第十三章 覆された真実 1
王立学園で五年間の課程を修めた者たちにとって、今日執り行われる卒業式典は、学園生活の締めくくりであると同時に、一人前の貴族として新たな人生を歩み始めるための大切な節目でもあった。
春の陽光が王都の街並みを照らし、街路樹には瑞々しい若葉が揺れ、色鮮やかな花々が道端を彩っていた。王城へと続く広い石畳の道には各地の貴族たちを乗せた馬車が途切れることなく列をなし、それぞれの家紋を掲げながらゆっくりと正門へ向かって進んでいた。
「いよいよ、この日を迎えたな」
向かいに座る父の声に、ヴァレリアは窓の外から視線を戻して頷いた。
「はい、お父様」
「この季節になると思い出すな。庭で蝶を追いかけて走り回っていたお前が、もう卒業式典を迎えるとは」
「あの時は、本当に捕まえられると思っていたのです」
「毎日のように庭を駆け回っていましたものね」
母が微笑むと、ヴィンセントも懐かしそうに口元を緩めた。
「俺が蝶へ少しゆっくり飛ぶよう頼んでみると言ったのは、覚えているか?」
「もちろん覚えています。蝶とお話しできるのだと、一瞬だけ本気で思ったのですから」
「すぐに嘘だと気づいただろう」
「お兄様が笑っていらっしゃいましたから」
ヴィンセントは楽しそうに笑った。
「もう十五年も前のことです。そろそろ忘れてくださってもよろしいのではありませんか」
「かわいい妹の面白い思い出を、兄が忘れるわけがないだろう」
「お兄様……」
ヴァレリアが少し頬を染めると、父と母もつられるように笑い、馬車の中に家族の笑い声が広がった。
やがて父は表情を改め、ヴァレリアを見つめた。
「お前はこれまで、多くのことを学び、多くの経験を積んできた。その歩みを信じればよい」
ヴァレリアは父の言葉を受け止めるように頷いた。
「はい」
再び窓の外へ目を向けると、春の日差しを受けた王城が少しずつ近づいていた。
やがて馬車は王城の正門をくぐり、整然と並ぶ近衛騎士たちの間を進んで広場へ停車した。
父に手を取られて馬車を降りたヴァレリアは、木々の向こうにそびえる王城を見上げた。何度も通った場所でありながら、卒業を迎える今日はいつもとは少し違って見えた。
案内に従って式典会場へ入ると、卒業生とその家族はそれぞれ定められた席へ着き、ほどなくして国王の入場が告げられた。
一同が起立する中、国王は卒業生たちを見渡し、この日を迎えたことへの祝福と、これからは一人前の貴族として自らの言葉と判断に責任を持ち、それぞれの立場から国や領地、人々のために力を尽くしてほしいと語った。
卒業生たちはその言葉へ耳を傾け、祝辞が結ばれると一斉に深く頭を垂れた。
その後も式典は滞りなく進み、五年間の課程を修めた卒業生たちへ修了が認められると、王立学園で過ごした日々は正式に終わりを迎えた。
式典会場を後にしたヴァレリアは、公爵、公爵夫人、ヴィンセントとともに回廊を歩いていた。
先ほどまでの厳かな空気は少しずつ和らぎ、同じように式典を終えた卒業生やその家族も、それぞれ晴れやかな表情で祝賀会の会場へと足を進めている。
「……これで二人に課されていた制約も役目を終えたな」
父の言葉に、ヴァレリアは小さく頷いた。
「はい」
それ以上、二人の間に言葉はなかった。
大広間の前まで来ると、侍従が一歩前へ進み出た。
「本年度卒業式典を終えられました卒業生ならびにご家族の皆様、ご入場ください」
重厚な扉がゆっくりと開かれ、卒業生とその家族が順に大広間へ足を踏み入れていく。
ヴァレリアも家族とともに中へ入ると、王族席には国王と王妃、そしてモーゼスの姿があった。
すべての卒業生とその家族が入場を終えると、国王が立ち上がった。
「本日は、本年度王立学園を卒業した諸君の門出を祝うため、お集まりいただき感謝する。どうか、この佳き日をともに祝い、有意義なひとときを過ごしていただきたい。それでは、祝賀会を始めよう」
