傾国の仙女」は誉め言葉には聞こえないが、要するに、外見だけは整っているのだ。
しかし中身はてんでダメ。
父からはもしも皇帝のお渡りがあった際には一言も口を聞くな、黙って微笑んでおけ、とまで言われていた。父親のくせにひどすぎる。
「男の子のような格好をして野山を駆けまわるのは、許されても十歳までです! 十七歳にもおなりなのですから、少しは年相応の落ち着きというものを……って、聞いていらっしゃいますか、翠花様っ‼」
明後日の方向を向いて茶器に口をつけていた翠花に、林杏がついに雷を落とした。
林杏は翠花の筆頭侍女であると同時に、父がつけたお目付け役でもある。翠花が後宮で大人しくしているなんて、父はこれっぽっちも思っていなかったのだ。信用ゼロである。
「ずーっと部屋の中に籠っていたら体がなまって仕方がないわ。林杏、ちょっとの間でいいから、わたしとこの服交換しない?」
「何を馬鹿なことを言っているんですか‼ 妃が侍女の服を着てどこに行くというのです‼」
「妃って言うけど、お渡りがないんだからせいぜい妃候補ってところよ。というかお渡りがあっても困るんだけど……。ね? ちょっとだけ? いざという時の逃亡経路くらいは確認を」
「逃亡⁉」
「いや、言葉の綾よ、綾! ほら、主上がいらっしゃったときに、どこか隠れておく場所を……」
「主上がいらっしゃって、どうして隠れる必要がありますか!」
林杏の細い眉が鬼のようにつり上がっていく。
これ以上はまずいと判断し、翠花は「ああっ」と大きな声を上げた。
「そう言えばー、昨日の夜ー、東のあたりで火事があったらしいわねー」
「……はあ、そのようでございますね」
わざとらしく話題を反らした翠花に、林杏がため息をついた。
「わたくしも詳しくは存じ上げませんが、欧美人の宮が燃えたということは知っております。幸い、周囲には飛び火しなかったようですが、火を消すのに明け方近くまでかかったようですね。……翠花様は熟睡なさっていたようですが」
「失礼ね、ちゃんと夜には起きたわよ。ただ、こっちまで燃え広がりそうにないからいいかなーと思って寝直しだたけよ」
「肝が据わっているというかなんというか……本当に、感心いたしますわ」
「褒めてないわよね?」
まったく《《感心》》されていない気がする。
「だけど、後宮で火事って、それほど珍しくないでしょ? 先帝の時もあったじゃない。二回ほど」
「そうでございますが」
後宮は、一つの町ほどに大きい。
何百という建物が並ぶ後宮内では、もちろん火も使う。灯りや調理、香を焚くのにも。
ゆえに火の不始末が起こることもあり、そのために、宦官たちは火災に備えて交代で寝ずの番をしているくらいだ。
昨夜もすぐに火の手に気づき、消火活動に明け暮れたのだろう。
火の回りが早ければ、男子禁制という決まりを一時的に解除し、皇帝の勅命を受けて消火活動のために軍が入ることもあるが、昨夜の様子ではそれほどでもなかったようだ。
「後宮なんて、魑魅魍魎が跳梁跋扈していても驚かないような場所よ。火事くらいで大慌てなんてしないわよ」
「魑魅魍魎が跋扈していたらさすがに驚くと思いますけど……」
「あらそう? でもほら、今まさに林杏の肩のところに――」
「きゃあああああああ‼」
「なんてうっそー……って、あれ?」
きりきりきり、と林杏の柳眉が再びつり上がっていく。
これはまずい、と翠花が逃げ腰になった直後、林杏の特大の雷が、どっかーんと落っこちた。
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