最重要参考人の女 6
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午後になって、翠花は小鈴と東の庭園へ向かった。
庭園に向かう途中で、燃え落ちた欧美人の宮も確認したが、炭化した黒い柱が四隅に残っているだけだった。ほぼ全焼と見ていいだろう。
宮の周囲は、人が入れないように囲いがしてあり、見張りの数名の宦官たちが退屈そうに立っていた。
その前を通る下働きの女官たちが、不気味なものを見るように黒い残骸を一瞥し、ふるりと肩を震わせて足早に去っていく。
ただの火事ではなく、そこで人が一人亡くなったのだ。なんとなく、残骸の中から、ゆらりと幽鬼が立ち上って来そうな不気味さがあった。
「そう言えば、後宮で亡くなった妃の祟りを書いた怪談があったわね」
「やめてくださいよ、翠花様。なんだか本当に出てきそうで怖いですよ」
小鈴が「早く行きましょう」と翠花の袖を引っ張る。
「それから林杏様の前でその話はしないでくださいね。林杏様、恐怖を覚えると怒りっぽくなるんですから」
「あ、やっぱり? 林杏って怪談話苦手よね?」
「はい。意外ですよね。お化けなんて見ても鼻で嗤いそうなのに。逆に明明は、この手の怪談話得意なんですよ? 人は見かけによりませんよね」
「そう? 明明ってあれでかなり肝が据わっていると思うわよ?」
ふんわりおっとりしている明明が、何かに驚いて悲鳴を上げたところなど見たことがない。翠花が苦手な䗪虫も平然と踏みつぶすくらいだ。
小鈴に急かされて庭園に急いだ翠花は、松やブナ、樫などの木々がぽつりぽつりと生えており、地面は落ち葉でふかふかしていた。まだ春先なので落葉樹のブナの木の様子はまだ寂しいが、少しずつ芽吹いてきている。
木々のほかにもあちこちに草が生えていた。
計算されて植えられているのか、それとも勝手に生えてきた雑草なのかは、翠花にはわからない。
「後宮内のくせに、意外と危険なものが生えているのね」
「え? 何が危険なんですか?」
「何って、あの奥のはトリカブトで、こっちには水仙。鈴蘭もあるわね。夾竹桃もあるじゃない」
「どこにでもある草に見えますけど」
「全部毒草よ。夾竹桃は木だけど」
「そうなんですか⁉」
「そ。まあ、口に入れなければ大丈夫だけど。ああでも、夾竹桃は燃やしても有毒だから、間違っても煮炊きに使ったらだめよ?」
「さすが翠花様。幼い頃に野山を駆けまわっていただけあって、この手のことには詳しいですね」
「まあね。一回、イチイを食べて死にかけてから、調べるようになったのよ」
「え⁉」
「イチイって、赤く熟れた実以外全部毒なのよ。わたし、種を出すのが面倒くさくて種ごと食べて、毒にあたって大変だったわ。実は甘いんだけどね。小鈴も美味しそうに見えても、その辺になっている実を無暗に口に入れたらダメよ?」
「そんなことをするのは翠花様だけだと思いますよ……」
小鈴があきれた顔になったので、翠花はムッとして言い返した。
「そんなことないわよ! 子供の頃、わたしと同じようにイチイを口に入れようとした男の子がいたもの。しかも、まだ赤くなる前の実を、よ? だから毒だって教えてあげたのよ」
そのあと、やたらとお腹を空かせていたようだから、おやつにと持って来ていた桃をあげたのだ。近所の子供だったのか、その後、何度か森の中で遭遇した。でも、引っ越したのだろう。冬になる前にいなくなって、それ以来一度も会っていない。
「はあ、類は友を呼ぶと言いますよね」
「小鈴ってば、林杏の毒舌が移って来たんじゃない⁉ だめよ、変な影響を受けないでちょうだい」
林杏みたいに口うるさい侍女がもう一人増えるなんてものすごく嫌だ。小鈴が悪の道(?)に進まないよう、しっかりと忠告しておこう。
「いい、小鈴。可愛げがないと、男性にモテないらしいわよ。林杏は可愛げより色気だのなんだのって言うけど、わたしは可愛げが重要だと思うわ。小鈴は可愛いんだから、林杏を真似したらだめなのよ」
「林杏様が聞いたら怒りますよ?」
「ここにはいないからいいのよ」
翠花も、林杏を嫌っているわけではない。むしろ林杏のことは好きだし姉のように頼りにしている。だけど、口うるさいのが増えるのは別だ。眉を吊り上げて説教をしてくる侍女は一人だけでいいのである。
小鈴がわかったようなわかっていないような微妙な顔で頷くと、翠花は庭園の中をぐるりと見渡した。
「別段、おかしな点はなさそうよね。夜にこんなところに来て、一体何をしていたのかしら?」
「逢引きとかならわかるんですけどねえ」
「後宮に入った女が逢引きなんて重罪よ。それ以前に、男がどうやって入り込むのよ。侵入した時点で首をはねられてもおかしくないわよ?」
「ですよねえ。後宮って本当に夢がないです。出会いもないし」
「まあでも、年中行事とかで後宮の外に出ることもあるかもしれないわよ。そのときに見初められて結婚する可能性もないわけじゃないでしょ。女官が武官や官吏に見初められるケースはないわけじゃないもの」
皇帝の妃嬪は無理だが、侍女や女官ならば可能性はある。見初められなくとも、皇帝が臣下の褒賞として後宮で生活している女官を嫁がせる例は数多く存在するのだ。中には、自身が手を付けた妃を下げ渡すこともある。まるで道具扱いだが、一生を後宮内で過ごすよりよほどいいと、翠花は思っていた。
「あとは裏技だけど、宦官と仲良くなって、その家族に口利きしてもらうってこともあるみたいよ。ほら、任期満了で後宮を出ることになった時に、宦官の家族に紹介してもらうの。有能な女官は意外と引く手あまたなのよ。小鈴はわたしの侍女だし、自分が知らないところで案外、一族の嫁に狙われているかもしれないわよ~」
「ええ~、それは困っちゃいます~」
困ると言いながら、小鈴はまんざらでもない顔で笑う。
「ま、そうならなくても、わたしが後宮を去るときになったら、お父様あたりが嫁ぎ先を斡旋すると思うわよ」
「翠花様が後宮を去らなかったら?」
「それは……わからないけど」
というか、後宮を去らない、なんて恐ろしいことを言わないでほしい。
小鈴はぽんと手を叩いた。
「ああでも、翠花様が皇后になれば、わたくしも皇后の侍女。きっとモテモテですよね。モテすぎるのも困っちゃいますけど~」
「こっ、皇后……」
いやいやないない、と翠花は顔を引きつらせながら首を横に振る。
しかし小鈴は容赦がなかった。
「今のところ、翠花様は主上がお渡りになった唯一の妃ですよ? あるかもしれないですよ~。というか、あってほしいです~」
「林杏みたいなことを言わないでっ」
小鈴とわいのわいのと騒ぎながら、翠花はぐるりと庭園内を回って見た。
だがこれといって気になるものはなく、今日のところは諦めて自分の宮に戻る。
林杏から、二日後に師才人と肖才人を招いたお茶会をすることが決まったと報告を受けた。
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