国王の言葉を合図に音楽が流れ始めると、卒業生たちは家族や招待客から祝いの言葉を受け、友人や恩師と言葉を交わしながら卒業という節目を喜び合った。
やがて国王夫妻へ挨拶を述べるため、王族席の前には自然と列ができ始めた。
ヴァレリアも父や母、ヴィンセントとともに祝いの言葉を掛けてくれる者たちへ挨拶を返し、頃合いを見て国王夫妻のもとへ向かおうとしていた。
その時、王族席にいたモーゼスが立ち上がった。
迷いのない足取りで広間を横切り、談笑していたカタリーナの前で足を止める。
「カティ」
「はい、モーゼス様」
一礼したカタリーナへ、モーゼスは笑みを向けた。
「待たせた」
「いいえ、少しもお待ちしておりません」
モーゼスが右腕を差し出すと、カタリーナはためらうことなくその腕に手を添えた。
並んだ二人は、そのまま王族席へ向かった。
その姿に貴族たちが目を留める。国王夫妻への挨拶だろうと思われたものの、婚約者であるヴァレリアではなくカタリーナを伴っていることに気づいた者たちは、次第に二人の歩みを目で追い始めた。
二人は国王と王妃の前まで進み、深く一礼した。
モーゼスは顔を上げると、隣のカタリーナへ視線を向けた。カタリーナもその視線を受け止めるように頷き返した。
それを確認したモーゼスは振り返り、広間にいたヴァレリアへ視線を向けた。
「ヴァレリア」
不意に名を呼ばれ、ヴァレリアはモーゼスを見た。
父へ視線を向けたものの、公爵も理由が分からないまま頷き返すだけだった。
ヴァレリアはモーゼスのもとへ歩み寄り、国王夫妻の前で一礼した。
「お呼びでしょうか、モーゼス様」
「ヴァレリア。今日、この場で君へ伝えなければならないことがある」
広間にいた者たちが次第に会話を止め、二人へ視線を向けた。
モーゼスはヴァレリアを見据えた。
「ヴァレリア・フォン・クローネンベルク。私は、君との婚約を解消する」
宣言が響いた瞬間、それまで広間に流れていた音楽が止んだ。
ヴァレリアは一瞬息を呑んだものの、すぐに表情を整えてモーゼスを見つめ返した。
「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ああ。この場に集まった皆にも知っておいてもらいたいことだからな」
モーゼスは広間を見渡した。
「私は学園で多くの者と出会い、多くのことを学んだ。卒業後は王城で実務に携わり、それぞれの領地が抱える問題や人々の暮らし、貴族として果たすべき責務と向き合ってきた」
広間は沈黙したまま、その続きを待った。
「この国には、これまでの慣習だけでは解決できない問題が数多くある。そのためには、より広い視野を持ち、多くの者の声へ耳を傾ける王が必要だ」
モーゼスは一度言葉を切った。
「私は、その役目を果たしたい」
そして隣に立つカタリーナへ目を向ける。
「その隣には、私と同じ志を持ち、ともに国のことを考えてくれたカタリーナがいてほしいと思っている」
カタリーナはその言葉を受け止めるように頷いた。
モーゼスは再びヴァレリアへ向き直った。
「ヴァレリアは優秀だ。その努力も能力も、私は誰より知っている。だからこそ、一人の王を支える妃となるより、自らの力を別の形で国のために生かす方がいいと思っている」
ヴァレリアは何も言わず、その言葉を聞いていた。
「だから私は、次代の国王としてこの国を導き、その隣にはカタリーナを迎えたいと考えている」
その言葉に、高位貴族たちの表情が一斉に強張った。
一方、事情を知らない下位貴族たちの間からは、「やはり」「殿下なら当然だ」といった小さな囁きが漏れ始める。
ヴァレリアは周囲の様子を確かめると、再びモーゼスへ視線を戻した。




